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グッバイ桜川

阪神三宮から電車に揺られて、いい気持ちでガタンゴトンと夢を見ていた。
大学に通っていた頃の私の夢だった。
まだおぼこい顔をした私は
口紅だけ真っ赤でばかみたいなつけまつ毛を付けて
そこに突っ立っていた。


ほんとは、ここにいたくないよ。

「桜川ー。桜川ー。」

車内のアナウンスでハッと気が付いた。

飛び起きると阪神電車の桜川駅だった。

あれ、ここはどこだっけな。
座席に座り直す。

そう。

桜川の夢を見ていた。


大学3回生の頃だったと思う。
お金がなくて、2ヶ月だけ桜川のショーパブで働いた。
学費が払えなくて、明日食べるご飯もなくて
仕方なく受けたスナックの面接で

「もっとワリのいいバイトがあるんだけど、やらない?」

とママに連れて行かれたのが「そこ」だった。

時給はとんでもなく高かった。
ちょっとだけいろいろ我慢したら
学費も払えるし
生活していけるし
もっと頑張れば
好きな服だって買えるし
行きたいところに行ける気がする。

そもそも、やることは接客だから
衣装が過激なだけで
やることはスナックと変わらへんからね。
ママはタバコを吸いながらそう言った。

それで、私は
「母印でいいから」
と言われた書類に署名して、親指でハンコを押して「そこ」で働くことにした。

「そこ」はいつだって香水の匂いに溢れていた。
ショーの前にお姉さんたちが
鏡の前に座ってウィッグを整えて
念入りにメイクをし直して
さあ行くぞ!とばかりにめいめいの香水を身体中に吹き付けていた。

私はまず、アラビアンナイトみたいな衣装を渡されて
それからこれも、と真新しいピカピカの毛艶のウィッグを渡された。

「似合うと思うから」

とママが見立ててくれた
赤毛のポニーテール風の仕立てで

「あなた赤毛って感じ。アニーでいいんじゃない」

と言われた。
それで私は少々複雑な赤毛のアンに変身することになった。

ショーに出ている先輩たちは
ド派手な生活をしていた。

「明日までにホストに80万渡さなあかんねん!! マジでやばい!!」

と言った売れっ子の女の子は
その日のうちにピン札の100万円の束(あの、帯のついたやつ)をチップでゲットしていたし

ママはいつも毛皮のコートを着ていて
たまに乗ってくる車は私でも知ってるような高級車だった。

先輩は私をホストに連れて行きたがったけれど
とてもじゃないけど気後れして無理だった。

「ホスト、行ったことないんです」

うそー
マジでーー
何が楽しくて生きてんのんーーー

「趣味はなに? 」

と珍しそうに聞かれたけれど

「お、音楽、とか」

としどろもどろに答えるばかりだった。

「踊れるようになったらさ、好きなアーティストの曲とか使っていいよ」

ママは言った。

だけど、ジャズとかなんか、おしゃれなやつにしてね。それか女の子のアイドルの可愛いやつね。

ジャズとかなんかおしゃれなやつも、女の子のアイドルの可愛いやつも私は知らなくて
好きなアーティストはゴイステで
ゴイステは銀杏ボーイズになって
それも解散しちゃったところだった。

「銀河鉄道の夜」とショーパブは、似合うようで似合わないよね。

そんな感じで私もここには、似合わないんだと思う。

そう思いながらせっせとビールを運んでいた。

ショーが始まると、先輩たちはいつも煌びやかに踊った。
驚くほど高いヒールを履いて
艶やかな衣装をはためかせて
蝶のように舞っていた。
女の私でも見惚れるほどカッコよくて
フロアは拍手喝采だった。

かたや私はというと
ショーに出られるような立派なショーパブ嬢には、どうしたってなれなかった。

「立ち方がダメ」

といつもママに怒られていた。

「背筋伸ばして!お尻をピンと突き出して、お腹ヘコませて!」

「ほらまた、お腹が出てる!内股にならない!ヒール履き慣れてないの?」

「顔は派手やのになぁ。なんか自信のないオタクみたいな感じやんねぇ」

はあ、その通り自信の無いオタクなんです。

何度もそう言いたくて言えなくて俯いて、履き慣れないヒールの爪先を眺めていた。

ビシバシ飛んでくるママの声と圧倒的な女性社会。
化粧と香水と派手な下着と男遊び。
向いてない。辞めたい。だけどお金欲しい。

お金を稼いで
そんでまだ、生きてたい。

渦のようにいろんな気持ちが押し寄せた。


ある日サラリーマンの集団がやってきた。
忘年会の三次会だと言っていた気がする。
女の子たちが総出で接客した。
ドンチャン騒ぎだった。

ひとり隅っこで静かにビールを飲むおじさんがいた。
私も隅っこにいるタイプだったので、同じく隅っこでおじさんにお酌していた。
おじさんはローリングストーンズが好きだと言った。
私はキースリチャードは最高にかっこいいと思うと言った。
おじさんはとても喜んだ。
女の子と喋るのは苦手だとおじさんは言った。
だけど、若い衆がこういうところ好きやからね。ぼくは、そういうのよりおばちゃんの居てるスナックで歌う方が好きなんやけど。
それはカッコつけてるんじゃなくて、本当のことだと思った。
おじさんはたしかに、女の子が苦手そうな感じだった。

この人めっちゃええひとやな。

私はおじさんのことがすごく好きになった。

トイレに行くと言っておじさんが席を立って
私もおしぼりを渡すために着いて行った。
おしぼりを持ってトイレの前で立っていると
用を済ませたおじさんが出てきて
おしぼりを受け取って手と顔を拭いた。
そしてキッパリこう言った。

「君はこういうところに居る子じゃないと思う。」

何があったか知らんけど辞めた方がええ。
向いてないよ。
無理せんでいい。
無理したらあかんよ。

「あーーー泣かんでええ、泣かんといて」

おじさんはそう言って初めて私に触った。
泣いてる私の肩をヨシヨシとさすってくれた。

私は、ボロボロに、泣いた。

本当は辞めたかった。
学校行けなくてもいい。
あした食べるものがなくてもいい。
ここには居たくない。

わたし、こういうの、なんか、
もう、ぜんぜん、
ちゃんとやらなとおもうのに
ぜんぜん、
できないんです。


おじさんはうんうんと頷いた。

ここがダメな場所だとは思わない。
お姉さんたちは綺麗で背筋がピンと伸びていて
いつも笑ってる。
だからお姉さんたちはここに居ていい人なんだと思う。
けどいつまで経っても猫背のわたしは
ずっと悲しそうな顔をしていて
だからここに居る人じゃないんだ。


その後すぐにショーパブを辞めた。
学費は結局払えなくて大学は一度除籍処分になったけれど
大学側が儲けた猶予期間内にお金を納めれば復学出来ると言われて
その後なんとかもう一度お金を貯めて復学して
ちゃんとストレートで卒業することが出来た。


奇跡のような出会いだったなあと思う。

どこで何をしているおじさんなのか
なんて名前なのか
何にも知らないんだけど
私を助けてくれたので
おじさんに絶対にいいことがありますように、幸せなことがありますように、女の子を一人助けたんだから、その分絶対にいいことがあるに違いないです!!
と思って今も生きている。
そして、名前も知らないような、他人と言えるような人たちにさえ「生かされて」、私が今生きてるんだなあと
人間っていうのは、ただ生きているという、それだけのことが奇跡なんだなあと
つくづくそう思う。


ガタゴト、阪神電車は揺れる。


「桜川を出ますと次は〜……」

車両がゆるやかに桜川のホームから遠ざかっていく。

グッバイ桜川。

もう二度と
この駅で降りることは無いと思う。

だけど、ありがとね。

あの渦のような2ヶ月で私はちゃんと
自分にとって本当に大事なものに
気が付けていたのだと思う。

終点の難波駅までもうすぐだった。

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