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月と六文銭・第二十章(05)

 韓国大統領の訪日警備は悪夢と言わざるを得なかった。
 日韓関係が戦後最悪で、国際会議場では首脳同士はそっぽを向いて会話もしない状況だった。 しかし、水面下で情報コミュニティ同士は協力し、要人警護に神経をすり減らしていた。

<前回までのあらすじ>
 内閣府内閣情報室直下に位置する対テロ特別機動部隊、別名「鈴木班」は、韓国大統領への狙撃対策を練っていたが、関係者が入り乱れる展開も考えられたため、慎重に検討を重ねていた。
 安政大学国際部に帰国生枠で編入していた鈴木ユナは、貿易商・鈴木征四郎の娘という設定だったが、鈴木の実の娘・綾乃だった。綾乃は明るい性格とフットワークの軽さですぐに誰とでも仲良くなれた。しかし、潜入捜査での本領を発揮したのはバランスの良い体格・スタイルを活かして、見た目は地味な事務員から派手なモデルまで幅広く変装できたからだ。

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05
 四沼重工業ビル爆破事件当時、捜査の指揮官だった鈴木征四郎自身も重傷を負い、ベテランの部下を2人失っていた。負傷者もビル内勤務者を中心に400名近く出してしまい、戦後最大の爆破テロと警察関係者にも企業にも記憶されることとなった。
 緊急手術後のリハビリ中に鈴木と綾乃の母・千堂琴乃せんどう・ことのは知りあい、やがて鈴木は琴乃・綾乃親子の生活の面倒をみるようになった。
 警察にあまり詳しくない琴乃は亡くなるまで鈴木が“ちょっとえらい刑事”くらいにしか思っていなくて、時には精神的に、時には肉体的にボロボロになって帰ってくる“夫”を愛情で包み、安らぎを与えた。代わりに鈴木は二人に安全と経済的安定を提供した。

 鈴木がちょっと怖い言葉をかけたのだろうと琴乃は思ったのだが、前夫は何も注文を付けず、離婚に同意した。綾乃は私立の学校に行き、ピアノやバイオリンを習い、フランス語を話すようになり、バレエでパリに短期留学もさせてもらった。
 母と違い、綾乃は“父”の秘密を早い段階から気付いていた節があった。地下鉄サリン事件のニュースで、画面の端に“父”が映っていたのを発見し、インターネットでニュースなどを検索してそのニュース映像を探し出し、父が何か指示をしているのを確認したのだ。

「お父さんは頭が良いし、私たちのために一生懸命働いてくれているのよ。
 私はよくわからないけど、警察では少し偉い刑事みたいね」

 琴乃は綾乃にそう説明していた。琴乃はビル爆破事件で鈴木が担ぎ込まれた際に“現場の警察官”と説明され、制服ではなく私服だったので、刑事ドラマの刑事だと思いこんでいた。しかし、見舞いに来るのが青い制服の偉そうな人達だったので、多少は偉い人なのだろうと思ったようだ。

 鈴木は綾乃を甘やかして育てたつもりだった。わがままで手を焼くと思っていた。しかし、母が亡くなった高校1年の時から自分の恵まれた環境を活かして、フランス語と英語に磨きをかけ、2年生になって女子空手部に入部し、3年生になってすぐに父に進路の相談をした。

「警察官になろうと思うの。
 パパと一緒に働きたいの」

 面食らった鈴木は綾乃に大学を卒業してからでも遅くないし、他にやりたいことが見つかるかもしれないと説得した。

「パパ、じゃあ、アタシに話してくれる、正直に?
 パパは刑事じゃないんでしょ?
 警察官だけど、表にはあまり出ない公安とか外事とかいう特殊な警察業務をしているんでしょ?」

 娘の真剣な眼差しに圧倒されそうだった。

「ママはパパに100%感謝していたよ。
 こんな生活、私の本当のパパとだったら絶対望めなかったと言っていたよ。
 ママは何があってもパパ、鈴木征四郎さんへの感謝は絶対絶対忘れちゃダメよとしつこいくらい言っていたわ。
 私を学校に行かせてくれたこと、ママと私は本当に感謝しているの。
 私、知らん顔して、甘やかされたバカ娘でいたかったけど、パパの仕事を理解してから、パパの役に立ちたいと決めたの」
「綾乃、ありがとう。
 パパは嬉しいよ。
 もし本気で言っているなら、大学に行って、その4年間を有効に使って、もっといろいろなことを知って、卒業したらパパを助けてくれるというのはどうだ?」

 綾乃はそこから猛勉強を始めた。お嬢様学校に行っていたのだから、そのまま系列の4年制大学に進んでもよかったのに、難関私立の文久大学経済学部を受験して合格した。学外では、毎年夏には3週間ほど海外にホームステイしたり、部活には入らなかったが、府中にあるサンボ・ジムに毎週通ったりした。何に向けて準備しているのか問いたくなるスピードと積極性で自分の“任務”のための準備をしていたのだ。千堂綾乃の“任務”とは、鈴木征四郎の手足となってこの国を守ることだった。

 琴乃が別れた夫(当時)の子にしたくないために、綾乃の出生届を出し渋っていた。届け出の時機を逃した琴乃は綾乃を無戸籍児として育てていた。そろそろ学校に行かせないといけないのに、自治体にも届けられていない子は小学校に行く手続き自体が発生しない。それを知った鈴木は綾乃の戸籍を整え、琴乃の夫には綾乃のことを隠して、離婚の話し合いに応じるよう話した。
 喫茶店を借り切った話し合いに来た琴乃の夫は、多少でも金をふんだくろうと思っていたが、車椅子に鎮座して多少の大声にも微動だにしないこの男とかかわってはいけないと本能的に感じ取った。
 脇の下に何か(拳銃?)ぶら下げている感じの黒いスーツの男たちが護衛する車椅子の男性の凄みに屈したのか、鈴木に提示された離婚届に署名し、鈴木の助手が用意した印鑑を押して振り向くことなく店を出ていった。
 夫は店の前に並んでいた4台の黒い車を見て、関西の山菱組か関東住田連合の幹部か何かと思ったようだった。鈴木も大人げないと思いながら、居座られたり、変にこちらのことを探られたりしたら更に面倒になると思い、敢えて琴乃の夫の金玉が縮み上がるほど脅しておいたのだ。
 その後数年にわたり、折に触れて消息を追っていた琴乃の夫は、離婚の数年後にやくざ者同士のけんかで亡くなっていた。どうやっても琴乃も綾乃も幸せにはなれなかったと思われた。鈴木は琴乃に元夫が亡くなったことをさりげなく伝えた。
 琴乃は一度は好きになって結婚までした男が死んだことを悲しんだが、今は鈴木が夫以上、いや夫の役目の何倍も果たしてくれていることに感謝していると伝えた。そして、何よりも、血のつながらない娘を自分の娘のようにしてくれていることに感謝しても感謝しきれないと言った。娘の綾乃には鈴木の恩を絶対忘れてはいけないと口が酸っぱくなるほど言っていたのはこうした経緯があったためだ。

***
 安政大学にはパク大統領“歓迎”の立て看板と同じ数だけの“日米韓軍事同盟反対”の立て看板があったが、日常の雰囲気は変わらず、比較的のんびりしたキャンパスのそれだった。
 パク大統領が来日してからもイ・ソンホンもチェ・ミンハも変わった行動をとることもなかった。大統領の安政大学のスピーチの2日前の晩、宮城は高田馬場駅近くの居酒屋で騒ぐイのグループのアンという青年に“うるせいぞ、学生がぁ~”と突っかかってみたが、イもアンもすぐにやってきて頭を下げて謝ってきた。
 次の店に綾乃もグループと一緒に行ったが、皆大人しく飲んでいたし、イとチェは解散後、真っ直ぐ帰宅した。念の為、綾乃はその日もイ宅を監視した。どうせ今夜も空振りな気がしたが、ポケットドローンを空調の室外機まで飛ばし、中の音に耳を澄ませた。
 いつもはそろそろ寝る準備をする頃だった。普段は帰宅後30分ほどで2人とも寝てしまうのだが、今夜は消灯されず、オレンジの豆球が点いた。

「あれっ、今夜、するの?」

 綾乃は意外に感じた。チェの発言を信じるなら、前回から2週間ぶりのはず。しかも、その期間、チェが生理だったわけじゃなかった二人は意図的に行為をしていなかったのだ。
 ボクサーなら試合の少し前から禁欲生活を強いられるし、昔の侍なら戦の2日以上前から女性を遠ざけていたらしい。スピーチの2日前というタイミングを考えると、明日つまりスピーチ前日は装備などの最終確認をするだろうから、今夜、大仕事の前にストレスを発散しておくには良いタイミングと思われた。
 チェはわざと音を立てているのか、激しいフェラチオの音をドローンのマイクが拾った。そして、チェは次の行為をイに求めた。

「ソンホンシ、入れて、私を攻めてください。
 私の中にください」
「ミンハ、すまない」
「あぁあ、うっ」

 チェの詰まった声がした。
 綾乃は今ちょうどペニスを入れられたのだろうと想像した。その後はイがチェに腰を打ち付けるパンパンパンという音が続き、徐々にチェの喘ぎ声が大きくなっていった。

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