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1、タクの生い立ち

1987年 5月生まれ 
A型   
35歳の男です。(2022年 現在)
身長が167cm
(※男性の平均身長に達していないのが悔しいw)

生まれも育ちも大阪府。

ほぼ幼少期の頃の記憶はないのですが
なぜか嫌な記憶だけは、すごく鮮明で

「なんで自分はこんなにダメダメなんやろう。。。」

とリアルに数千回は今まで考えてきたと思います。


なぜこんな思考回路なのか。
それは幼少期にまで遡ります。

内気で気弱で、声が全然でなかった幼稚園時代。

小学6年間で誇れることが
「九九を早く言える」ってことで褒められたくらいですw

6年生の頃に、ドッジボールで毎回決まって
複数人から狙われるという、今考えるといじめだったかな
と思うことも経験してきました。

治安の悪い街で、中学生時代は
数学の授業を受けている最中に
他校のヤンキー同士が合同チームを作り
殴り込みに学校襲撃事件があったほど。

この時、生徒を守るため必死に立ち向かってくれた
生徒指導の先生が生死をさまよう
レベルで瀕死になる重症を負いました。

※当然ニュースや新聞にも載りました(汗)

また

バス遠足で目的地に向かう途中
バスが数十台の暴走族に囲まれる。

などなど。

これらは未だに、思い出しただけで震えるほど
怖かった記憶でしかありません。

こんな、とてつもなく荒れた街で育ちましたが
タクはグレるどころか真逆の超気弱
芯もか細く、存在もよく忘れられるような
影の薄いヤツでした。

ただ、両親からの愛情が半端なかったため
なんとか期待に応えないと」という思いだけは
人一倍ありました。

両親を含め、誰も気づいてはいませんが
実は物心ついたときから、その内なる炎だけは
ずっとメラメラと燃えていました。

ただ、、、何をやっても
とにかく自分の思い描く結果にならない

というジレンマを抱えていて、もどかしい思いを
ずっとしていました。

20代まで、これが非常に多かったのです。
「空回り」と言えば、まだ聞こえは良い方だと思います。

「良いこと思いついた!」と思って
即行動しても、まったく予想した良い結果にならず
落ち込む、ということを人生でもう何万回も繰り返してきたと
思います。

成人してから気づいたのですが
どうやら私、とある発達障がいを患っていたみたいで。
もちろん「発達障がい」では障がい者手帳はもらえません。
いわゆるグレーゾーンです。

ずいぶん大人になって勉強したことで
「上手な自分との付き合い方」なるものを
発見できましたが、そんなことを知らない子ども時代は

とにかく失敗➔失敗➔改善してもまた失敗
この繰り返しです w

両親はそれでも期待するわけですよね。
そんな私に。溺愛されてましたからね。

完全なる過保護です。
小学校のときに、少し嫌がらせを受けていたタクを
発見したときには。。。それはもう…

家に帰れば夜が深くなるとかお構いなしで
とんでもなく根掘り葉掘り聞かれる「事情聴取」
が待っていました。

その後、母より学校への電話。
(当時の先生方、ごめんなさい汗)
その時は別に「いじめを受けた」とは
思ってはいないのですが、何せタクが流暢に
説明できないし、理解してもらえる様しゃべれませんから。。。

両親としては必死だったのでしょう。
愛しい我が子が
「いじめを受けている可能性がある!なんとかせな!」と。

ちなみに、この件は
小学校3年生(9歳くらいかな)のときの話です。

この調子だと、私の知らないところでも
ありとあらゆる事をして
守ってくれていたのでしょうね。

過保護エピソードは尽きないのですが、他にも
✅小学校5年生にもなって❝朝早くて薄暗いから❞と
適度な距離をとって、学校まで一緒に付いてきたり
✅部活の試合で負ければ、私以上に涙を流していたり、と。
✅そろばんの試験で不合格だったときもシクシク泣いていたり

と、まぁとにかく、すさまじく溺愛されていましたね。
溺愛ぶりは、親元を離れた今もそうですが。


2、暗黒時代突入の序章

ここまでお読みいただければ、タクは

「FIREしてるくらいだから
超優秀で、超デキる男なんでしょ??」

という思考にはならなかったと思います。

「じゃあここからは右肩上がりの人生紹介になるのか?」
と聞かれれば、これまた真逆です。


ここからは超暗黒時代:まだ序章のお話です。

タクの一家は妹を入れて、4人家族です。
両親は、とあるスポーツで出会います。

そのスポーツ名はあえて伏せますが、そのスポーツで両親は
結構有名で、父親に関してはオリンピック候補に
あがるか否か、というレベルまで極めていました。

その影響もあり、私タクもそのスポーツに中学から本気で励みます。
タクの他にも、同級生3人と一緒にスタートです。
計4人で、タクの父親に学ぶ形でスタートしました。

平日は学校の部活で。
土日は、私達4人が校外でタクの父親から指導を受けました。

が、やはり何をどう頑張っても上手くいかないことの方が多い。。。

「自分は親の血をひいているんだから絶対に努力したら
強くなるに決まってる!」

と、何度も自分に言い聞かせ、13歳の自分なりに
規定練習外の時間も、素振りや夜のランニング、シャドープレイ
参考書やメンタルトレーニング書を読み込むなど
影の努力をしてきたつもりです。

当時、好きだったマンガは野球漫画の「MAJOR」です。
※現在は主人公の息子にスポットを当てたシーズン2が始まっています。

その「MAJOR」で好きだったセリフに

『やらされていることは「努力」と言わねぇだろ?』

というものがあり、これにすごくシビれました。
※寺門が海堂をやめる時に五郎くんが放った名言です w
➔知っている人だけ共感してください^-^

そう、だからタク少年も隠れて必死に
努力を好んで頑張ってたんですよね。

でも….そこは「やっぱりタク」なんですよね(泣)

タクは、2年の秋から主将になるのですが
肝心の成績はというと、1年生のときは
地区大会でも1回戦負けが多かったです…。

方や、同級生たち3人は、1年生の秋頃からメキメキと頭角を現し
各大会ごとに、3人の誰かが3位入賞以上の大活躍。

つまり、団体戦においては、完全にタクが足を
引っ張る形となります。

大会の帰りは、みんなで自転車を並走して帰るのですが
タク以外のみんなはニコニコと楽しそうに喋ります。
対するタクは、どよーんと、一人くらい表情….。

でもね、みんなすごく優しいんです。
1・2回戦とかですぐに負けて、落こんでるタクにすっごく
気を遣って会話に入れてくれたり、話を振ってくれたり
学校の面白い話に変えてくれたりと、申し訳ないレベルで
優しくしてくれていました。

タクも泣きわめきたい気持ちを必死に堪えて
その会話に入りますが、間違いなく笑顔は引きつってたでしょうね。

タクの頭の中にあった「??謎??」は
なぜ横一線のよーいドンで始めたのに俺だけすぐ負けるんだ?
✅なぜ影で猛特訓をしている俺が一番勝てないんだ?
✅なぜ偉大な父親の血を引いている俺が一番成績がないんだ?

こんな脳内の「???」に加えて、気を遣ってくれるみんなの
優しさ、それも加えられ、当時はダメな意味での
痛いプライドが謎にグングン高くなるばかり…。

「どうせ俺が一番強くなるし、結果が今は出てないだけや」
「負けたやつに優しくするとかホンマないわー」

今考えると、非常に滑稽な考えです。
みんな好意で気を遣ってくれてるのに・・・。

もちろん口には出しませんが、自分を精神的に守る意味でも
こんな風に何らかの「強がり」で身を纏っていないと
歩けないくらいに、おかしくなりそうだったんですよね・・・。

そんな中、タク以外のみんなは市大会ではコンスタントに
結果を残せるようになり、2年生になる頃には「府大会」にも
進出していきます。

「府大会」には、市大会で3位入賞者を含めた8人が
エントリー可能です。
が・・・。当たり前に、タクは出られません。
そう、応援だけしに会場へ行く訳です。

同級生たちも普段は、私の父親が技術指導しているので
私の両親も一緒に会場に応援に行きます。
わかりますかね、試合のない自分が同級生たちを応援だけしに行く
この屈辱感。

当たり前ですが両親も我が子ではなく
息子のチームメイトを応援することになります。

府大会の予選で敗退すると、こうなることが容易に想像できるので
はらわたが煮えくり返る勢いで、負けた試合の夜は
自分をひたすら攻め続け、一人枕を濡らす
なんてしょっちゅうでした。

「府大会」に応援に行くと、タクの心中を知らない
他校の大会出場者には
「あれ?タクお前なにしに来たん?w」
と笑顔でいじられます。

もちろん、相手は全力の悪気ではありません。
それは分かっています。

が、相当に堪えます…全力で歯を噛み締めていました。

ちなみにですが前夜、両親には
「明日応援なんか行きたくないーーーー!情けないもん!!」
と泣きわめいて懇願しますが
返ってくる母親の答えは当たり前にNOです。

「あんた何言うてんの!○○くんらが試合するんやし、普段一緒に
頑張ってるんやから応援すんのがチームメイトってもんやろ!」
「あんたの分まで応援しなさい」
「大会に出場できひんかったんはあんたが負けたからや!」
「この悔しさをバネにしたらええねん!!」

母の言っていることは全て正しいですよね。

さて、ここで問題です。
この親の正論に対して、タクは素直に「そうやな!」
と考え改めることができたでしょうか??

・・・・・・・
・・・・
・・

はい、正解はこちら

➤「あいつらどうせ早く負けるやろから、まぁイヤやけど
見にいったろかな。他校の選手の偵察も兼ねて」

✅要約すると「クズすぎることを考えていた」でした!!

ほんと…いくら精神面が「子ども」とは言え
ひどすぎる。。。思考がマジで終わってます。
だから、勝てないんですよ。

今思い出しても、胸がキューっと締め付けられる思いです。

中学生時代の自分を養護するわけではないですが
一応、そのスポーツを通して

同級生たちに「どうしても負けたくなかった理由」があります。

当時は、そんな言葉を知りませんでしたが
彼ら全員、ヒエラルキーのピラミッドにおいて
トップ周辺に君臨していたのです。

私は説明するまでもなく、存在することすら忘れられるくらいですから
底辺中の底辺。
掃除の時間に、机を運ぶ際、机+イスを持ち上げ
後ろが見えない状態で移動していると
とある女子にぶつかってしまいました。

タクに悪気はもちろんありません、見えなかったため
ぶつかってしまっただけです。

それでも、その女子はお構いなく
「痛ったいなぁ!どこ見て歩いてんねんボケぇ!」
と罵声を浴びせてくる始末。

もちろん故意でないと言え、ぶつかったのはタクなので
怒られても仕方ないのですが、私は小さい声で
「ご、ごめん」と漏らすレベルでつぶやくのが精一杯でした。

そんな、クラス内でも底辺中の底辺な人間でしたので
そのスポーツだけは….せめて、それくらいは….

どうしても、勝っていたかったのです…。

彼らと私タクの圧倒的な差はまだまだありました。

チームメイトたちは勉強でもクラスで5本の指に入る常連
その内1人に関しては、学年でも15位以内という優秀さ
➔タクはクラスの下から数えた方が早いです。
体育の授業もカッコよくこなし、注目の的
女子人気もあり、タクの目の前でバレンタインチョコを渡されている光景をしっかり覚えています。
ユーモアがあり、発言にも芯がある
全員、タクより身長が高くてイケメン
僻みで生きるしかない、そんなタクにも、とことん優しい

どうでしょう??
なっかなか、きついと思いませんか?

しかも、、、

  • 朝の登校

  • 同じクラス(3年間のクラス替えでも誰かは同じという状況)

  • 部活

  • 土日の校外練習

  • 習い事

  • 習い事の行き帰り…

これら全て同じ行動を取っていました。

こんなチームメイトたちですから、私はどうしても
そのスポーツくらいは勝ちたかったのです。

ところが…です。

やっぱり何をやっても一定以上の痕跡を残す彼らには
それすらも勝てないのか….
というか、何をやっても人並み以下の自分には
そもそも無謀だったのかな・・・。

この事実に向き合うようになったのが
中学2年生の秋頃でした。

私が主将になった時期だったのですが
タク自身は、全てにおいて3人に劣っている…
でも、普段のコーチはタクの父親、という状況の中
みんなのすごく上手な説得によって
タクが主将になる運びとなったのです。

ほんと….周りにはエグいくらい気を遣ってもらっていたのが
ここでも分かると思います。

いわゆる❝お情け❞キャプテンですね(汗)

そこで本音や弱音なんて吐ける訳がありませんから
「タクほどキャプテンにふさわしいヤツはおらんって!」
と言われ
「よっしゃ分かった!ほなやらしてもらうわな!」
極力、気丈に振る舞いましたが、これもタクの本音でないことは
言うまでもありません。

チームメイトたちは心から優しかったんですよ。
僻みまくりのこんな私にも・・・。

このような主将決定の流れもあり
脳内も心中も大変極まりなかったのですが
心が空っぽになっていったのも、この時期からです。

もう、人生というか、自分に対して
心から諦めてしまっていたんです。

「自分にも」
「まだ訪れていない自分の未来」
にすらも、徐々になんの期待もしなくなりました

もう2年生の3学期には、試合に負けても涙すらなく

「とりあえず誰にも迷惑をかけないように生きよう」
「親に迷惑をかけたくないから、両親の葬式までは生きよう」

と本気で考えていました。
まだ、この時14歳です。

怖いことに「これからこういう考え方で生きよう」とか
特段意識した訳ではなく、自然とそういう考え方に
なってしまっていたんですよね。

ある種の「鬱」だったかもしれません。

「精神科」という単語なんて知りませんでしたし
そういった「心の病気かも」という考え方や発想すら
できなかったので、まさに心ココにあらずという感じで
中学3年生を迎えました。

ちなみに、好きで始めたそのスポーツでしたので
「今すぐ勝ちたい!」という熱量はずいぶん冷めましたが
夜な夜なランニングなどは続けていました。

高校では、彼らとは違う環境で再スタートを切りたい
という考えも片隅にあったので、体力作りだけはしていました。


3年生になると、進路を真剣に考えないといけません。

私は勉強も面接もダメでしたので、高校進学でそのまま公立に
行ったとしても、地域で最も偏差値の低い学校に
行くことが容易に想像できました。

が….私にはまだ
とんでもなく悪くて意味なく高いだけの超無駄プライド
が存在し、親にこう頼み込みました。

お願いがある!
死ぬ気でスポーツするから
そのスポーツの強いところに入って自分を高めたい!!

正直、父親のコネや人脈があれば、これが可能だということを
分かっていました。
なんてったって、そのスポーツが超強かった自慢の父ですから。

これに関しては何度も議論を重ねました。
父のタクへの説得材料は

「今のお前の実力やと苦労するだけやから
俺が頼んだら入学と入部はできるけど、勧めはせんぞ?」

これも、すごく真っ当なアドバイスですよね?

ただ、当時の私の精神状況と選択肢、くだらないプライドを
守り抜くためにも、レベルの高い私立高校に行くしかなかったのです。

❝なりふり構ってられない・・・❞
苦しい状況を打破し、誰もが知る
勉強も各スポーツにも力を入れているエリート校に行くことが
一発逆転の方法だと。

もう俺にはこれしかない…

そんな心境でしたね。

夏休みの間に、一度だけその強豪校に父親に連れられ
見学させてもらいました。

ド緊張で、前夜になかなか寝付けなかったことを覚えています。

まず、練習場が近づいただけですぐに「そろそろやな」
と肌で感じ取り、分かりました。
スパイダーマンで言う所の
スパイダームズムズ(スパイダーセンス)ですね。
※わかる人だけ分かってくださいw

毎年、日本一(インターハイチャンピオン)
を目指している強豪校です。

ピリピリとした空気感が外にダダ漏れ。
鈍感なタクでも察することができました。

練習場の中は、監督の怒声や叱咤激励
選手たちの「フォイトー!!」「おうおう!!」
などの活気あふれる雰囲気。

正直、その空気感に対し、立っているのがやっとなほど
圧倒されたのを覚えています。

地元の中学生が部活でやってるレベルとは
比べ物にならず、とんでもない空気に包まれていました。

早速、制服からユニフォームに着替え
その練習の輪に入りますが、自分が下手すぎて….。
なのにその先輩たちがすぐ近くでスーパープレーを連発。

なのに、監督からは怒られるというとんもない環境。
そして、視線が痛い・・・。
ミス連発。ただでさえ下手なのに、余計にミス連発。
もう、泣きたかったですねw

必死に数時間、ド緊張の中、練習が休憩に入り
監督に呼ばれます。

「タクがスポーツ弱いのは別にかまへん。問題は気持ちやからな。
みんなこのスポーツが好きで集まってる。その代わり入学したら死ぬ気でやらなアカン。その覚悟あるんやったら、入学してもええわ」

ド緊張で足が震えていたので、確実ではありませんが
確かこんなことを言われたような気がします。


その夜、ずっと緊張が解けませんでしたが、それと同時に
わずかな「光」も感じていました。

あの環境で3年もやれば、変われる!輝ける!!

本気でそう思い、再びこのスポーツへの熱量
が戻ってきました(単純ですよねw)
同時に、父には「ここに入学するわ!」と決意表明しました。

その強豪校への見学もあってか
そこから一ヶ月後の試合で奇跡が起きます。

始めて地区大会(市)で3位に入賞できたのです!!

この大会は、シード選手が棄権したこと
府大会の予選も兼ねていないことなど、若干レベルの
低さも見られましたが、それでもタクにとっては
歓喜です。

どちらかと言えば、ホッとした気持ちで一番強かったのですが
まわりも、両親もすごく喜んでくれました^^


3、クズすぎるタク~一生の後悔~

ようやく、履歴書の戦績欄に記述できるようになった
タクですが、この頃には、みんなもそれぞれ志望校が定まり
「○月に受験やな」というムードになりました。

3人のチームメイトたちはもちろん、私の手の届かない
頭の良い公立へ受験準備を進めています。

この時、クラスメイトから進路を聞かれたときにタク
はこう答えていました。

「え?あ、俺?なんか○○高からスポーツ推薦もらったから勉強より練習頑張るわ!」

こんな事をドヤ顔で言っていたのです。
「スポーツ推薦」と言ってもこちらが頼み込んで入れてもらうだけ。
当たり前に、○○費用免除とかあるわけありません。

それでも、前回大会の成績が部内でたまたま一番良かったこと
(月曜日の学校集会で全校生徒の前で表彰されます)そして
タクの学力では到底その高校には行けない、ということを
知っているので、まわりは

「どうやらタクはガチでスポ推で○高らしい」
と噂されていました。

この時、天にも登る気持ちで、すんごく気持ち良かったんですよね。

まさに「ドヤっ!」って感じで、いつもより1.5倍くらい声も出ていたし
歩き方も堂々としていたと思います。w

これまで、クラスで何の注目もされなかったヤツが
「すげーーやんタク!」という空気を感じ、嬉しくて仕方なかったのです。

ただ、、、さすがは中学時代クズのタクです。
この頃、いよいよ取り返しのつかないことをやってのけます。

結論から言うと、今まで優しく接してくれた3人に対し
まさかのマウントを取ってしまうんですよね。

直接、何か言ったとかではなく、事あるごとに
「え?俺?○高行ってガチで強くなるけど?」
「(チームメイトの一人)は○高入学したら、弱ならん?めっちゃもったいなくない?」
「どうやら俺の行く○高って過去インターハイ優勝してるらしいねん、やばない?練習付いていけるかなぁ」

こんな、心から痛い、滑稽発言を幾度どなく
してきました。

スポーツ推薦の制度や仕組み的には、最低でも全国大会や近畿大会に
出場する選手に声がかかります。
私のチームメイトの戦績では、まず誰もかすりはしません。
よって、タクに関してはほぼ不可能な話、だったんですよね。

この時のタクの「ニセ:スポ推」の話を同級生たちは
賢いので、勘づいていたと思います。
「はは~ん、父親のコネね」って。
真意は確認していませんが。。。深く聞かれもしなかったので
3人とも察していたのでしょうね。

それでも、そのチームメイトたちは
「タクめっちゃすごいやん!絶対強なるしインターハイ出れるやん!また暇な時でええし相手してなーー」
という返答。

なんと神…。

こんな優しく、大人な発言をしてくれるチームメイトに
タクは止まることなく痛いマウント発言連発。

いよいよ、距離を置かれてしまいます。
完全に自業自得です、むしろ今までよく優しくしてくれていました(泣)

少し距離があることに、気づいたタクは
「はぁ?しょーもな!俺がええとこ行くからって、のけもの扱いかよ」
こう捉え、自分も極力避けるようにわざと行動していたり
悪態をつく行動なんかしていました。

タイミング的に、みんなそれぞれ部活の引退と
受験勉強という目的が同じなので、その3人は話が合います。
対するタクはひたすら練習とトレーニングに勤しんでいました。

こうして、ずーーーーーっと3年間苦楽をともに
戦ってきた3人にタクが自ら身を引く形になります。

極めつけは、3年間毎朝一緒に登校していたのに
それすら「もっとゆっくり行きたい」とか難癖つけて
登校すらも自分から身を引きました。

完全にクズですね、今思い出して書いているタクの表情や心中は
ゆがんでいますし、胸が痛すぎます。


こうして、、、期間にして2年半以上もともに
成長してきた環境をタク自ら壊した、ということ。
そのスポーツだけでなく、学習塾やTVゲームも一緒にやって
いたくらいの仲だったのに…
マジでこの頃の人生やり直したいですね(汗)

中学3年間は小学校6年間に比べ自我が芽生えたこと
そのスポーツに本気になったという大きな変化がありました。

が。。。タクはひどいヤツでした。
僻み・妬み・嫉妬・裏切り・クズ・卑屈・根性なし

この辺の単語がピッタリかと。

こうして、淡くて淡い中学3年間に幕を閉じます。

彼ら3人とは卒業式の日に、バーミヤンで
パフェを食べたきり、そこから一度も4人で集まってはいません。

完全に私タクのせいです…。

ほんとに…ごめんなさい。
心からあの頃の稚拙さを反省しています。
20年以上経った今も尚。

次はタクの人生で最もどん底だった3年間です。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
タイピングしながら、本当にしんどかったですw

でも、この中学編はタクの人生史において
暗黒時代の始まりに過ぎませんでした。

最も「死」を意識した『高校時代』へと
歩みます。

➤壮絶な過去、1億円積まれても戻りたくない高校時代

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