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みんなが少しずつ、生きやすくなったらいいな

今日から4月。
あっという間に社会人1年目が終わり、明日から2年目がスタートします。
私はファーストキャリアとして、主に発達障害を抱える子どもたちを支援する、療育施設で働くことを選びました。
どう教育に関わっていくか悩んだ末に決めたこの道ですが、実際に働く中では様々な葛藤がありました。その中でももう少し、今の立場からできることを模索してみようと思っている今、この一年で感じた葛藤を少し言語化してみようと思います。

この道に決めた理由

まず私がこの道に進もうと決めたきっかけは、幼稚園や保育園、小学校で非常勤として働く中で感じた葛藤にあります。
支援が必要な子につくことが多かったのですが、集団の中でみんなと同じ動きができず苦しむ子たちを見て、その子なりの良さが発揮できない環境にモヤモヤを感じていました。その中でまずは、そういった子たちが少しでも生きやすくなるためのサポートをしたいと考えるようになりました。

実際に働いてみての葛藤

実際に働く中で、始めは目の前ことに必死で、とにかく自分のできることを増やしていこう、といった感覚でした。それが少し落ち着くと今度は、慣れてきたからか毎日をこなす感覚。これは良くないと思い、なぜこの会社に入ったのか、今自分のやっていることは何なのか、どう繋がっていくのかを、改めて考えるようになります。そこで出た結論としては、”普段の支援=その子がその子らしく生きていくために、必要な発達の支援や学びを、その子に合った方法で届ける”だと考え、先を見据えながら今の自分の役割を考えて支援ができるようになっていきます。
ただそこでもう一つ気づきがありました。それは”今自分のやっていることに意味があり、必要なのはわかっているが、自分がやりたいことって本当にこれ?”という思いです。どういうことか簡単に言語化すると、”子どもを今の既存の仕組みの中に、適応させようとしているのではないか。環境側が多様な子どもたちにあった環境に、変化していくべきではないのか。”といった考えです。そこから今の仕事と自分の気持ちに葛藤が生まれるようになりました。
”子どもを今の既存の仕組みの中に、適応させようとしている”
というのは、年長さんの支援計画を考えているときに感じたことでした。未就学のお子様の支援を行っていると、必ず立ちはだかるのが就学の壁です。「小学校に向けてひらがなの読みや書字をやった方がいいよね」「決められた時間に決められたことをやる環境を考えて、この子に何が必要だろうか」といったことがよくでてきます。もちろん必要な考え方ではありますが、もっと多様な、それぞれにあった学び方が選べることが当たり前になれば、そういった課題は課題ではなくなるのではないか、と考えることもあります。

それでも私はここにいる

ただそういった日本の学習生活スタイルの背景には、長い歴史、制度、教員の人員等様々なものがあって、何か1つを変えたら急に良くなるなんてことはないのはわかっています。それでも少しずつ合理的配慮という言葉が浸透し、少しずつ環境や考え方も変わってきているようにも思います。その中で、何の力も持っていない私にできることは何か考えた時、まずは今の場所から関わることのできるお子様、親御様、園や学校の先生が、少しずつ生きやすくなるために支援を届けることです。小さな世界かもしれませんが、訪問支援等を通して環境を変える手助けはできます。また計画の作り方次第でも、ただ環境に適応させるようなものではなく、その子にとっての幸せや、生きやすくなるために必要なことは何かを考え続けることができると思います。
もう少し今の場所からできることを模索して、いずれもう少し広い視点で環境にアプローチできるよう、精進していきたいです。

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