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22 よし、呑みに、行こう

いまや牛丼店も立派な酒場となった。そう、吉野家の「吉呑み」である。

たいていの牛丼チェーン店では、丼に盛られた牛丼だけでなく、ご飯と牛皿を分けて出す定食スタイルがある。そして、この牛皿は単品で頼むこともできる。これがいい酒の肴になるのだ。

瓶ビールを頼み、牛皿をつまみながら飲む。さらにお新香なんかもあれば上等だ。牛皿が約350円、生ビールが約400円、お新香が約120円。これで870円。セコい奴はさらに無料の紅生姜も加える。セン“ベロ”とはいかないが、千円札一枚で軽く引っ掛けていくには十分すぎる構成だ。

最初は、どこかの誰かがそんな風にして始めたのだろう。それが人から人へ伝わり、やがて、経営サイドが「これは新しいビジネスモデルになる」と気づいた。ならばもう少し豊かにするべく揚げ物や玉子焼き、冷奴、枝豆など、いかにも酒飲みに向けたメニューを用意して、その行為に「吉呑み」という名前をつけて公式なものとした。

吉呑みが正確にいつ始まったかはわからないが、ぼくの記憶ではマニタ書房を始めた直後くらいにその存在を知ったので、2013年の前後あたりのはずだ。

都内の一部店舗で実験的に開始され、やがて全国展開していった。さらに、それを追うように後続の牛丼チェーンなか卯も「呑み卯」を開始した。松屋も「松飲み」と称して後に続いた。ただ、松屋は早い段階から牛丼以外のメニューが豊富で、牛皿以外にもソーセージや焼き鮭、納豆など“飲める”メニューが多かったので、後追いという感じはしない。どちらかといえば、松屋こそが牛丼飲みの元祖と言えるかもしれない。

いずれにせよ、隙あらば酒を飲むことばかり考えているぼくのような人間にとって、こうした飲酒の現場が増えるのはありがたいことである。

とはいえ、問題がないわけでもない。

なんというか、世間体が悪いとでも申しましょうか、酒場ならいざ知らず、普通にお昼休みで食事をしに来ている皆さんの横で、真昼間から酒を煽っていることの罪悪感が、牛丼屋で飲むことには付きまとうのですね。

たとえば、牛丼屋で飲むことの顔が吉野家だとしよう。

吉野家の「吉呑み」で検索すると、サジェストで一緒に「底辺」とか出てきて、実に悲しい気持ちになるのだ。それは、「普通の酒場へ行くだけの金がない境遇」を指しているのか、あるいは「昼から飲まずにいられない酒クズ」を揶揄しているのか、はたまた両方の意味なのか──。

誰がなんと言おうと、いいじゃないか。底辺と言いたい奴には言わせとけ。

吉野家の吉の字は、正しくは口の上に乗ってるのが「士」ではなく「土」だ。ぼくの口は士(さむらい)ではなく、土着の口なのだ。稼ぎは少なくとも、毎日をささやかに楽しむことを優先したい。

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