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教育大学院で公平性・多様性を学ぶまで、もやもやを感じたときにどう伝えていいかわからなかった

ファシリテーター・ライフコーチのまなみです。
「自然の中に学びの場をつくる」ことを目標に、2024年5月からオンラインで「TAKIBI 〜焚火の輪で繋がる議論の場〜」を運営しています。


私は2022年夏から一年間ハーバード教育大学院に留学していました。教育学を学びに。
でも振り返ってみると、自分の人生を一番変えたのは「公平性」についての授業でした。教育大学院では、Equity & Opportunityと呼んでいます。もしかしたら日本で社会人を辞めて、わざわざアメリカまで学びに行ったのは、この授業を受けるためだったのかもしれません。そう思うくらい自分の価値観を変えた公平性の授業について書きたいと思います。


自分の人生を一番変えた「公平性」の授業ですが、思い出して頭に浮かぶのはもやもやした記憶です。
ハーバード教育大学院では公平性の授業は夏に全員が履修する必須授業となっていました。全員が履修するので、公平性の授業自体も次のように細かく分かれていました。

  • Race and ethnicity in context(人種と民族)

  • Gender and sexuality in context(ジェンダーとセクシュアリティ)

  • Citizenship and nationality in context(市民権と国籍)

  • Class in context(社会階層)

  • Language in context(言語)

  • Dis/ability in context(身体的特徴)


私はこの中でも、アメリカで特に大きいテーマとなっている、人種と民族の授業に割り当てられました。白人も黒人も、ヒスパニック系もアジア系も、様々な人種や民族の学生がいる中で公平性について話します。何を言うのは大丈夫で、何を言うと炎上するのか、その場にいる全員にとって非常に緊張感がある空間でした。

自分の中で苦い思い出となっているのは、この授業の中でのゲームです。ゲームはいたってシンプル。とあるお題に対して「そう思う」「どちらかといえばそう思う」「どちらかといえばそう思わない」「思わない」の立場を選んでそこに移動し、なぜ自分がそう考えたかを話します。問題はお題です。忘れもしないそのお題は「この公平性の授業を、白人男性が担当してもいいと思うか?」というものでした。

みなさんだったら四択のどれを選ぶでしょうか。当時見当もつかなかった私は、「どちらかといえばそう思う」を選びました。理由は自分の個人的な経験からです。私がオランダで通っていた学校には60ヶ国から生徒が集まっていたのですが、他の国の文化や歴史を尊重しようと私に教えてくれたのは、イギリス人の男性の先生だったからです。あの先生なら、きっとこの公平性の授業も受け持てる。そう思って「どちらかといえばそう思う」を選びました。

そのとき私の議論の相手になったのは、アメリカ育ちのヒスパニック系の女性でした。その女性は「思わない」を選んでいて、私がなんとなく過去の経験から出した意見に、猛反対しました。公平性の授業を特権属性である白人男性が受け持つから、アメリカではいつまで経っても人種差別がなくならないんだ、と。公平性の問題を本気で解決したければ、白人以外の黒人やヒスパニックが「代表(represent)」されることが必須だ、と彼女は半ば怒りながら語りました。アメリカの社会に慣れていなかった私は、彼女の意見がどういう意味を持つのかわからず、もやもやしたままその日は解散になりました。

でもその日の議論は、後日自分の身に降りかかってきました。私は卒業するときにアメリカと日本でコラボレーションできる教育の研究の機会を探していました。ハーバード教育大学院は公平性に力を入れているとはいえ、教授や講師のほとんどは白人のアメリカ人です。アメリカ人の同級生は卒業しても教授とコラボレーションしながら研究を続ける機会がたくさんありました。アジア系はマイノリティでしたが、かろうじて中国系の教授、韓国系の教授、そして日系ブラジル人の教授はいました。ただ、日本をそのまま「代表」している教授はいなかったのです。中国人の同級生が卒業後も中国系の教授とアメリカ・中国で共同研究する話を聞き、日本人である自分には機会が限られていることをもどかしく思いながら帰国しました。


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このように社会で立場が弱い属性(=マイノリティ)が「代表」されず、社会で立場が強い属性(=マジョリティ)が受けられるような機会を得られていないという構造的な問題は、アメリカだけでなく、どんな社会でも、色々な属性で起こっています。もちろん、日本でも起きています。
思い返せば、自分が一社目を辞めて二社目に転職しようと思った理由はポジティブなものも含めて色々あったのですが、引き金になったのは当時マネージャーだった男性からの言葉でした。結婚したばかりの私に1on1の場で、「女性は子どもを産める期間に限界があるから、結婚したらすぐ子どもを産んだ方がいい」「自分の部署ではマネージャーの職能まで上がる能力がある女性は今までいなかった」と言ったのです。
社会人二年目からリーダーを勤めていて、昇格が間近だと思っていた私はショックを受けました。客観的なデータだけ見たら生物学的に女性の年齢と子どもを産める確率に相関はあるでしょう。マネージャーになれる女性の数や比率だってそうです。でも、そのデータから物語を紡ぎ出しているのはいったい誰なのか。子どもが三人いても妻が育児・家事をすべて担当してくれて朝から晩まで働ける男性だから、仕事に没頭できる時間が長くて成功する確率が高く、その人たちの声だけやたら大きいのではないか。そんな言葉が喉まで出かかったのですが、どう伝えれば理解してもらえるのかわかりませんでした。

今期の連続テレビ小説の「虎に翼」でも、主人公の猪爪寅子が様々な女性差別に対して「はて?」と疑問を持ち、構造的におかしいことを説明していきます。でも当時の私は相手に説明できるほど、相手が間違っているのか、はたまた自分が間違っているのかの確信が持てませんでした。ただ一つ、この部署と私の考えが合っていないという感覚だけあったのです。このとき自分には、自分が思っていることを胸の奥底に隠して今の職場で働き続けるか、思い切って私の考えとは違うと意思表示して辞めるという選択肢しか思いつきませんでした。そして後者を選びました。それでもこの選択が正しかったのかという疑問は常につきまといました。私一人が辞めたとして、男性マネージャーは私の次にきた若い女性社員に同じことを繰り返し説明するだけだからです。
でも、私、そして世の中の女性の多くは、出産年齢の限界について知っていて、それでもなんとか自分らしくキャリアを積めないか、死ぬ気で模索しています。死ぬ気で模索した結果、自分らしさを捨ててマジョリティのように振る舞う人もいます。この闘いに勝てそうもないと、早々に諦める人もいます。その人たちが本来持っていた声ははるか彼方に葬られ、構造的に有利だった属性の人の声だけが「あなたもできる」と社内やメディア上でこだましている。そんなふうに見えました。


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女性は日本社会のマイノリティで最も数が多いため、日本でダイバーシティというとジェンダーの話に焦点が当たりがちです。しかし、この公平性・多様性の問題は女性だけが抱えている問題ではありません。
たとえば私は教育業界で働いていますが、偏差値や成績が低い生徒を「やる気がない」と括って、「やる気を上げて」勉強させようとすることにずっと違和感を抱いていました。大人に「やる気がない」と括られていた生徒は、よくよく話を聞くと別のことに興味があったり、勉強以前に人間関係や経済状況で不安を覚えていたりする子がほとんどでした。

本来人の能力は多岐に渡ります。時代によって求められる能力は違いますし、同じ時代でも国によって、あるいは仕事によっても違います。英語や数学に興味がなくても、料理やデザインやスポーツには興味があったとしたら、どれも本来は仕事にも研究対象にもなりうるものです。社会において特定の能力だけ重要だとみなすことは、個人の問題ではなく、社会の問題です。
また、ペーパーテストでは特定の分野での学力しか測ることができません。たとえその人が裏で自分のアイデンティティのこと、言語を理解すること、健康状態のこと、家族の経済状況のことで悩んでいて勉強に至らなかったとしても、そのことはペーパーテスト上では一切考慮されないのです。アメリカでは人種がその人の学歴ひいては卒業後の経済状況と関係があるというデータが出ていますし、日本でも学校ランク(偏差値)と学校SES(Socio-Economic Status:個人または家族の社会状況のこと)が関係するというデータがあります。個人の能力ややる気以前に、社会的に他の属性よりも不利な属性が存在することがデータで証明されています。

日本の高校教育は「生まれ」によって生徒を序列化された各学校に隔離し、異なる教育空間の中で卒業生を見本として進路を自発的に選ばせる社会化装置なのだ。 - 松岡亮二『教育論の新常識』より


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多様性とは「ある集団の中に異なる特徴・特性を持つ人がともに存在すること」を指します。ハーバード教育大学院で公平性の授業のテーマになっていた人種、民族、ジェンダー、セクシュアリティ、市民権、国籍、社会階層、言語、身体的特徴、その他にも年齢、居住地域、学歴、経済状況など…そして残念ながらすべての属性は平等ではありません。今の社会を生きていくために有利な属性もあれば、そうではない属性もあります。公平性は、どんな社会的な属性でも生きやすい社会を創るために必要な考え方であり、コミュニケーション方法です。それはどんな人でもマイノリティになりうる可能性があるからでもありますが、どんな人でもどこかにマイノリティ性を内包しているからでもあります。

たとえば入学試験や社内昇進で女性枠を設けると、「女性だけ優遇して不公平だ」という声が挙がります。でも女性枠は「女性を男性より優遇する」ためにあるわけではなく、「人口比率に合った割合で女性も集団を代表(represent)できるようにすることで、性別にかかわらずどんな人にも居場所があるというメッセージを発する」ためにあります。男女共学の大学も企業も歴史的に見ると100%男性しかいない状態から始まっていることがほとんどのため、「意思決定に関わる女性の比率を人口における男女比に近づける」必要があり、そのためにまずはその集団そのものの女性比率を上げる必要があります。そうしないと、いつまで経っても代々マジョリティである男性の視点しか、集団の意思決定に反映されないのです。
それでも「女性だけ優遇して不公平だ」という感情論が挙がるのは、男性側に「自分がマイノリティ(=学歴や経済状況で不利)になる」という恐れがあるからではないでしょうか。その恐れは、今マイノリティである人たちを抑圧することでは解消できません。社会の中で誰の声を聴けていないか、多様な人の証言やデータを分析して話し合いを進め、どんなマイノリティ性があっても生きやすい社会を創っていくことでしか改善できないのです。

なぜとある属性でマジョリティの人とマイノリティの人の間で、いつまで経ってもわかりあえないのか。それは互いにどこに立っているかを明らかにしないで話すからです。すべての属性がマジョリティである人なんていません。自分はとある属性を見るとマジョリティだからこんな特権を受けている。しかし、別の属性を見るとマイノリティだからこんなサポートが必要だ。どちらも認識する必要があります。
たとえば日本では年齢と力は大きな相関関係があります。誰でも一度は若いときに尊重に欠けた扱いを受けたことがあるのではないでしょうか。「年齢が若い」というマイノリティ性を自覚して次世代には同じ思いをさせたくないと思うか、自分もひどい扱いを受けたから年齢が上がったときに同じ振る舞いをしてもいいと思うか。ひとりひとりがどう考えるかによって社会のあり方は変わってきます。
これを書いている私自身、ジェンダーでいうとマイノリティですが、日本に住む日本人であり、比較的健康であり、学歴の機会もあり、とマジョリティとして恵まれているところも挙げればキリがありません。そのようなマジョリティ性は、他に困っている人に手を差し伸べる(lift up)ために使えるような人間になりたい。
ひとりひとりの中にマジョリティ性とマイノリティ性があることを自覚する。両方を切り離して見つめる。自分のマイノリティ性を通して社会で必要なことを感知し、マジョリティ性を使って理想の社会を実現する。これができれば、どんな人にも暮らしやすい社会を創るための建設的な話し合いができるはずです。


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マイノリティが自分の理想の生き方について話すことは、身勝手なことでしょうか。
人間の歴史に目を向ければ、歴史なんてマイノリティがマジョリティに対して決死の覚悟で自分の生きる権利を主張する、その繰り返しです。それが反乱であり、革命であり、戦争です。デモであり、ストライキです。歴史的なスピーチであり、人の心を震わせるアートでもあります。
どんな人でも生きやすい社会を、話し合いを通して創る。現代人はそんなことにチャレンジできるのではないか。
公平性と多様性について学ぶことは、どんな個人にとっても力になります。自分のマジョリティ性とマイノリティ性を認識して、今までもやもやと「自分個人のせいなのかも?」と悩んでいたことに対してしっかりと意見を言えるようになりたい。そんな方をTAKIBI Vol. 1でお待ちしています。


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「TAKIBI - 焚火の輪で繋がる議論の場」

大自然の中で焚火を囲んでいるかのように、オープンにフラットに自分の意見を言える。
TAKIBIは、時にゆっくりじっくり、時に踊り回るようなエネルギーで、誰もが自由に言葉を交わし、新たな発見を楽しむ場です。
自分の思いや他の人の視点に好奇心を持って、異なるバックグラウンドを持つ参加者と、みんなでどんな社会を創ることができるのか、一緒に考えてみませんか?


『TAKIBI Vol. 1:わかっているようでわかっていない多様性/公平性/構造的差別 〜自分の立っている場所を知り、声を出してみよう〜』

〇ファシリテーター:奥田 麻菜美、松下 琴乃
大学入試や昇進における女性枠、同性婚の是非、地方出身者の機会格差など…多様性/公平性/構造的差別に関する話題は様々ありますが、なぜこれらの議論はなかなか前進しないのでしょうか?
それはこれらのテーマが一人で解決できる問題ではなく、社会全体の構造に根ざしているからかもしれません。
あなたの中のもやもやを見つめ、自分の立ち位置を知り、声を出してみませんか?
①2024/5/19(日) 10:00-12:00 ※申込締切:5/18(土) 15:00まで
②2024/6/1(土) 16:00-18:00 ※申込締切:5/31(金) 15:00まで


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