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21 関所の先に広がる大海

亀有で飲むときは、いつも決まってもつ焼き「江戸っ子」に行く。

この店は別名「亀有の関所」と称されるのだが、ぼくはこの関所を通り抜けたことがない。なぜなら、いつもこの店に引っかかって(江戸っ子風に言うなら“しっかかって”)、ここより先に歩を進めたことがないからだ。

亀有の駅から歩いてきて、関所に絡め取られて暖簾をくぐる。席に着くか着かぬかのうちに「飲み物なんにしますか?」と聞かれるので、定番のボール(下町ハイボール)を頼む。あとは、その日の気分でもつ焼きか、もつ刺しか、煮込みを頼む。ボールは3杯も飲めばちょうどいい気分。勘定を済ませたら、ほろ酔い加減でまた駅へ引き返す。いつ亀有に行っても、これの繰り返し。だからぼくは関所──江戸っ子の先に何があるのかを知らなかった。

あるとき、何の用事があったのかは覚えていないが、この関所を超えてさらに先行ってみた。江戸っ子のある場所から、店の前の道をそのまま北、つまり駅とは反対方向へ100メートルも歩いただろうか。唐突にその店は現れた。

店頭には大きな赤提灯が吊り下げられている。その赤提灯越しに見える外壁は、いまどき珍しい波板トタン張り。築が古いわけじゃない。レトロを気取って、あえての昭和感を演出しているのだ。

しかし、いちばん目を引いたのは船腹である。なんと、本物の船の胴体が縦に真っ二つに割られて軒の上に嵌め込まれ、「第八たから丸」という店名が墨書されている。

これ、よく観察してみると、トタンの落書きは暴走族風だし、軒の船腹も漁船とかではなく、公園でカップルが乗るようなボートが使われている。ということは、この船腹看板は「港から新鮮な魚介類を直行で!」とか、「元漁師だった店主による魚料理が自慢!」とか、そういうことを意味しているのではないことになる。

ちょっと考えれば、それはすぐにわかる。わかるのだが、たとえ公園のカップルボートでも、このように店頭の意匠として用いられ、なおかついかにも漁船風の名前を冠されていると、まるでそれが廃漁船の再利用であるかのように見え、なおかつ魚のうまい店に思えてしまうのだから不思議なもんだ。

いつもの自分なら「けっ、小賢しいことを……」とつぶやいて通り過ぎるところだが、その日はどうした気の迷いか、この錯覚に乗っかってみようと思った。亀有で飲む機会のひとつを、たまには江戸っ子ではなく、得体の知れない店に費やしてみるというのも、酔っ払いの戯れとしては有りだろう。

結局、そこはカウンターだけの立ち飲み店で、やはりよくある「なんちゃってレトロ系」の酒場ではあった。けれど、なぜだか居心地が良かった。時間が早いせいで客が少なかったということはあるかもしれないが、アサリの酒蒸しの汁が酒に疲れた胃袋に沁みた。

飲食では冒険をしない主義のぼくだが、ときにはこんなふうに酒という名の大海に命綱なしで飛び込んでみるのもおもしろい。

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