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アメリカ駐在:ピックルボールで人生が変わった話 その8

初めての試合の惨敗から始まったピックルボール競技人生だったが目標にしていた全米大会、Nationalsに何とか出ることができた。表彰台に乗ることはできなかったけれどこの大会に出場できたことは素晴らしい経験だったと思う。ピックルボーラーにとっては夢の様な1週間だった。

そもそも、360度見渡してもピックルボールなんて環境はそうそう無い。ライブ会場ではバンドやDJが音楽を流し、時にはピックルボールがネタのスタンドアップコメディまでもあった。

選手の休む場所も設けられ、プロでもアマでもそこではマッサージが無料で受けられた。軽食や飲み物も無料でもらえるスタンドも各地にあった。
ハーフコートも会場の至る所にあって子供から大人まで遊べたり、選手がウォームアップに利用していた。
自分の試合がない時はクラブの人たちの応援に駆けつけたり、プロの試合を見たりと贅沢な時間を過ごした。

ナショナルに行く前に、何度かケンドルからシニアプロ目指してみたら?君ならいけるよ!と言われた事があったのだが、ラケット競技のバックグラウンドがない私にはどうしても現実的な話に思えなかった。しかも夫と私は2025年に帰任予定なので時間も足りない。
んーっと言葉を濁していると、「ただ上手くなりたいだけではなく目標を持つことが大事なのではないか?それに今まで自分が言ったことが当たらなかった事があったか?」と言われた。
確かに、2023年の初めに荒唐無稽に思われたケンドルの予言、
その1、クラブで今は無名(底辺)だけど年の終わりにはみんなが私を認識する様になる。
その2、ナショナルに出る。

は、首の皮1枚ながらも、確かにギリギリ叶っていた。

でも私なんかが目標にするのはおこがましい、そんな甘いものじゃないだろうと思っていた時、引き寄せの法則ってあるのかな?というようなFacebookのあるピックルボールコミュニティに投稿されたポストを見た。

その52歳の女性は2年前にレックプレーヤーで3.5レベルのプレーヤーだったが、上手くなりたいと思い、プロを目指すべくトレーニングをしてきた。そして夢が叶い、明日遂にシニアプロの試合に出ます!という内容だった。そして、最後に夢はBigに持つべきだと力強く書かれていた。

もしかしたら彼女はラケット競技経験者かも知れない、トレーニングに時間もお金も費やす余裕もあるのかもしれない、私は絶賛、肩の怪我中だし、いつ治るのかもわからない・・・など今までは自分ができない理由を並べて言い訳をしていたのだが(だってそっちの方が簡単)彼女のポストで急にふと、私もやってみようかなと思ったのだ。すごく不思議だけど。
そして、いざ、腹を括るとできない理由を並べる時間さえ勿体なく思えてきた。この歳になると今日が1番若い事を本当に理解する。
夫は応援するよと夢を追うことを快諾してくれたので(彼はいつも私の1番の味方)私はケンドルにその彼女の話をして、彼女が2年なら私は1年でトライすることも可能なんじゃないかと話してみた。なんせ時間だけはたっぷりある暇人なのだから。

ケンドルは私の野望に笑うことなく、逆にとても喜んでくれて、この地域の#1プレーヤーでコーチのアントニオにその話を伝えたそうだ。すると、アントニオも私からそれを言ってくれるのを待っていたと、とても喜んでくれたらしい。二人が喜んでサポートすると言ってくれてすごく心強く、嬉しかった。

さて、得意なものもなく、50歳と五十肩に悩まされていて、ラケット競技無経験な私はピックルボールのシニアプロを目指すことになった。
元々は備忘録を作ろうと本当のノート🗒️に練習内容や、コーチからもらったTipsを備忘録として残していこうと思っていたのだが、独り占めするのも勿体ないなと思い、習った事をシェアできるようにnoteに書き留めて行く事にした。
これからピックルボールを始める人や、同じ悩みを抱えているピックルボーラーたちのお役に少しでも立てられたら良いなと思っている。

以上長々とした自己紹介になったが、本当にピックルボールは私の人生を180度変えてくれたので、いつか何かの形で恩返しができたらいいな。


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