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子供のいる生活|ノートの行方

「国語のノートがないんだけど…先生が家から持って来てねだって…」モジモジと俯きながら小学校1年生の娘が言った。「ん…?それがどうしたの?」イマイチ全体像が把握できず、娘に状況を事細かく質問する。

娘はあからさまにイライラしながら、「もー!だ・か・ら!!!」と不安と苛立ちと、理解されない悲しさで、大声で怒りを爆発させながら、床に突っ伏してジタバタしている。最近はこんな感じで怒りを爆発させることが多くなった。

落ち着いたところで、再度ゆっくりと話を聞く。更には、通訳として双子の相方(7歳)がコミュニケーションの橋渡しをしてくれた。要するにこういうことだ。
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数日前から、娘の国語のノートが見当たらず、机の中やランドセルなどを何度も探したが見つからない。家の中も探したが、見つからない。でも、先生からは「家にあるはずだから持って来てください」と言われ、どうしたらいいかわからず困っている。
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状況を把握した上で、家族全員で家中を捜索が始まった。何度も同じ場所を、違う人間が違う目でチェックする。そもそも我が家は物があまりないし、広くもない。思い当たる節は隅々まで探すも、どうにも見つからない。そして結局、国語のノートらしきものなど出てこなかった。

「もう一度、教室のデスクの引き出し、探してみなさい。それでも無ければ、先生に『家にはありませんでした』と言ってごらん。どうしても見つからなければ、新しいものを用意しなきゃいけないかもしれないし」。そう娘に伝え、その日は終わった。

そして3、4日過ぎた頃、また娘がこんなことを言い出した。「あのさ、国語のノート、家で探して来てねって先生に言われた」と。。すっかり忘れていたが、『まだ、それ続いていたの?!』と少々驚きながらも、この状況を放置したら、そもそも学校嫌いの娘は明日、確実に登校自体をボイコットするだろうと、想像がついた。

瞬時に対策を考える。タイミングを逃せば、学校と連絡が取れなくなる時間帯でもある。対応を間違えれば、明日の私のスケジュールは全て変更となるだろう。「めんどくさい親だな」と思われるかもしれないけれど、学校の担任の先生に電話をかけ、状況を説明し、娘と一緒にもう一度デスクの中を確認させてもらえないか確認する。

「わかりました、お待ちしてます」担任の先生から承諾を得て、ちょっと胸をなでおろす。実際のところ、ノートが見つかろうと、見つからなかろうと、どっちでもよかった。見つからなかった場合に、どうしたらいいか。それが分かれば、娘が少し安心できるのではないか、そう思ったのだ。

過干渉かもしれない。本人と先生に任せるべきという人もいるだろう。昔の私だったら、放っておいたはず。でも。現在の娘の状況を考えると、それが得策だとはどうしても思えなかったのだ。

「担任の先生が怖い」と言って、学校に行きたがらなくなってから、随分と経つ。
お互い人間だから、合う合わないはあるのはある意味仕方がないことかもしれないけれど。子供は先生を選ぶことも、環境を自分で選択することもできない。ましてや、「担任の先生」というものはある意味絶対的な存在だ。

その先生と上手くいかず、でも自分の気持ちや状況をまだ説明できるほどの語彙力も、俯瞰した視点も、説得力も持ち合わせていないのだ。だから、大人にとっての「ちょっとしたこと」が、娘にとっては怖くて仕方のない大きな事件になっている可能性は高かった。

早速、玄関に向かい、娘と急いで靴を履いていると、携帯の電話が鳴った。画面には「〇〇小学校」とある。担任の先生からに違いない。すかさず電話を取ると、「もう一度探してみたら、ボックスの中にノートが見つかりました。」そう、連絡があった。「ボックスってなんだろう?」そう思いながらも、「ありがとうございました!」そういって電話を切った。

翌日詳しい話を聞いてみると、「おそらく、1年生アルアルなんですけど…クラスの他の子が、間違って持ち帰ってしまって、後からこっそり戻したんだと思います」とのこと。全く想像もしなかった可能性だが、確かにアルアルだ。1年生じゃなくとも、大人になってもそういうことはある。もちろん、それも「おそらく」だから、本当のところは誰にもわからない。

でも、娘がなくしたわけではなかったことだけは確かだった。誰よりも今ホッとしているのは、当の本人である娘ではなかろうか。急に娘に申し訳ない思いでいっぱいになった。私を含める家族からも咎められ、おそらく先生からも強く言われたのではなかろうか?

答えが出ない時、ついつい自分の頭に思い浮かぶ「犯人」を疑ってかかってしまう。でも、そことは全く別の方角から、想像もしなかった可能性や、答えが出てくることも少なくない。

常にニュートラルな状態で物事を捉えられるようになりたい。そのためには、いつもいろんな可能性を受け入れられる心の余裕と余白を、自分の中に少し、用意しておきたいと思います。


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