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「いま」の無限の連続性の中で

ジブン、というのは一体なにが決めるんだ。

自分が思うジブンと他人から見るジブンは、違う。

そして、自分が理想とするジブンと本当のジブンもまた、違う。

自分のさらに奥にあるジブンをつつかれた

ストレングス・ファインダーという診断を受けた。
webテスト形式で、1問20秒という制限付きの計177問はやや根気が要るものの、なんとなくピシッと背中が張る。

1問だけ制限時間を超えてしまったのだが、177問を終えてパソコンの画面に表示された ”わたしの才能(資質)” はこの5つ。

①慎重さ
②回復思考
③責任感
④共感性
⑤達成欲

し、しんちょうさ。
回復思考はよくわからなかったけど、責任感と共感性と達成欲はわかる。

なんだか、自分のもう少し奥底にある、ジブンをつつかれた気分だ。

かなりまじめ

①慎重さ

・自分のことをあまり話さない
・毎日の生活を注意深く送る、かなりまじめな人
・過度に誉めたり認めたりしない

私は自分のことを話すことを好まない。家族の中では断トツのおしゃべりだが、一歩外に出ると違うのだ。

私が話すよりあの人が話したほうがおもしろい、私が話すより聞く側に徹したほうが相手も心地よいだろう、とか。それと、複数人から一気に注目を浴びるのも、なんだかニガテ。

”すごいね”とあまり言わない。言ったときには、だいたいちょっぴり後悔する。自分自身が”すごいね”と言われてもあまり嬉しくない、というのもあるが、それよりも。

”すごいね”と言えるほど自分は相手のことを何もわかっていないという気持ちのほうが強い。

この類の言葉は、なんだかいつもプカプカと宙を舞っている感覚なのだ。

泥臭く根気強く

②回復思考

・症状を分析し、何が悪いのかを突き止め、解決策を見出すという挑戦を楽しむ
・物事に再び生命を与えることを楽しんでいる

基礎練習が大好きだった。吹奏楽部で曲を演奏していてなにかうまくいかないときは、それにあった基礎練習を強化していた。そして、ひたすら練習していた。
習い事で体力の大切さを感じたときには、たぶん1年間くらい1駅分多く歩いて登校していた。

そうやって、自分は地道に努力しているのだと思うことも、好きだった(ちょっと恥ずかしい)。

全部ちゃんとやりたい

③責任感

・大きかろうと小さかろうと、やり遂げることに心理的に拘束される
・もし約束が果たせないとき、その埋め合わせが終わるまで生きた心地がしない

やることが残っていると気分が晴れないのは毎日のこと。

責任を引き受けるのも好きなのかもしれない。ぜんぶ自分でやろうとしてしまうのはあまりよくないと思っている(し、結果、できない)。うまくいかなかったときに、多くの責任を自分自身に押し付けてしまうこともあるかもな。

でも、ほどよい責任感とそれに伴う緊張感のおかげで、わたしは成長できている実感もある。

でもでも、少々のゼロか100か思考がある。60くらいの力の加減で頑張るとかができない。やるなら全力でやる、やらないならきっぱりやらない。無論、やらないと決めたときとかそれを表明するときは、非常になんともいえぬいたたまれなさを感じるけども。

あ、あの人たぶんいま

④共感性

・人の感情を察することが出来る
・必ずしも人に賛成するわけでも、哀れむわけでもない
・人が感情をうまく言い表せるように手助けする

人の感情に対するセンサーは、もしかすると鋭いほうかもしれない。

かといって、同情、はあまり好きではないし、周りに合わせることも得意ではない。あくまでも、感情を察することができる、ということ。

あの人大変そうだなとか、いま居心地悪そうだなとか、きっとあの人のこと苦手なんだろうな、とか。

きょうは何を生み出したか

⑤達成欲

・自分自身に満足するために、1日が終わるまでに何か具体的なことを成し遂げなければならない
・満たされない気持ちとうまく付き合っていけるようにする
・動かし続ける資質

休みの日が苦手だ。Googleカレンダーが空っぽだと、そわそわする。ここ最近は”ゆっくり生きる”みたいなことをちょっとやってみたけど、やっぱりできない。

生産性を求めてしまう。きょう、わたしは何をやったか、何を学び何を生み出したか、社会のどこと接続したか。

受験勉強は大得意だった。点数という形で生産性が目に見えるのだから。

目に見えないものに、どう向き合うのか。長期的なものに対して、どう自分なりの落としどころをつけるのか。つぎの課題。

・・・

自分の資質についてそれぞれ考えてみると、なんとも地に足の着いた人間だ。すこし前の時期、元気!とか明るい!とかフッ軽!で動こうとしていたけど、それはやっぱり苦しかったのだ。そして、ムードメーカーでも、旗を振るタイプでも、みんなと仲良くなれるわけでも、ない。

芝青現象はつきものだけど、私は誰かになろうとするのではなく、私として在りたいと思った。

日常の積み重ねの中で

2024年がはじまって、12分の1がおわる。

1月は、駆け抜けるような日々から始まった。駆け抜けられたかといえば、自信はない。日常が染みだしていくコミュニケーションの中で、自分のつまらなさを痛感した。期間限定の一時だけうまくやりきるなんてことは、そんなのあり得ないわけだ。日常の中で、自分という畑にどんな種を蒔くか。

いままで、歩きながら音楽を聴くのが常だったが、ポッドキャストを聴くことにした。これがとても良い。誰かの話から気づきを得ることや我に立ち返ることが、歩きながらできる。日々生産性を求める私にとっては、ぴったりだということに気づいた。

1月、たくさんの人に会った。いろんな景色を見た。忘れたくないこと、3選。こうして気づきと学びをくれるみなさんや環境に感謝ですな。

・生きるというのは有限であって、何に時間を使うのか、何を自分へ投資するのか
・叱ってくれる人が周りにいる環境かどうか
・事物と人を別個に考える

もっと、本を読みたいし、もっと、映画も観たい。お風呂から出た後の時間の使い方を変えてみよう。


タイトルは、読んだ本の中から。もう一度読み直したい本だ。


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