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心の筋トレはじめました

根っからのミーハーで、好きなものがたくさんある。それぞれに好きのカタチもいろいろある。ずっと好きなものも、最近好きになったものも、それぞれの好きを私は楽しんでいる。

と、思っていた。

それが昨今のSNSの普及に伴い、特にこの1~2年、自分の好きを疑うことが増えてきた。他人の意見や推し方がどうしても目に入ってきてしまう。なかには自分の中の正義とは異なるものもある。いいとは思うけど自分には合わないものもある。私のスルースキルが足りず、そこにある種のモヤモヤを抱えるようになってしまった。

思えば子どもの頃から団体行動ができなくて、10人中9人が「いい!」と言ったものを「いやだ!」というようなコだった。あまのじゃくで頑固でわがままで自己中なまま大人になった。

最初は純粋に「いいな!」と推してたはずが、いろんな意見や言動が目に留まると「あぁ、またこのタイミングきたか」と、モヤモヤ期がやってくるようになった。まだ若かった頃はそれがモヤモヤ期とわからず全部受け止めてしまって立ち直れず、手放した推しもいくつかあった。

「みんながいいと言ってるものを、なぜ自分はいいと思えないのか?」
「自分の感性は歪んでいるのではないか?」
「年をとって感覚が古くなったのか?」
「私の考え方は間違ってるのか?」

幼い頃はまったく気にもしなかったが、最近はそんなことを考える時間が増えた。仕事なら周りに合わせたり、波風立てないようにやり過ごせるようにもなったし、そうすることに取り立てて何も思わなくなっていった。ただ、仕事じゃない好きでやってることにそんな思いをしなくちゃいけないのか……と。余計な疲労をしょいこんでアホやなと思うけど、ひたすら落ち込む。正直しんどい。仕事の疲れを癒すはずが、疲労×疲労=絶望になりかけていた。推したちは大好きなのに。

2023年春の足音が聞こえ始めた頃、またそんなモヤモヤ期の真っただ中で、出合ったのがこのコラムだった。私のために書いてくださったのか?と思うくらいに、心の奥底に丸めて押し込んでいた感情を、きちんと畳んで整理して表に出してくださった文章だった。おかげで今こうしてしわくちゃな心をなんとか整理して、noteを書くことで気持ちを立て直そうとしている。

読みながら目からウロコなのか何かがポロポロと落ちて、思わず机にあった筆ペンで手帳に書いてしまった。

ヘッダーにしたお隣さんに書いていただいた美文字とは見比べないでほしい

スローガンは「横を見るな。推しを見ろ」

VOCE「推し疲れ」経験者は7割!逃れられない「推し疲れ」の実態とは?より

今の私に必要なのは推しのA0ポスターよりも(いや、それはそれで欲しいけど)、このスローガンを書いたA0ポスターではないかとさえ思う。手帳を開くたびに「おい!しっかりしろ!」と心の背中を叩かれているような気持ちになる。もうわき目もふらずに推しを見ろ、私!

なんなら、久しぶりに沸いたこのときめきを、しんどさも含めて、思う存分味わってみてはいかがでしょう。健康な肉体を手に入れるには運動が欠かせないように、お顔のたるみを解消するためにマッサージをするように、この激しい気持ちのアップダウンも心のセルフケアだと捉えてみる。嫉妬も、モヤモヤも、イライラも、すべては心のハリを保つレッスン。推しは、心の皇潤です。時には推し疲れしながら、心の筋力を鍛えていきましょう。

VOCE 推し活のプロが、原因別に直伝!「推し疲れ」した、あなたの心を救うメンタルケア術とは?より

心のハリを保つレッスンが、心の筋トレがこんなに難しくしんどいのかと……。毎日が滝に打たれる修行のよう。ちょっと立ち直ったかも?と思った矢先に、またしんどくなるものを目にしてしまい、勝手に落ち込むという繰り返し。でも、この落ち込みもしんどさも今の私には必要なのかもしれない。調子にのるよりはずっといい。コラムを読んだ後の今なら、多少の強がりはあるけどそう思える。

まだ修行の途中だからしんどいのはしんどいけど、いつか振り返った時、このモヤモヤもいい勉強になったと笑って書けるようになる時がきっとくると思う。10年前、20年前しんどかったいろんなことを、今ようやく笑い話に消化できるようになったことを考えると、それくらいの時間は必要なのだ。今だけを考えて焦るのはもうやめる。やめたい。

推し疲れは、自分はどんなスタイルでオタクをやるのがいちばん楽しいかを考えるいい機会。ぜひ自分がハッピーになれるスタンスを見つけてください。

VOCE「推し疲れ」経験者は7割!逃れられない「推し疲れ」の実態とは?より

コラムを読んでから、自分がハッピーになれるスタンスって、なんだろう?とずっと考えていたけど、その究極の答えは「横を見るな」だった。

私が一番キツいな、しんどいなと感じるのが「みんながいいと言ってるものを、自分はいいと思えない」ことで、モヤモヤ期がやってくるきっかけの多くがこれだったことにコラムを読んで気がついた。10人中9人が「いい!」というものを「いやだ!」という人間なのだから、自分の好きを誰かの好きと並走させることがそもそも無理な話だったのだ。

義務でもないし仕事でもない。誰かに褒めてもらうためにするわけでもないのだから、変な気遣いしないで、無理に合わせたりしないで、自分の好きなようにすればいい。これに気づけただけでも、心のハリを少し取り戻せたかもしれない。原因がわかれば対処の仕方もある。

誰に似たのかわからないけど、自分が心から納得しなければ首を縦には振れない。そんな性格が災いして、失ったものや掴み損ねた縁もあったと思う。きっとこの先もあるだろう。それも含めて人生だなとようやく思えてきた。この両手に持てる量には限りがある。

推し疲れは、温泉は気持ちいいけど、ずっと入り続けることはできないのと一緒だと悟った。たぶん今の私は温泉の心地よさを通り越して、のぼせてしまったのだと思う。本来は熱めのお湯が好きやけど、今はちょっとぬるめが心穏やかに過ごせる気がする。温泉から一度あがって、足湯スペースで休憩するのも悪くないなと今なら思える。また熱いのに入りたくなったら入ればいい。自由に行き来していいんだと、当たり前のことをあらためてかみ締める。

ずっと「しんどい」と言うことにどこか後ろめたさがあった。なるべくそういうマイナスの言葉は表で言うべきではない、くらいに思っていた。今もまだそう思うところもあるけど、自分に遠慮して、しんどさを我慢するのはもうやめようと。きっと誰にも理解されないだろうけど、「しんどい」と口にすることは私にとってまぁまぁの挑戦だ。これまでの禁じ手を解禁したわけなので。自分に「しんどい」を許せるようになったと、前向きに考えたい。

誰のものでもない自分の人生、それも一度きり。だからこそ自分のペースで楽しむこと。過剰に周りを気にしすぎないこと。周囲の推し方と自分が合わないことに罪悪感を感じないこと。「みんな違って、みんないい」の原点に立ち返って、モヤモヤもイライラもおそれない焦らない。一歩進んで二歩下がるのペースでも大丈夫だと言い聞かせながら。ただ推しの幸せを祈りつつ、今日も私は心の筋トレに励むのだ。

お隣さん謎のリクエスト書いてくださってありがとうございました