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空っぽの胃袋に沁みたご褒美丼

時はさかのぼること2014年。この年の夏からプロの写真家さんが主宰する写真教室に月イチで東京へ通っていた。そして年明け3月に開催する生徒合同の卒業展に展示する写真を撮るために12月、宮城県東松島へ2泊3日の撮影旅に来ていた。

写真教室に通う当初から、半年後の卒業展には以前訪れた東松島の集会所で「おのくん」を作っているおかあちゃんたちの写真を!と思っていた。仕事でも書いたことがない企画書を書き、おのくんの広報をされている方に話を通し、クリスマスが間近に迫る頃、カメラと前に訪ねたときに連れ帰ったおのくんをリュックにつめて、東松島へ飛んだ。

当時、震災の影響で仙石線が途中から不通で、松島海岸駅からは代替バスに乗り換えた。そのあたりから突如緊張におそわれたことを今でもはっきり覚えている。「もし1枚も撮れなかったらどうしよう」「おかあちゃんたちの迷惑にならないかな……」。

お昼ご飯はバスに乗る前に、景気づけで海鮮丼でも食べてから行こうと思ってたのに、駅の売店で買ったおにぎり一個を食べるのがやっとだった。

陸前小野駅から歩いてすぐの仮設住宅の一角にあった集会所に到着すると、おかあちゃんたちは「よくきたねぇ~」とコーヒーを淹れてくれ、「写真?まぁ~!」と驚きつつも、きっといつもどおりな感じでおのくんをチクチク縫い始めた。部屋の隅で空気のようにその様子を眺めて、そっとシャッターをきった。

おのくんは1体1000円。買った人はおのくんの「里親」になります

夕方店じまいの時間まで滞在して、宿に着いても緊張が抜けきらず、夕飯も菓子パンを半分食べただけで終わった。

雪が舞い始めた2日目の朝も、前夜の半分残したパンをなんとか無理やり飲み込んで集会所へ。昨日と同じようにコーヒーを淹れてもらって、昨日と同じ隅っこの定位置へ。緊張は続いていたけど、初日よりはリラックスしてシャッターをきれたように思う。途中、集会所へおのくんを買い求めにきた方や、おのくんを連れて「里帰り」してきた里親さんたちとお話もした。

里帰りしてきたコと撮らせてもらった1枚。ちびっこいコもかわいいです

それでもやっぱり2日目もほとんど食事らしい食事はできなかった。緊張すると食べられなくなるのは、10年近くたった今も変わらない。

最終日の朝もパンを半分食べて宿をチェックアウト。3日目ともなると、コーヒーを淹れてもらった後に「コップは洗っておいてね」と、お客さんからココの子にプチ昇格していた。

お昼になり、おかあちゃんたちが仮設住宅に戻る中、リーダー格のおかあちゃんに「今日帰るの?お昼食べていきなよ」とお誘いを受け、集会所でごちそうになったご飯こそが、今日のnoteの主役だ。

集会所でいただいたおのくんのおかあちゃん作のいくら丼

いつもご飯写真を撮る時は一品につき3枚までと自分ルールを決めている。早く食べたいからという単純な理由と、特に誰かと一緒の時なら、ずっと撮ってるのは見苦しいと思うので。

ただこの時はまさかこんな贅沢丼が出てくるとは思わず、衝撃と速く食べたい衝動でこの1枚しか撮っていない。今見返しても画角もピントも正直甘い。でもそんなのかんけーねー輝きがある。美味しいは美しい。

実はハンドルネームにしている「ききどん」の「どん」は丼の「どん」だったりする。お米が大好きでおにぎりの具は梅干と昆布が東西横綱。とにかくご飯さえあれば……!という人間なのです。

そんな丼人間、米ラブ人間が3日間まともな食事ができなかったところに、初日狙ってた海鮮丼を急激な極度の緊張感で逃したところに、まさに彗星のごとくあらわれた贅沢いくら丼。これ都会で食べたらいくらするのか(いくらだけに)(言うてる場合か)。

小さな丼だったのに大盛り食べたくらいの満足感。3日間ほとんど食べてなかったせいで胃袋がびっくりして、いつもよりめちゃくちゃゆっくり噛みしめながら食べた。おかあちゃんには食べるの遅いコぉやなぁと思われたろう。

いくらひと粒ひと粒弾けるたびに、口いっぱいに海がひろがったあの香り。思い出して息を吸い込むと、今もほんのり思い出せる。あれ以上に美味いいくら丼にあれからまだ出合えていない。

おかあちゃんは特別な思いをもって作ったわけではなかったと思う。いつも食べてるご飯をお裾分けしてくれたんだと。ただ、ほとんど食べられない緊張感の中で過ごしてきたわたしには、ご褒美以外のなにものでもない特別なご飯だった。

やるせない出来事や無力感の連続に日々いろんなものをすり減らして生きる毎日の中、このいくら丼は、真心をもって飛び込めば道は拓けると体感できたあの時間を思い出させてくれる。時空を超えて何度でもエールをくれる。

もう一度、ごちそうさまでした!