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田舎古民家に移住して人生再起を図った男「古民家くん」~退職します編(第5話)~

<概要>
今まで築き上げてきたものを全て捨て去って田舎の古民家に移住し、再起を図る男の物語。待ち受けているのは破滅か何なのか。全15話ぐらいの予定です。

<登場人物紹介>
①奥野文也(おくの ふみや) 35歳
大学卒業後に普通の会社員になる。
32歳で結婚、35歳で家を買うが仕事や家庭に辛さを感じ悶々としている。
後に退職、離婚、新築の家を売却し、古民家を買って移り住むことになる。

②奥野牧子(おくの まきこ) 3〇歳
奥野文也の妻。旧姓は前田。
小売関係の会社員。

<ここから本編>

文也が家に帰ると牧子がいつも通りリビングのソファに座ってテレビを観ていた。

「おかえり」
「・・・・ただいま」

普段通り振舞おうとする牧子。
文也は顔を合わせないが、小さい声で一応返事はしていた。

一方的に無視していれば離婚の際にモラハラ夫と言われかねず不利になると考えていたからだ。

文也が向かう先はリビングの向こうの風呂である。
風呂に入り、歯を磨いたらすぐ寝室に入ってしまう。
一切夫婦の会話は無い。こんな生活がもう半年も続いている。

文也がベッドの上で考えるのは退職した後のことだ。
思えば腕一本で稼げるようなスキルが身に付いていない。
10年以上続けてきたのは総合職という名のただの雑用係である。
転職でまた他の会社に属しても、また雑用係にしかなれない。

できれば会社に依存しないで収入を得たい。会社に依存したら、会社から好き放題日本全国あちこちに飛ばされても何も言えない。理不尽なことを言われても、怒鳴られても、耐えなければいけない。それは文也にとっては有り得なかった。

物書きか何か。何でも良いから自分の腕で収入を立てる。数年は何もしなくても生きていける貯金はあるから、数年その何かに集中すればいける可能性はなくはない。

「多分どうにかなるだろう」

そう独り呟いて文也は眠りについた。

一週間が経った。

文也は毎晩のように退職と退職後のことについて一人脳内会議をした。

最終的な考え方は

「人生が10回や100回もあるなら、その内の1回は今のままでも良い。けど1回しかないのなら、退職して人生を変えたい」

となった。

それをそのまま、上司の課長に伝えた。

「え、本気で言ってるのか」
「はい、退職します」

課長は目を見開いた。
文也は夜、自分と課長しかいなくなった時を見計らって退職を申し出ていた。

「うーん・・・・まあ大の大人が出した結論にとやかくは言わないが、本当にそれで良いんだな」
「ええ、この考えはダイヤモンドより堅いと思ってもらって結構です」
「なるほど、相当堅いな・・・・。ただなあ、ちょっと田島部長にこの件は話しておくから、部長と1回話してみてくれないか」
「はあ」
「奥野は俺より田島部長との付き合いの方が長いだろ。考えを変えてもらいたいというわけではないけど、経験だと思って1回田島部長の意見も聞いてみてくれ」

課長はそう言って田島部長に電話を掛けた。

「夜分にすみません。ちょっと奥野が退職したいと言ってまして・・・・。ええ・・・・」

電話をしながら課長は別室に消えていった。

この田島部長は文也にとっては元直属の上司であり、仕事のいろはを教えてくれた恩師でもあるが、鬼を具現化したような人間であり、できれば会いたくない存在ナンバーワンであった。

社内でも有名な部下クラッシャーであったが、担当した部署の売り上げを伸ばし、普通の人間ではどうにもできないトラブルを絶対に解決する手腕について会社幹部からの評価が高い。

その実、文也の直属の上司であった5年前は一介の課長であったが、すぐに統括課長、部長代理とポンポンと出世し、今では部長になっていて、もうすぐ執行役員になると噂が立っていた。

「田島さんと話すのか・・・・」

文也はため息を漏らした。田島部長は海千山千の猛者であり、頭も異常にキレる。なんやかんや説得されて結局会社に残る未来を想像してしまう。

見た目もヤ〇ザみたいで迫力があり、対峙して話すのは相当に気力を使う。

そんなことを考えていると、課長が別室から戻ってきた。

「田島部長、明日ここに来るってよ」
「え、ここに来るんですか」

田島部長は普段、隣県の支店本部に勤務している。

「朝から来るって言ってるから、お前の仕事は他の人に振れるやつは振っておいてくれ」
「はい・・・・、分かりました」

急な引継ぎをしなければならない。
周囲の人間からしたら迷惑な話だが、文也にとってそんなことは最早どうでも良かった。

-翌日朝

朝礼が終わった後、田島部長が事務所に現れた。

事務所の空気がピリつく。

「おう奥野!行くぞ!」

田島は朝からテンションが高い。
そう言って田島と文也は別室に向かう。

「おう、課長から聞いたわ。しかしな~お前。どういうことやねん。」

田島は予想外にも困った表情で切り出した。
部下クラッシャーであり強面で有名な男であるが、昔から文也に対しては幾らか優しかった。

文也は課長に言ったことと同じ論調で返した。

「なるほどな。しかしそれにしても突然やな。お前、13年この会社にいるやんか。13年も同じところで働いた人間が言うにしてはちょっと違和感があるんや。何か仕事以外に問題を抱えてるんじゃないんか?」

田島は流石に鋭かった。

「そういうわけではないです」
「いや、お前嘘ついてないか?・・・・分かった。この場では部長と課長代理ではなく、ただの田島と奥野という人間として会話しようや。うん、ちょっとネクタイ取ろうか。ジャケットも脱ごう。」
「はあ、分かりました」

田島と文也はネクタイを取り、ジャケットを脱いでシャツだけになった。

「よし、こっからは俺のことは部長と呼ばんでええ。田島さんでええわ。ちょっと腹割って話そうか。」

流石に海千山千の田島である。課長のように事務的に終わらす気は全く無いようである。

文也は家庭の問題について田島に説明した。

「ふーむ、なるほどな。本来体を休める場所でそんな感じでは、そりゃ退職するって俺でも言うわ」

田島はそう言うとさらに続ける。

「ということはだな。するべきことは退職やなくて、離婚ではないんか?」

ただそう言われても文也の中では退職は決定事項であったので

「いえ、家庭の問題と退職は切り離して考えてます」
「ほんまか?離婚も簡単ではないと思うけど、本質的な問題はそこやと思うで?」

田島はどうしても文也の抱えている問題を家庭に持っていきたがった。

「お前、俺が会社の人間やから家庭の問題を論点にしたがってると思ってるかもしれへんけど、さっきから言ってるように今はプライベートや。これが俺の本音やねん。」
「いや、僕としては退職したら逆に家庭の問題が解決するかもしれないと思ってます」
「んー、お前の言う奥さんの性質を考えると、そうは思えんぞ」
「いやしかし・・・・」

こんなやり取りをしているうちに昼のチャイムが鳴った。

8時から話し始めて4時間が経ったのである。

しかし二人にはチャイムの音など耳には入ってなかった。話し合い継続である。

さらに数時間経ち、日が暮れてきた。

田島が疲れた表情で言う。

「分かったわ。お前の言うことは十分に理解した。ただ先に離婚を進めてくれんか?離婚してから次に退職を考えたらええわ。同時進行はいくらなんでも人間壊れるぞ。離婚したらしたら気が変わるかもしれへん。いや、絶対に気が変わる。まず離婚。これで一つ頼むわ」

田島以上に疲れているのは文也である。
交渉ごとについては海千山千、経験豊富の田島を相手に否定をひたすら繰り返すことは想像以上に頭を使う。
警察の長時間の取り調べでやってもないことを自白してしまう人間の気持ちが分かった。

文也は答えた。
「・・・・分かりました」
「よっしゃ、じゃあこれで今日は終わりにしようか」

田島はネクタイとジャケットを手に持つと課長に話し合いの結果を報告して帰っていった。
10時間にわたる田島との話し合いで、結局退職の件は有耶無耶になってしまった。

とはいえ文也は田島に「分かりました」とは言ったものの、あくまでその場しのぎの回答であった。文也の退職の決意はダイヤモンドよりも堅い。
ただし、正攻法では田島部長の存在が壁となる。退職届を叩きつけてもまたあの手この手で有耶無耶にしてくる可能性がある。

文也が次に取った手段は・・・・。


続く

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