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「逆張りオタク」は幸せになれるのかという話

いわゆる「逆張りオタク」という言葉に、皆さんはどのようなイメージをお持ちだろうか。
軽くインターネット検索をしてみても、「マイナーな立場で戦う俺、カッコイイ」といった評論家気取りの揶揄の対象とされてしまうような人物像がまずは浮かび上がるあたり、どちらかといえばネガティブなイメージを持たれている方が多いのではと思われる。

かくいう自分もどちらかといえば、逆張りすることに喜びというか、そこに「意見・評価・嗜好としての価値」を程よく感じてしまうタイプの人間であることは否定できず、「逆張りオタク」の気質があることは自らも認めるところである。
より正確に言うなら、逆張りすることそのものが目的ではなく、あくまでも「結果的に」世間の風潮とは異なる感想を持ったり、評価をするに至ったり、好きなキャラクターを見出したりすることになったときに、より強い充足感を得られるといった感じだろうか。

今回の記事では、そんな「逆張りオタク」の気質がある自分が、どのような思考回路でオタクコンテンツと向かい合っているかという話を述べていきたい。


まず最初に言えるのは、「逆張り」するには「順張り」するよりも、より強いパワーが必要だということである。
例えば、アニメ作品にしても、近年は毎クールに何十本もの作品が供給され続けているが、各人の持てる時間は限られている。
そんな中で、界隈で話題になっている作品、高評価が付いている作品、面白いとオススメされた作品などを適宜拾い上げ、限られた時間の中でそれらを消費していくというのは、非常にタイパに優れた効率的なコンテンツの楽しみ方なのだろう。

しかし、その効率の良さに甘んじていては、逆張りは成立しない。逆張りするには、世間では話題になっていない作品であっても、一通り目を通す必要があるし、仮にその過程で逆張りに値する掘り出し物を見つけたとしても、それを周りに布教するのはほとんどゼロ地点かつ援護射撃の無いスタートになることも多い。
また、人と違う意見を述べる際には、より堅固な説得力が必要であるし、上述したようないわゆる「逆張りオタク」に対するネガティブなイメージを持たれることも覚悟しなければならない。
しかし、その逆境を楽しみ、むしろ喜びに変換できてしまうのが「逆張りオタク」の思考回路なのである。

「逆張りオタク」が真に恐れるのは、そのような逆境ではなく、自分の意見・評価・嗜好(と信じているもの)に対する他者からの浸食である。
「この意見・評価・嗜好は自らの手で生み出したものである」という価値観を、「逆張りオタク」は殊更に重視する。
しかし、そこに既に先駆者がいたり、よしんば世間の多数派が属したりするのであれば、その「純度」は格段に下がる。
自分がそれを述べなくても、他の誰かが代わりにそれを代弁してくれるのだから…。

そして、近年ではアニメ鑑賞という趣味を持つ人もそれなりの勢力を持つに至り、いわゆるオタクという生き物にあからさまな偏見を持つ人も少なくなってきたように思われる(これに関しては、反論もあるだろうが…)。
そんな中で、特にいわゆる各クールの覇権候補と呼ばれるような作品の中において、あきらかにつまらないと感じる作品にお目にかかる機会もそうそう無くなっており、つまるところ、世間的なオタクコンテンツに対する目が非常に肥えてきたなと実感することが非常に多くなった。
これは、「逆張りオタク」にとっては由々しき事態である。

つまり、これまでは表層を攫うだけでは発掘できなかった名作であってもそれなりに認知され正当な評価をされていたり、様々な価値観が認知されていく中で、マイナーなキャラ、表面上では魅力が伝わりにくいキャラにもきちんとスポットが当たり相当数のファンが存在したりと、「自分だけの価値観」をどんどん見出しにくくなっているように思えるのである。
そこにおいて、上述したような世間の肥えた目が前提として存在するので、「順張り」であってもそれなりに説得力のある楽しみ方ができてしまうというのが現在のオタクコンテンツの実情であり、正に、流行っているものにはそれなりの理由があるといえるのだろう。

もちろん、自分の場合はオタクコンテンツといっても、アニメ作品にその比重がかなり偏っているので、そもそもアニメ化している時点でマイナー作品扱いはできないだろうという根本的な問題もある。
ただ、そんな中で、世間では高評価であるけども、自分には刺さらなかったという作品があったなら、その理由をつらつらと述べたくなってしまうし(逆ももちろん然り)、自分のお気に入りキャラがどうやら世間では不人気らしいと知れば、人知れずニヤリとしてしまうのが「逆張りオタク」としての性なのである。

結論を述べれば、「逆張りオタク」としての価値観を持つことについて、対人的なメリットはほとんどの場面で無いと言っていい。
よほどその人が雄弁であり、自分の意見で他の人を納得させてしまう機会に恵まれているのであれば、その快感は何物にも代えがたいということもあるだろう。
だが、そんな才能を持つ人は、ほんの一握りであるだろうし、大半の人は多数派の意見にタコ殴りにされて「逆張りオタク乙」というレッテルを張られて終わってしまうのが常であろう。
結局のところ、ここで満たされるのは「自己満足感」や「自己肯定感」といった独りよがりな、他人からは評価されない項目なのである。

しかし、人と違う意見が言いたくてなにが悪い。
「逆張りオタク」でなにが悪い。

そんな思いを胸に抱き、今日も今日とて、果てのない旅路にまたつくのである。


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