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噴水を見るとコインを投げたくなる?

「風呂敷広げてそのまんま」は、日々の中で気になったことを、勝手気ままに話を広げて、特に結論もつけないシリーズ。

古今東西、噴水を見るとコインを投げ入れたくなるのは、なぜでしょう。

噴水にコインを投げ入れると、願い事が叶うというのはローマの噴水から来ているらしいのですが、こんなとこでもお願いごと?!といつも不思議に思っています。

先日も、ショッピングモールの中にある、大小すべての噴水にコインが入っていて、期待を裏切らないなあと、ちょっとうれしくなりました。

私なりの考察。

  1. 困ったときの神頼み。いつも何かお願いごとがあるから、噴水見るとすぐコインなげたくなっちゃう。

  2. ただなんか投げたい。

除夜の鐘を毎年鳴らすのも、人間は煩悩の塊だから。なので、いつもお願いごとがあるのではないでしょうか。

私は、あります。それは、欲ではない!ちょっと家が欲しいだけだ!小さくていい。ただトイレは二つ欲しい。

とか、自分だけは欲のない、清廉潔白な人間だと思っていますよね。私は、そうです。だから、毎年除夜の鐘がなるのでしょうね。尽きない欲望。。

そんな人は、噴水を見ると、これはチャンス!とばかりにコインを投げちゃうのかなと思ってみると、噴水が人間の欲望まみれに見えますね。

ただ、私は投げません。それは、ケチだからではありません。決して。
モールの噴水に投げて、家が降ってくるとは思えない。
超現実主義だからです。(=ケチ。知ってる)

生き物の住む自然の中にある池にも、コインを投げる人がいますが、それはいけません。自然破壊です。やめましょう。

ここでは、人工噴水にコインを投げ入れるのはなぜ?という話です。

アメリカの人工噴水には、よく「この池のコインは、慈善団体に寄付します」と書いてあります。いい感じで循環しています。

ただ、あのコインの数をただ人間の欲望の表れとみるには、人間のことを欲まみれの単細胞と簡単に片づけすぎではないでしょうか?
なので、ここは考察2の「ただ投げたかった」というのが、実は大多数なのではと思っています。

水たまりには必ず、石を投げた子供のころ。湖でも池でも、水を見ると何か投げたくなりますよね。平たい石があったら、横投げして、水切りをしたくなりますよね。わかります。私もそうです。

それは、私たちに残る狩猟本能なのでしょうか。それとも、何かに影響を与えたい自己顕示欲の表れなのでしょうか。

あの、静かな水面に波紋を起こした時の、静かな快感。腹の奥からゆらゆらとあがってくる、満足感。

そんな歓びが、たった石を投げるということで得られるのです。それは、投げずにいられませんよね。

でも、自然から隔絶された生活をおくる、現代人。
近くの水面が、モールの噴水だった。ということではないでしょうか。

コインを投げて、自分の中の原始的な欲望を満たしている。そう思うと、コインだらけの噴水は、日々に疲れた人間が、明日も頑張ろうという
「希望のキラメキ」にみえなくもないような。愛おしいですね。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。





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