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母の日は、苦手だ。

もう何回目だろうか

町中が緑々しく生い茂り、鯉が空を悠々と泳ぐ。春の終わりと夏の始まりが入り混じった香りが心地よいそんなゴールデンウィーク明け。
ピンク色のカーネーションが花屋を彩り、
SNSを開くと仲睦まじい親子の写真が並ぶ
5月の第二日曜日。

この日ばかりは、見ず知らずの他人と自分を比較してしまって

どこか寂しくて、悲しくて、虚しくて。

そっとsnsを閉じて1日を過ごす。

絶対に叶わないのに。
もしお母さんがいたら、と考えずにはいられない日。なんでもっと親孝行しなかったんだろうと自分を悔やまずにはいられない日。

私にとって1年で唯一、"母の日"は苦手な1日だ。

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私が5歳の時、母は乳がんになった。
物心ついた時から私の知ってる母は病気と隣り合わせの母。
10年間闘病の末、50歳で亡くなった。
人生100年時代と言われる今、流石に早すぎる別れだった。

父が医師であったため母の治療は亡くなるギリギリまで自宅で行われていた。幼少期から思春期の盛んな時期、母の闘病を毎日見ていたのだから、日に日に弱っていく母に気づいてはいたけれども。

どこかそれが当たり前かのような錯覚にも陥ってたのだろう。だって10年だよ?まだ誰も知人を亡くしたことがない私にとっては親族が、ましてや母が死ぬなんて考えられなかった。

いや、そんなのただの言い訳で私が幼すぎただけなのかもしれない。
母を見ていることができなくなって家に帰る日が少なくなったのは、どこか逃げていただけなのかもしれない。

ごめんねお母さん。
怖くてお見舞いにいけなかったんだ。
ずっと一緒にいたかったから、ありがとうなんて伝えられなかったんだ。

2015年4月9日
「今日は今すぐ病院に来なさい。ママの調子が凄く悪い。」

今でも胸がぎゅっと締め付けられて苦しくなる。
父から入ったこのメッセージで別れを悟れないほど、私も幼くなかった。

医者はすごい。命日をちゃんと予測できるんだから。
でもそんな能力いらない。お母さんを元気にしてほしい。


少しずつ終わりに向かっているように思えて。
生から離れていっているように思えて。

「....明日は部活休んでお母さんのそばにいるから」
母の側を離れるのが怖くて自然と口からこぼれ出た。

「お母さんはあなたに迷惑をかけるために病気になったんじゃないの」
母は苦しそうにしながらも優しく、強く返事をし2時間後には帰らぬ人になった。
最後まで自分のことは後回し。誰にも迷惑をかけたくない。そんな母だった。

母の涙を見たのは、この日が最初で最後だった。

叔母とのLINE。 大吉なんて嘘っぱちだ。


子供の時不思議だった。
自分にとって大切な故人は帰ってこないのになぜ、人は使命感を持って行動するんだろうと。
もうこんなことが起きないように、とか
もっと世の中が良くなるように、とか
綺麗事じゃん。大好きな人は帰ってこないんだから意味ないじゃん。
って思ってた。

でも今になって少しだけわかるかもしれない。
社会のためとか使命感とか、そんな綺麗事だけじゃなくて
何もしてやれなかった自分の無力感や罪悪感を少しでも返済させるためという自分のエゴなのかもしれない。

何もすることがなかった母の日を。
何もできなかった母の日を。
私は自分のエゴ丸出しの事業で、母のような自分のことを後回しにしてしまう全ての40〜50代女性を元気にしたい。

今年から、少しだけ5月の第二日曜日が楽しみになりそうだ。

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