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PNSE(継続的非記号体験)についての考察

はじめに

こんにちは!
瞑想実践研究科の心庵まもるです。
noteでは瞑想に纏わる情報発信を行っています。
瞑想実践の方法やその結果としての効用、また瞑想に関する雑記なども書くことがあります。

内容のベースは自身の瞑想実践に基づく研究の結果をお伝えしているものです。
時々、脱線することもありますが、お付き合い頂ければ幸いです。
また、私は著作活動も行っています。

現時点では4冊の著作Kindle(電子書籍)、POD(紙の本)という形式で出版しています。
どれも瞑想を起点とした日常にある様々な課題や問題と向き合うテーマです。

自己紹介がてら以下にリンクを張っておきます。
宜しければ覗いてみてください。

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何故、このように瞑想の本を起点とした執筆活動をしているのか。
その点については下記記事で語っています。

また、瞑想を広げる活動をしている理由については下記記事を参照してみて下さい。

前置きが長くなりましたが、以下より本編の記事になります。

1.PNSE(継続的非記号体験)とは何か?

瞑想は古来より宗教的な営みの中で実践されてきました。
その目的は「悟り」というような自己超越を示す境地に立つこと。
このことから瞑想は宗教上の専売特許のように思われてきました。

しかしながら、昨今では科学的な検証の対象となり、様々な現実的効能が明らかになると多くの人の関心を呼びました。
それは単純な流行ということとは異なり、はっきりと研究の対象としての「瞑想」という立ち位置が明確になってきているということです。

瞑想の科学的なアプローチによる研究を行っている博士の中でも最近、耳にすることが多くなった方がいます。
それは、ジェフリー・マーティン博士です。

博士は起業で成功を収めた経験もある実業家でもあります。
ただ、その成功により様々なものを手にしても幸せを感じれなかったと言います。

そのことから博士は本当の幸せを手に入れるための方法を研究する道に入りました。
博士の提唱する概念の一つにPNSEと呼ばれるものがあります。

PNSEとは邦訳すると継続的非記号体験と呼ばれます。
単純に「悟り」の状態と置き換えられて説明されることがあるようです。

しかし、実際のところはPNSEと「悟り」との間には異なる要素があるように思います。
ジェフリー・マーティン博士も、あまり宗教的な意味合いと混同することは好ましく考えてはいないようです。

瞑想による境地についてもロケーションという独特な言い回しを使用しています。
では、改めてPNSEとは何なのか。
ここを紐解いてみたいと思います。

PNSEを紐解く鍵は邦訳にあると考えられます。
継続的非記号体験。
この言葉は三つのパートからなります。

一つ目は「継続的」です。
つまり、PNSEは継続性のある心の状態を指していると考えられます。
二つ目は「非記号」になります。
ここは重要なパートです。

このパートを考えるにあたり、まず、「記号」とは何かを考える必要があるでしょう。
記号とは一番、分かりやすいのは「言葉」があります。

人は言葉を発しますが、口から発音されるものが全て言葉とは限りません。
言葉には意味があります。
この意味こそが単なる発音を言葉たらしめている。
そのように言えるでしょう。

では、言葉はイコール記号なのでしょうか。
そうではありません。

それならば継続的非言語体験としても良かったはずです。

ちなみに上記の言葉の意味づけを考えるならば、言葉が不在の状態が継続する体験と言えるかも知れません。
私たちの心の中には絶えず言葉が流れています。

何か思考する際には言葉が介在するからです。
言葉が心から存在しなくなれば思考は自動的に止まります。

この状態のことを指し示すならば上記の言葉になるはずです。
しかし、実際に使われているのは「言語」ではなく「記号」なのです。

では、記号とは一体、何を示しているのでしょうか。
それは言語も包括した、あらゆる意味づけされた存在。

例えば道路傍に一本の街路樹が立っているとしましょう。
これを見た時に私たちは心の中で「これは街路樹である」とか単に「樹木である」などと感じています。

例え頭の中に言葉は流れていないにせよ、私たちは目に入るものを意味あるアイコンとして処理しているのです。
本来、街路樹も見たままを受け入れるならば、ボコボコしてザラザラした表面をもった長くそびえる物体に過ぎません。

それを街路樹という一つのアイコンにして意味づけを行い、区別して認識する。
心にはそのような働きがあるのです。
街路樹だけではありません。

道路を走る車も、鉄の塊が動いている。
空にたなびく雲も青い色彩をバックにして白い何かが流れている。
ただ、あるがままに見えれば、そこに意味などありません。

このように意味づけしてアイコン化されたものが「記号」というものです。
話す言葉以外にも多くの記号が存在することで、その役割を区別して認識して私たちは生きています。

この「記号」の頭に「非」をつけるということは、一切のものをアイコン化しないという意味になるのです。
つまり、三つ目のパート「体験」と組み合わせて、考えれば、継続的非記号体験とは、全てがあるがままに感じ取っている状態を体験することであると言えるでしょう。

全ての事象を勝手な意味を載せずにあるがままに感じている状態。
それがPNSEであると言えます。

2.PNSEは「悟り」なのか?

PNSEについて、その邦訳から定義を読み解いてみました。
その定義に従えば、一切の意味づけを行わず事象のあるがままを捉えている状態だと言えます。

このことからPNSEは「悟り」であると理解する人が多く存在します。
しかしながら、実際のジェフリー・マーティン博士の解説などに当たっていくと少し事情が違ったものになります。

元々、先述したように博士は起業で成功した経験を持っています。
ところが、それでは全然、幸福感を得ることが出来なかった。
博士にとってPNSEとは真の幸福を得られた状態であるという認識があるようなのです。

PNSEの具体的な説明として良く使われるものに以下のような事柄があります。

・頭の中の思考がなくなる(薄れる)
・欠乏感が消えて穏やかになる
・感情的にならなくなり、落ち着いて来る
・幸福感が持続する


他にも様々なことが言われますが、ポイントを押さえれば上記のような事柄になります。
これらを鑑みると所謂、仏教などが指し示す「悟り」とは少し違うように感じます。

ジェフリー・マーティン博士はPNSEという心的状態に入ることをロケーションと呼んでいます。
ロケーションとは心的状態が変化して、その境地である場所を変えること。
つまり、PNSEとは心理的状態が穏やかで幸福感に満ちている場所へ移行する体験を指していることを意味します。

実際のところ博士は瞑想トランステックと呼ばれるテクノロジーを使って心的状態のロケーションを変えていくという研究をしています。
博士によれば、自分に合う技法を用いれば、4か月程度でPNSEを体験できるというのです。

このあたりの説明からもPNSEというものは「悟り」とは異なるものを指していると考えた方が良さそうに思います。
では、PNSEとは改めて何を指しているのでしょうか。

3.PNSEとサマーディ

PNSEは「悟り」を表しているわけではない。
だとするならば、一体、どのような理解をすれば良いのでしょうか。
結論から言えば、PNSEとは、どうやら「悟り」そのものというよりは、瞑想過程で生じるサマーディのことを指しているのではないか。

そう考えるとしっくりきます。
では、サマーディとは何か。
これについては過去に述べた記事があるので、そちらで詳しく考察しています。
ご参照頂ければと思います。

ここでは簡単にだけサマーディについて説明します。
サマーディとは瞑想過程で訪れるとても集中した状態のことです。
サマーディが起こると心はとても穏やかな状態になります。

とりわけ一切の出来事に対して純粋に向き合うことが出来るようになります。
サマーディが深まると意味づけをせず、あるがまま感受することも出来るようになってくるのです。

まさに非記号の体験だと言えます。
瞑想をし続ける限りには、継続性もあると言えるので、まさにサマーディはPNSEであると言っても良いのかも知れません。

4.PNSEとトランステック

PNSEについて考察してきました。
最後にPNSEという言葉に紐づいてよく用いられるトランステックについて考察してみたいと思います。

トランステックとは心理学や情報テクノロジーを組み合わせて、科学的に心身の幸福を追求する在り方のことです。
瞑想もその一環であると捉えられていますが、その受け止め方は心理学的であり、脳科学的でもあると言えます。

宗教のように古代の聖者の残した文献に基づいた実践や思想をベースにするのではなく、科学的検証を持って心身のウェルビーイング(根源的な幸福)を目指すわけです。

その考え方について賛否や好き嫌いのようなものはあるかも知れませんが、一つの可能性として面白いテーマではあるのかも知れません。
特に興味深いのはテクノロジーにより超音波を脳に当てることで意識変容を起こすなどの研究があります。

テクノロジーで意識変容を可能にする手段が確立できれば、瞑想の在り方などもまた変わってくるのではないか。
そんなことを空想したりもします。

何にせよウェルビーイングという観点に注目が集まるのは良いことです。

まとめ

本稿ではPNSE(継続的非記号体験)について考察しました。
アルファベットで横文字というものは、真新しさを感じますが、その内容は昔からある心理的状態を指し示す言葉に過ぎません。

各トピックで詳述してきましたが、本稿のまとめを簡略に述べるならば以下のようになります。

1.PNSE(継続的非記号体験)とは何か?
 ⇒ 全ての事象を勝手な意味を載せずにあるがままに感じている状態。

2.PNSEは「悟り」なのか?
  ⇒ PNSEは「悟り」とは異なる。

3.PNSEとサマーディ
 ⇒ PNSEは瞑想でいうところのサマーディに近い。あるいは、
   その特色を反映している。

4.PNSEとトランステック
 ⇒ 伝統や宗教的な解釈から科学的なアプローチへ。テクノロジーで
   意識変容を起こすサポートできる可能性が研究されている。

以上が各トピックのまとめになります。

長い文章をここまでお読み頂きまして感謝!

心庵まもる




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