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なぜ社会的地位の低いポンコツリーマンの私の幸福度が高いのか?

上記の音声内容を以下にまとめています。

今回は「なぜ社会的地位が低い私でも幸福度が高いのか」という完全に私に関する話をさせていただきます。

ただ、これは単なる自己紹介ではありません。

社会的地位の低さに悩んでいる、昇進や出世に縁がないサラリーマン生活を送っていることに悩んでいる方々に役立つ話だと思っています。

実際、私は現在進行形で自分を「ポンコツ」と思っていますが、3年前は絶望のどん底にいて、幸福度も非常に低かったです。

「自分は何をやっているんだろう、自分が嫌い、この生活が嫌い」と感じていましたし、妻や娘にまでその原因を求めてしまうほど、本当に最悪の状態でした。

しかし、今は幸福度がかなり高いです。60~70%ぐらいで、受験で言えば合格ラインに達しています。

残りの30%がなぜ満たされていないのかは後ほど説明しますが、幸福度はかなり高いです。

その理由を大きく3つのポイントでお話ししますので、上記のような悩みを抱えている方には参考になるはずです。

私は「幸せは既に存在するものであり、自分で作り出すもの」という考えを持って日々生きています。では、そんな私が幸福度が高い3つのポイントをお伝えします。

私の幸福度を高めるために実践していることは、以下の3つです。

  1. 家族や友人と過ごす小さな幸せを意識し、それを大切にしています。

  2.  自分のためだけの時間を一定量確保しています。

  3.  地位、名誉、金銭などの外的基準に左右されずに生活しています。

私のポンコツ歴

これらのことについて詳しくお話ししますが、その前に私がどれだけ「ポンコツ」かを自虐的に述べることになりますが、あえてお伝えします。

現在31歳で、妻と娘、そして犬と一緒に暮らしています。20代の間に未経験の異業種へ3回転職を成功させました。

転職が成功したと言えば聞こえはいいですが、実際には入社後、振るわなかったのが現実です。1回目の転職先では11ヶ月で辞め、2回目の会社では1年半で退職しました。

現在の会社にはやっと2年半ほど在籍しています。これだと単なる経歴のお話なので、今から私のポンコツ歴をお伝えします。

まず新卒で入社した最後のボーナスは最低評価でもらいました。それは、「こんな人いないだろう」と思われるほどの最低ランクでした。

これで、私がどれほど仕事ができないかが明確になりました。2つ目の会社では、11ヶ月で辞めました。仕事が本当に合わなかったんです。

成果を出せないことはもちろん、周囲との人間関係も上手くいかず、結局11ヶ月で退職しました。

最後の送別会では、直属の上司だった方に「1年未満で辞めるような人は好きではない」と言われました。つまり、私のことを嫌いだということを真正面から言われたわけですね。

3つ目の会社では、1年半働きましたが、売れない営業マンだったこともあり、「あなたは会社にとって大赤字」と言われ続けました。

そこから奮起することなく、さらに不適応感が増していきました。

採用担当者には「あなたを採用したのは失敗だった」と言われ、後悔されました。

結局、営業が全くできず、裏方の事務サポートへ異動しましたが、異動先の上司からは「お前はいらない」と言われました。

ただ、異動先がないため仕方なく受け入れられた、誰も望んでいない異動でした。インターン生にさえ営業成績で負け、彼らから「しっかりしろ」と言われるほどでした。

しかし、今勤めている4社目は比較的性に合っているようです。顧客やその家族、生徒との信頼関係や周囲の人間関係を上手く構築できています。

これが、私の幸福度につながっているように感じます。これまでの経験から、私がどれほど「ポンコツ」だったかがお分かりいただけると思います。

では本題である、なぜ私の幸福度が高いのか、詳しくお伝えしていきます。

幸福度が高い3つの理由

本題である私の幸福度が高い理由をお伝えします。以下3つとなります。

  1. 小さな幸せを意識して大切にしている

  2. 自分のための時間を一定量確保している

  3. お金、地位、名誉などの外的基準で生きていない

詳しくお伝えしていきます。

小さな幸せを意識して大切にしている

私が大切にしている幸せの1つ目は、家族や友人との間に生まれる小さな瞬間を意識し、それを大切にすることです。

幸せはすでに存在しているものだと私は考えています。たとえば、週に2回程度、妻と娘と夕飯を食べたり、遊んだり、寝る前にベッドで楽しく過ごしたり、本を読んだりすることから、大きな幸せを感じます。

多くの人にとっては当たり前の生活かもしれませんが、よく考えると、これは当たり前ではないんだと感じます。

横比較としては、世界の現状を見ると、ガザ地区やロシアとウクライナ、最近では日本の地震被災者のように、当たり前の生活が奪われた人々がいます。

そういった中で、妻と娘と普通に楽しく過ごせることは、本当に幸せなことだと感じます。

縦比較で、過去の日本を振り返ると、80年前には戦争をしていた時期もあります。

その時代に生きていた人々も、明日生きていられるかわからない、大切な人を失うかもしれないという不安の中で生活していました。

そう考えると、今の私たちがどれだけ幸せに置かれているかが分かります。

友人関係についても、私は現在福岡に住んでいますが、大学までは関東にいたため、友達の多くは関東にいます。

直接会う機会は少ないですが、LINEや通話で時々連絡を取り合っています。そういったかけがえのない繋がりは本当に貴重だと思います。

幸せのファクターとして、健康と人間関係が最も重要です。健康で人間関係が充実していれば、かなり幸せだと言えます。

多くの人が金銭や地位、名誉といったドーパミン的な欲求に走ることがありますが、そういったものに囚われすぎると、結局は幸せを感じにくくなってしまいます。

私は、そういった部分に恵まれているので、幸せを多く感じています。

しかし、家族と一日中一緒にいると、時にはそれが辛いこともあります。自分の時間も大切にしたいので、妻も私も一人の時間を大切にしています。

お互いの適切な距離感を見つけることが重要で、それぞれ異なるので、模索しながら最適なバランスを見つけています。娘に対しても同様です。

自分のための時間を一定量確保している

続いて、自分のための時間を一定量確保することが幸福度に与える影響についてです。

自分だけの時間がないと、幸福度が下がるとされています。これについては、「人生が充実する時間のつかい方」という本に記載があります。

人間にとって理想的な自分だけの余暇の時間は、1日に2~5時間と言われています。

2時間未満だと幸福度が下がり、逆に5時間以上だと同様に幸福度が下がるということです。

したがって、2~5時間の間に自分のための時間を確保することが理想的です。自分の時間が過剰にも不足にもならないようにすることが重要です。

個人的には、1日に3~4時間ほど自分だけの時間があれば十分だと感じています。

それ以上になると、やることがなくなり、暇を感じて逆にイライラすることがあります。

そうなると、「妻と過ごしたい」「娘と遊びたい」という欲求が湧いてきます。

自分にとって、1日3~4時間の自分の時間がちょうど良く、それが減るとストレスが溜まるように感じます。

そのため、仕事の勤務時間を減らしたり、効率的に動くこと、妻と相談して自分の時間を確保するなどの工夫をしています。

自分の時間をどう過ごしているかと言うと、好きなことに没頭しています。

それは、発信活動であったり、英語の勉強、読書、散歩などです。

外から見たら、ずっとボーッとしているように見えるかもしれませんが、私にとっては楽しい時間です。

お金、地位、名誉などの外的基準で生きていない

最後に、外的基準で生きないこと、特に地位、名誉、金銭などの外的基準を重視しない生き方についてです。

元々内向型の性格で、ブランド品を欲しがったり、格好いい車に乗りたいというような周囲に認められたいという欲求はあるものの、それが弱いです。

また、物欲もさほどありません。外的基準で生きることに意図的に距離を置くようにしたら、心がずっと楽になりました。

特にお金に関しては、無尽蔵に欲すると終わりがなく、いつまで経っても満足できないということを理解しています。

例えば、「サイコロジー・オブ・マネー」には、「お金への欲求は終わりがないため、追い求めれば破産する」という考えがあります。

具体的には、ラジャット・グプタ氏のように、莫大な資産を持っていても更なる富を求め、不正行為で失墜する例があります。

私は外的基準、特にお金を追い求める生き方を意図的に避けています。

しかし、完全に周囲の基準や影響から自由になるのは難しいです。

時には、出世した人や外資系で働く人を見て「かっこいい」と感じることもあります。

それでも、比較する基準を変え、自分と他者との違い、自分の強みを見つけることに焦点を当てています。

お金との向き合い方に関しては、お金は自由を得るためのツールであると考えています。

これはDAIGOさんの著書である「収入の9割はマネースクリプトで決まる」や「サイコロジー・オブ・マネー」にも共通する考え方です。

現在、私の幸福度は60~70%程度ですが、理想の生活を送るためにはまだお金が足りません。

正直、お金がもっとあれば、幸福度は90~100%に近づくと思います。そのため、キャリア開拓が私の今後の課題です。

この部分が私の幸福度をさらに高めるであろう伸びしろだと考えています。

以上で私の幸福度が高い理由についてお話ししました。

前提として、現在も私は十分に幸せだと感じています。ここまで、社会的地位が低いと自認する私が、なぜ幸福度が高いのかについて話してきました。

まとめ


まとめると、まず家族や友人との関わりに生まれる小さな幸せを意識し、大切にしています。

これが、当たり前ではないことを横比較や縦比較をすることで理解し、日々意識しています。

次に、自分のための時間を一定量確保しています。1日3~4時間は自分のために時間を作るように努力しています。

これが幸せの大きな要因です。そのため、仕事や家庭の事情に追われずに自分の時間を守るよう、妻と協力しながら仕事を効率化しています。

最後に、外的基準、特にお金や地位、名誉などの外的基準で生きないようにしています。

もともと外的基準への興味は低いですが、比較してしまうため、意図的に比較の基準を変えています。

自分の強みを見つけるための基準で比較し、理想的な生活を手に入れるためにお金をツールとして考えています。

理想の生活を考え、必要なお金を逆算していますが、現状ではまだ足りないと感じています。これが、幸福度をさらに高めるためのポイントだと意識しています。

他者に貢献しながらお金を稼ぐことは、私の目標です。これが私の話の要約です。

社会的地位の低さに悩んでいる方や、昇級・昇格を望んでいるけれど気力が湧かない方、幸福度が低く、もっと幸せになりたいと思っている方にとって、参考になれば幸いです。

幸福は既に存在しており、幸せの要素も既にあります。

そして、さらに幸せは作り出せるものです。この考えを念頭に置くことが、何かの役に立つはずです。

最後までお読みいただきありがとうございました。





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