プロじゃなくても、トップじゃなくても、書いていい
みなさんこんにちは、まめもです。
年始にnoteを始めてから10日が経ちます。
まだまだ走り出したばかりですが、その間にも自分の中で結構いろんな気づきや変化がありました。それから、ありがたいことに「今日の注目記事」に選んでいただいた記事もありました。
これからさらにたくさんの学びがあると思いますが、一旦今の頭の中を整理しておこうと思った所存です。
①プロじゃなくても、トップじゃなくても、書いていい
いえもう、至極当たり前のことではあります。
しかしどんなジャンルにおいても「上には上がいるしなあ(私が偉そうに何か書ける立場ではない)」という”逃げ”を抱えていたと改めて思いました。いま現在も自分がこんなこと書く資格はない、みたいな感覚はあり、正直怖いです。
でも記事を書いて1つでもスキをいただいたり、自分が他の方のnoteを読むにつれて、「私の書いてることもおもしろがってくれる誰かがいるんだ」と思えるようになりました。その道のプロ、トップを走っている方の情報は間違いなく価値があります。けれどそうでなくても、
「個人のフィルターを通して見た世界を、本人の言葉で言語化する」
これがすごく大切だし、文章に価値が生まれる部分だなと感じます。
私は自己啓発本などでよく言われる「君にしかできないことをしよう」みたいな言葉がちょっと苦手です。今でも半分嘘だと思っています。笑。
でも世界中にいる誰一人として、同じ景色を見て過ごす人はいません。
何に喜びや苦痛を感じるか、お金と時間をかけるか、どんな体験をしてきたか、思考をしてきたか、それもまた千差万別です。
皆がそれぞれのフィルターを通してみた世界を、オリジナルに言葉にしてくれるから面白い。ああそれは確かに、「君の人生を歩んできた、君にしかできないこと」だなと思います。
だから別に、プロじゃなくてもトップじゃなくても書いて良い。
知識や経験が足りなくても書いて良い。
今のあなたの世界を、あなたの言葉で表現することに意味があるから。
方々で100万回言われてきていることとは存じますが、私はnoteという媒体を通してやっと実感できたように思います。
②自分のなかの抽象に名前をつけてあげるよろこび
そもそもnoteをはじめた目的は、「自分の好きなことを残すアーカイブをつくる」つまり、「自分が読みたいことを書く」ためです。
これまで私は悩んだり辛いとき、逆にとんでもなくハッピーな出会いがあったとき、ノート(※物理)に殴り書きの日記を書いてました。
そうしていると稀に自分の中のえも言えぬ感覚や、もやもやした感情に、ぴったりの名前をつけることができる(=言語化できる)時があります。その瞬間が好きでした。「そうそう、これが言いたかったんだ」と自分で妙に納得してしまったり。私の中でnoteはその延長線上です。
ただ、誰に見せるわけでもない日記と異なり、インターネットの海に自分の言葉を放り込むにはそれなりの思考が必要です。
自分のためだけの日記だったら適当に流しておけることも、「なぜ?」「だから?」「本当にそうか?」と深ぼって、調べて、言葉にしていきます。これは結構大変で、ほんの数記事しか書いていない今ですら、普段自分が曖昧に使っていた言葉のなんと多いことかと反省しました。
同時にこれまでぼんやりと思っていたことが少しずつ形になっていくことに、大きなよろこびを感じました。
感覚をいったん言語化しておくと、同じような状況になった時に頭の引き出しからひっぱり出しやすくなります。再現性が生まれる、みたいな感じでしょうか。それにより、何もしなかったら記憶の片隅に忘れ去られてしまう経験に付加価値がつく気がします。
そして再現性が生まれると、自分だけのものだった世界を他人と共有できる可能性が生まれるということに、初めて気づきました。
わたしにとって「名前を与える」行為にはふだん意識する以上に、大きな価値があったのです。
③てか自分の文章が好きなんだ
本当に本当に本当に恥ずかしいのですが、自分のために認めてあげたくて、恐れずに言ってみると、わたしは自分の文章が好きなんです。
こんなこと言うといまにも爆発四散しそうですが、なにせ上記のように自分なりに考え抜き吟味したものですから、どうにもこうにも愛着が湧いてしまいます。
本でもSNSでも、私は自分の中のふわふわな部分を言語化してくれている文章に出会うととても心躍ります。
その点からすると、noteでは自身の内面をみずからが納得するように言語化しているのだから、それはまあ…そうだよねえ!
結局、「言語化」ができてる自分が大好きってことじゃん。という着地点。アイタタタ。
もちろん上手な文章とは全く思わないですし、冒頭にも書いた「発信への恐怖」も消えませんし、投稿した後に全然ダメだったなと反省します。「これじゃしっくりこないんだよな」ってことを、これからも書き連ねていくと思います。
でもどうしたらもっと自分の文章を好きになれるか、しつこく考えて言葉にしていくその先に、いつかひらめく日がくるかもしれませんしね。
こんなことをつらつら書いて、あとから恥ずかしくなるんだろうな〜。
でもなにか書かずにはいられないという、悲しい性…
なんにせよ、当面は「自分が読みたいことを書く」という目的は変わらないと思います。
それを前提にした上で、あわよくば誰かにおもしろがってもらえたらいいなあ。なんていう淡い期待を贅沢にも抱いている、今日このごろです。
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