田舎古民家に移住して人生再起を図った男「古民家くん」 ~激務の先にあるもの編(第4話)~
<概要>
今まで築き上げてきたものを全て捨て去って田舎の古民家に移住し、再起を図る男の物語。待ち受けているのは破滅か何なのか。全15話ぐらいの予定です。
<登場人物紹介>
①奥野文也(おくの ふみや) 35歳
大学卒業後に普通の会社員になる。
32歳で結婚、35歳で家を買うが仕事や家庭に辛さを感じ悶々としている。
後に退職、離婚、新築の家を売却し、古民家を買って移り住むことになる。
②奥野牧子(おくの まきこ) 3〇歳
奥野文也の妻。旧姓は前田。
小売関係の会社員。
<ここから本編>
牧子との話し合いの後、文也の生活は特に変わらなかった。
変化がないということはつまり、牧子からこれといったアクションが無かったことを意味する。
仕事は相変わらずの激務であった。中途半端な役職に就いているせいで、部署の成果を気にしながら、自分の業務をこなし、部下の教育や尻拭いもしていた。
終電ではまず帰れないため会社からマイカー通勤が黙認されていた。会社に寝泊まりすることもしばしば続いた。
そして家に帰れば会話のない夫婦関係。部屋数が多い分、一つ屋根の下でも会わないようにすればそれは可能だった。
この生活は、確実に文也の精神を蝕んでいく。
*
文也は物流企業で勤務している。
メーカーや商社の依頼で物を運ぶということが主だった業務だ。
「このプロジェクトは、奥野に任せる」
「え、はい」
朝礼で文也の上司が指示した。
プロジェクトの内容というのは、それなりの経験が無いとできない仕事であった。
とある依頼元のメーカーの超大型精密機械を2か月の間に、アジア地域へ20台輸出する業務の総指揮である。
物量は海上コンテナ100本分、それも天井と壁が無いような特殊なコンテナがその分量必要であり、輸出入業を噛んだことのある人間なら
「絶対ゲロ吐く」
といった仕事であった。
しかも精密機械というのはほとんど生き物みたいなもので、予定通りに出来上がるということが少ない。
最終検査で異常が見つかることが多く、その後の段取りを全て狂わしてくれる。
それでもメーカーの要求は最短での輸出である。最短の段取りをしておいてメーカーの製品の仕上がりを指くわえながら待ち、検査で異常があれば全て段取りをし直す。
段取りのし直しとはすなわち、トラック、トレーラー、輸出梱包、荷役作業、コンテナ船、現地国手配、全てやり替えである。その最中の電話では怒号が飛び交うのが普通である。
以前、1ヶ月で同じ機械3台の輸出を担当した若手が精神病で会社を辞めた。
しかも文也の場合、これ以外にも沢山の業務を抱えている。
「会社は俺を殺そうとしている」
と冗談交じりに部下の一人と話していたのも束の間、プロジェクトはスタートする。
文也はメーカーから配布された目が痛くなるぐらい細かい生産工程表を見ながら輸出作業スケジュールを立てていく。
*
プロジェクトがスタートしてから1ヶ月経ち、文也はトラブル続きながらもなんとか仕事をこなしていた。
激務の中、鬱というよりは逆に気分がハイになっている感覚であった。
しかし体に違和感があった。
「左手の震えが止まらん・・・・」
キーボードを打つ手に力が入らない。
コーヒーの入ったペットボトルを左手で持つと思わず落としそうになる。
「ストレスだろうか」
今まで仕事のストレスで腹を下したり蕁麻疹が出るようなことは数限りなく経験してきた文也であったが、手の震えは初めてだった。
症状をインターネットで検索すると、ストレスによるものの可能性が高そうだった。
現に、土日の牧子のいない自宅でゆっくり休んでいる時は全く震えはない。
休憩中に部下と話す。
「なんか最近左手が震えるんだけど」
「え、絶対ストレスですよね。やべーっすね」
部下は渡辺といい、なんでも要領よくこなす20代後半の男だ。
文也とは気が合い、よく二人で飲みに行く仲である。人懐っこい一方で堂々とした振る舞いのエリートだったが、若ハゲであった。
「今家の方も大変って言ってましたもんねー」
「仕事だけじゃなく家も辛いってなると、こうなるみたいだな」
「仕事の愚痴なら、僕全然聞きますよ」
「ああ、ありがとう。お礼にジュース奢るわ」
渡辺と話している時が文也にとっての癒しであった。
そうこうしているうちにプロジェクトは無事終わるも、文也の左手の震えは止まらない。
*
「ちょっと奥野、今いいか」
「はい、なんでしょう」
上司が文也を別室に呼ぶ。
「例のプロジェクト、ご苦労さん」
「ありがとうございます」
「おかげで先月の売り上げはうちの部署で史上初の1億円を突破したよ」
「まあ、その分かなり辛かったですけどね」
「お前に任せて良かったよ。ところで・・・・」
「ところで?」
「その例の大型精密機械メーカーの中にうちの出張所を作りたくてな。あっちのお上からもその方がお互いやりやすいのではないかと要望が出てるんだ。いずれ、という話だが。奥野、その時は立ち上げ頼むわ。」
「え」
そのメーカーは隣県に位置していたが、車で片道3時間はかかり、文也の自宅からはまず通える距離ではない。行くとなれば単身赴任となる。
妻と離れるのは大いに結構だが、新築の家はどうなるか、と文也は考えた。
「さらに、なんだけど」
上司が続ける。
「今度九州にもうちの部署を作りたくてな。それも立ち上げに行って欲しいんだよ。奥野、立ち上げ好きだろ。」
「え、僕、立ち上げ好きそうに見えますかね」
「お前と言ったら立ち上げだろ。幹部連中、みんなそう思ってるぞ」
「はあ・・・・」
そう会社の幹部連中が判断するのも当然であった。
文也には細かい業務やルーチンワークをやらせるとケアレスミスが多く、顛末書沙汰になることさえあった。一方で、色々なところに行かせてゼロから仕組みを作らせる分にはよく働いた。
「というわけで、メーカー内の出張所の立ち上げのあとは、九州に行って欲しい。時期は未定だが、そんなに遠くないと思う。」
「では、今の部署の次期課長はどうするんですか?」
文也は現在課長代理であり、普通ではもう1年か2年したら課長になる時期であった。
「うん、それは丸山さんに任せるつもりだ」
丸山さんというのは文也の部下であり、5歳下の女性社員だ。旧帝大卒業、一度物事を見たら瞬間的に記憶してしまう直観像記憶能力を持ち、入社からずっとチート扱いされている女の子である。
文也の会社で初の生え抜きの女性役員になるのではないかと期待されている。文也は自分の部下である丸山と比較されて上司から叱責されることが何度かあり、あまり良いと思える存在ではなかった。
「はあ、そうなると僕は?」
「立ち上げ専門部隊だな。正式には営業課長という立場になると思う」
「・・・・分かりました」
別室での打ち合わせは終わった。
「いずれ単身赴任か・・・・」
文也はひとり呟く。
妻からは離れられる。しかし問題を先延ばしにするだけだ。
新築の家も勿体ない。
なにより、営業課長と言う立場はメインストリームからは外れたようなもので、主幹の課長の席は部下の丸山に取られた形になる。
そもそも自分の下の世代が優秀過ぎるということは前から感じていたことであった。
リーマンショックから始まった就職氷河期で、文也の会社の規模の割には優秀な人材が入社することが明らかに多くなった。
丸山、渡辺だけでなく、年下世代で優秀な人間を何十人も知っている。
文也が彼ら彼女らに勝っているのは知識と経験のみで、いわゆる地頭では全く及ばない自覚がある。
「いずれ追いつかれ、抜かれる」
と常々不安に思ってたことが、現実になってきた瞬間である。
10年、20年と激務を乗り越えた先に待っているのは、年下上司に囲まれる窓際社員の未来でしかなかった。
久々に日付けが変わる前に帰宅する。
途中の車内で文也は考えていた。
「もう、全部捨てたいな・・・・」
ハンドルを握る左手に力は入らなかった。
続く
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