見出し画像

30 魚の顔

前回の続きで、顔のある肴、すなわち「魚」について書く。

そもそもぼくは、魚が苦手だった。魚なんて食べたくない。できれば近寄りたくない。魚とは無縁の人生を送りたい。30歳くらいになるまで、わりと本気でそう思っていた。

NO FISH, NO LIFE.

そうじゃないか。

NO FISH, MY LIFE.

まあ、なんでもいいんだけど、ぼくがなぜ魚を嫌いになったかは、小学生の頃まで遡る。

うちは両親が共に福島県の米作農家の次男、次女で、それが戦後の集団就職を機に東京へ出てきた。そこで知り合って、所帯を持った。貧しい若夫婦、お互い福島の農家出身ということで、食卓はどうしたって質素なものとなる。一汁一菜、めしと味噌汁が基本。おかずといえば、夕暮れになるとラッパを吹いて売りに来る納豆か豆腐が一品。あとは魚。メザシか、塩ジャケか、アジの干物か。そんなものがあれば贅沢だ。

ぼくは昭和36年生まれ。昭和の子供だってハンバーグとか、ナポリタンとか、カレーライスとか、ハイカラなものを食いたいじゃないですか。でも、家の食事はそんな魚料理ばっかりなわけで、本当に、いま思い出しても家のご飯が嫌でしょうがなかった。

だから、子供時代のぼくは親に隠れてインスタントラーメンばかり食べていて、肝心の夕飯のときには何も食べられなくなっていた。痩せっぽちで、小学校の健康診断では栄養失調だと言われた。学校医には「これ以上即席ラーメンなんか食っていたらアンタ死ぬよ」とまで言われた。

それくらい、魚を中心とした食事が嫌だったのだ。

小学5年生のときだったろうか。夏の林間学校で群馬県の榛名山へ行った。そこで、夕飯に出たのが「鯉こく」だった。いま、ワープロでその名前を打っただけでも嫌〜な記憶が蘇って、心がゾワゾワする。

味噌汁の中に、生臭い川魚&鱗デカすぎ魚&死に際に口をパクパクするキモ魚&キング・オブ・クソ魚であるコイの野郎がドボーンと入ってる。よくもまあ小学生の夕食にそんなものを出すよな。それでも学校行事の夕食だから残すわけにもいかず、無理して食ったんですよ。そうしたら汁の中に鱗が入っていましてね、それがよりにもよってぼくの前歯の間に挟まった。わかりますか、この不快感!

それ以来、ぼくは決定的に魚がダメになった。元々好きでなかった魚が天敵になった。

以来、ずーっと魚を避けてきたのだけど、それが変わったのは30歳になってからだった。日本酒を飲むようになったわけですよ。アルコールそのものは20歳前後からずーっと飲んでいたけれど、30歳を過ぎたあたりから、日本酒も嗜むようになった。

で、日本酒にはやっぱり魚が合うんだよねー。

いまだに、榛名山のトラウマでコイだけは食えないけど、酒のおかげで魚そのものは大好物になった。酒というのはゲンキンなものだよ。

亡くなった父は魚が好きな人で、すごく綺麗な食べ方をしていた。サンマの塩焼きなんて、頭と中骨と尾っぽしか残らない。ようするに、ワタと、小骨と、皮を食べてしまえばいいだけのことで、そんなに難しいものではない。魚が苦手な人はどうしても皮とか小骨を残してしまうので、食べ終わった後の様子が汚らしくなる。

いろいろぼくとは折り合いの悪かった父だけれど、魚の食べ方だけは父に学んで、自分も綺麗に食べられるようになった。

ぼくが妻と出会ったのは友人たちとの合コンの場だけれど、付き合うようになってから「どうしてぼくを選んでくれたの」と聞いたら、「富澤さんがいちばん魚を綺麗に食べていた」と言ってくれた。このときばかりは父に感謝したな。

魚が大好きになったと言っても、なんでも食べるわけではない。何度も言うようにコイとかフナみたいな鱗のでかい川魚は無理。あとメザシもちょっと苦手。

シシャモは好んで食べる時期もあったけど、最近は食べない。シシャモって、味しないでしょう? しかも、世間の人はシシャモというと決まって子持ちを珍重するけど、本体以上にシシャモの卵って味が薄いから、なんか食べる意味を感じない。タラコとかイクラはうまいからいいけど、子持ちシシャモはうまいわけでもないのに大量の命を無駄に奪っている感じがして、罪悪感がハンパない。

好き嫌いとは別に、ぼくにはゲテモノ食いの傾向が少しあるので、珍しい魚と出会ったらつい食べてしまう。

いまから28年前、勤めていた会社を辞めてフリーランスになったとき、初めて北海道に行った。札幌から北見を経て、羅臼に出た。そこでトドのステーキを食った。トドって魚だろうか? クジラに近い獣肉の味がしたな。

その後、函館に移動して、適当な居酒屋に入ったらメニューにハッカク(八角)があった。断面が八角形だからそう呼ばれるが、正式名称はトクビレというらしい。そのときは塩焼きで食べたけど、脂のノリがいいので刺身の方がうまいらしい。ただし、アニサキスがいるので生食は注意が必要だ。

北海道から津軽海峡を渡って青森に入り、鰺ヶ沢の居酒屋ではマンボウを食べた。鳥のササミのように淡白な味で、お世辞にもうまいとは言い難いものだった。

この旅は札幌を起点として、北海道を半周してから青森、秋田、山形、福島と徐々に南下していって帰京した。最終的には10日間くらいの長旅だったが、上記した珍魚以外にもアジやマグロ、タイといったごく普通の魚も無数に食べた。

いまはもう隠居状態に近い身なので、時間だけはたくさんある。そのうちまた、各地の珍しい魚を食べ歩く旅がしたいものだ。

※写真は、岩手で食ったイルカの刺身。

気が向いたらサポートをお願いします。あなたのサポートで酎ハイがうまい。