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”私” は ”私” になりたかった話


私ってなんだったのか?の発見


急に「おお…」ってなりそうなタイトルですが

IWSでインプットしまくった日から、シーメイトさんとSHEスタッフさんの感想アウトプットnoteやツイートは勿論、登壇者様の会社HPやSNS、ブランドサイト→会社概要に経営理念、スタッフコメント…
ささーっとにはなりますが目を通し、商品も現物を見に行けるものは実際に見に行きました。(主にコスメ類)

とまぁ私が何故この記事を書こうかと思ったか…伝わってるかなと思います。


完全にIWSですね。


インプットアウトプットしたいのもありますが、自分の気づきのために書かねばと
(実はTwitterに少し書いた)
愛しの相棒MacBook Airのキーボードを色々と言葉に悩みながらカタカタしました。


この記事のきっかけの大元であるツイート

じゅんぽ(戸高 純)さんのRTから拝見したツイートと恵里社長も絶賛していた小嶋陽菜さんの名言「女性らしさを選んでいこう」が脳内を埋め尽くし、感情と文字がぶわわわっと浮かんできて勢いで綴ってました。

ただ書くのには少し躊躇いました。
色々と思い出してしまう事もあるので書きたいと思いながらも執筆する手が止まる…

もっと早く公開したかったのに年末更新となってしまいました。




過ごした家庭環境のこと

単刀直入に言いますと、とっても悪かったです。

家族
実父
ネグレクト窃盗で逮捕されたことで離婚その後ストーカー(解決済)
実母
AC気質
家庭環境が悪く良かれと思って系の毒親傾向と依存傾向、難病患者

性被害加害者
まめり高校時代だったかな…
就寝時でした。

家族の家族
父方
祖母:女とだけで嫌われる。
祖父:顔も思い出せないくらい印象ゼロ←
母方
祖父と祖母の間に愛はあるが外野が口出しすぎて不仲だったと聞くが、祖父の酒癖で過ごしにくさと妹(叔母)の自己中っぷりを祖母は文句を言いつつも結局世話を焼き、家庭崩壊気味。
そんな祖母と叔母は共依存でトラブルに頻繁に巻き込まれた。
祖父は自身の妻と娘(妹/叔母)は信頼できず、病院系の手続きとか大切なことは基本まめりの実母側に頼んでいた。
なので我々兄弟は無条件に可愛がられた。


毒親・アダルトチルドレンは繰り返す傾向にあるので、実母に関しては完全に反面教師が裏目に出てるというか結局その嫌っていた自分の親と同じ事を子にしてました。
(そんなこと本人に言ったら即この世から消されそうだけど)

・罵倒、暴言暴力
・認められたい
・愛情が欲しい
・泣いてたり時々優しい親
・この人(この家)を私が支えなきゃ

「すぐ児相に行かないの?」って言われます。
"行かない"  じゃない  "行けない"です。

そもそも相手にされない場合もあるし、行ったら最後…ちゃんと対応されなかった時その子はどうなるか?
親に迎えに来いと連絡だけ届いて引き取られ家に着いたら……もう分かりますよね?
(敢えて濁します書いても誰もいい気はしないから)


現在の家族関係

一応まだ実母とは関係は持ってます、結婚式にも招待しました。
兄は色々あって絶縁したいとの申し出があったし性被害を打ち明けたことで旦那が兄と関わりを断ちたいという要望があったので、利害が一致し絶縁してます。
慰謝料などは特に要求もせず本人に根に持って恨んでる事も言ってません。
まぁ旦那は1発殴るか灸を据える気満々だったそうですが…(笑)


何が今回の気づきに?

すみません、やっと本題に突入できそう(笑)

母実は好きなものを否定され、環境に根回しもされていました。
自分らしく・好きを纏えず生きてきたそうです。

好きな色も髪型も下着(女性発育では必須のブラ)の着用さえも…。

それもあり、私は実母の環境よりは好きにさせてもらえてた方ですが、裏目に出た反面教師でコントロールされていたのです。

・ロングヘア
・スカート
・ピンク
・可愛い小物(ヘアゴム、文房具etc…)

典型的な女の子ロードに苦しみました。
実際、幼少期はセーラームーンよりビーファイターやカクレンジャー・仮面ライダーといった特撮が好きで遊びも脳筋、ショートヘアにズボンといった男の子っぽい動きやすい活発スタイルが自分にハマってました。

なのでショートヘアにすると実母はお婆ちゃんの趣味に…とネチネチ不満を露わにしてましたし、あんまり思い通りにならなければ暴言暴力で解決でした。
同級生の女の揉め事も嫌いでしたし生理も迎えたりで女であることも嫌でしたし、女らしさも反吐が出る…そんな青春時代でした。

でも彼氏が出来たり社会人になって色んな世界に触れると、現実を見なければというか女であるしかなかったので、メイクもアクセもファッションも積極的に取り入れるようにした、当然母は喜ぶが…喜ぶからこそ自信がなかったです。



そしたら25歳の時に発達障害が判明しました。
母は泣いた、謝った、そして生きづらさや正直あんまり家族として見れない一人の人間としか見れないことを理解してもらった。

すると何か吹っ切れたのと夜職でヘアメイクやドレスを着て母以外の人に褒めてもらったり他のもっと似合うものを教えてもらったりして女であることに初めて嬉しくなって今ではガーリーだったりフェミニンな雰囲気やピンク、色んなメイクにロングヘア…心から大好き。
似合うかどうかは別として自分で選んで好きを纏っている状態です。

「女性らしさを選んでいこう」
それは誰かが決めるものじゃない、自分がなりたい女性らしさ。
ガーリーな女性、妖艶な女性、キュートな女性、クールな女性…色んな女性像が浮かびます。

私は誰かの望む女性になりたかったんじゃない。
自分のなりたい女性になりたかった。

"私"は"私"になりたかった

ただそれだけだったことに気づけました。


まめりの想いと願い

重すぎるまめり事情を打ち明けようか悩みましたが…
何に囚われていたのか気づけてIWSへの感謝を綴りたかったのと、自分は何者なのか?何になりたいのか?悩むし悩んでる方は多いはず。

書くことで元気づけたり勇気づけられるなら私は嬉しいし、だからこそサードプレイスを創りたい!という想いがあります。


最後に

長く拙い文になりましたが目を通して下さって感謝です。

おそらく読んでてしんどかったんじゃないでしょうか…是非うまーいお菓子やドリンクをいただいてスッキリしてください!

ありがとうございました!!!


まめり


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