武器もいいけど、素材をみようと思った
2022年ももう12月でございます。わたしもついに流行りに乗って自宅にいること6日目。ゆっくりnoteでも書いてみましょうかと。
今年は、ずっとふらふらともやもやと悩んでいたなあと思います。そして、自分は何者なんだろう、なにをしていたいんだろう、武器は何だろう、そんなことばかり考えていました。
でもそれってきっと、目の前のことばかりに飛びついて、なんとなく忙しくなって、次から次へとずんずん進んでいったから。クリアしていなくても、何かかけらを落としていても、実は敵がまだ死んでいなくても。
まだ遅くない。その回収と後始末をしっかりしようじゃないか。
”食”とわたし
じいじが(デカめの)家庭菜園を持っていたり、おじいちゃんが焼肉屋さんだったり、高校生の頃に食農体験プログラムに出会ったり、お母さんが毎日料理をしてくれたり、去年は間借りカレーをやっていたり、食への興味がたぶん人一倍あるわたし。
今年は、朝ごはんでそれを表現しようとしていました。
こんな思いを持ちながら、住んでいたシェアハウスで週に一度、大学生中心に10名前後が集まって朝ごはん会を開催。
最初は友達と3人の会だったのが、LINEグループに50人弱も参加するほどになり。
どうってことない会話が飛び交って、それぞれが各々の居心地の良さを見つけられているようなこの会がとっても好きでした。
こんないい場なんだから、もっと広めたい。そう思って起業支援プログラムにもエントリーしました。起業する気はないけれど、なにかヒントを得られるんじゃないかなって。
でも、そううまくはいかない。だってビジネスに興味ないんだよなきっと。面白いとは思うけど、自分が当人になるのは違う気がする。これだけで片づけるわけじゃないけれど、そういうこと。なんじゃないかな。
いや、逃げているのかなとも正直思ったりする。
そして、朝ごはん会というコミュニティも続かなかった。もちろん輪が広がればいろんな人が入ってくる。あるポイントで、「あ、ちがう」と思った。
詳しくはここには残したくないけれど、シェアハウスの朝ごはん会は休止という形をとった。そして、たぶん、もう再開することはないかも。
わたしはただ、朝ごはんを食べながら駄弁って、いってらっしゃい、いってきます、とそれぞれの一日をスタートさせていく。その足取りがちょっと軽やかに見えるこの会が好きだった。
ビジネス、とか、起業、とか、そういうんじゃなかった。
今でもあるところで小さく朝ごはん会は継続しています。そこはとっても居心地がいい。ここは丁寧に丁寧に、育てていくんだ。
コミュニティ運営はやりたいことではなさそうだけど、食を通した場は好き。それはずっと大切にしていきたいかもな。
でも、押し付けることはしたくなくて。なにかを通じて、ふと、風が吹くように、花が咲くように、シャワーの水がお湯になるように、あ、なんか”食”っていいかも、と思えるようなそんな場。
周りの環境がつくってくれた、わたしの食への好きという気持ち、興味、想い。これはずっと育てていきたい。
”教育”とわたし
わたし、教育学部なんですよね。
去年は教育から少し離れていたけれど、大学2年生になって学部のゼミが始まって。文献を読んだり、学部生と話したりしていると、教育ってやっぱおもろいな、なんて思い始めて。
今年の夏は、小~高校生向けの夏休みの学びの場の大学生スタッフをしてきました。春から今まで、高校生や大学生向けのプログラムの企画運営もしてきました。
夏休みの大学生スタッフは、すごく濃密で濃密な3日間。周りの大学生スタッフは、こんなことを伝えたい、与えたい、学んでほしい、こうなってほしい、という思いがたくさんある人ばかり。
でもわたしは、わたしに与えられるものなんて何もない、伝えたいこともない、伝えるなんてできっこない、そんな風に思いながら初日を迎えました。そして小学生、中学生、高校生と話すことが苦手。(なにしに来てんだ、と思われても仕方がない)
振り返ってみて、わたしができたことは、隣にいること。
それしかできなかった、と思っていたけれど、それができたんだ、と今は少し思います。
* * *
それともう一つ。春から今まで高校生や大学生向けプログラムの企画運営もしています。道南のNPOで代表の右腕という位置でした。
大学生向けの2泊3日の合宿をやり、生産者と会ったり、シェフと一緒に地元食材で料理したり。高校生と大学生で一日農家バスツアーをしたり、高校生と地元の人を紹介するフリーペーパーをつくったり、地元のシェフや企業と一緒に商品開発を進めたり。
いろいろ。全部に通じていたことは、ジモトを知り、ジモトをちょっと好きになる。そして、ジブンゴト。
活動の中で見えてきたことは、○○という状態を作り出すには○○という仕掛けがいつ必要でそれをどうつくるか、というのをつくることが面白い、ということ。
それと、わかりやすくわたしが現場を回すのはどちらかというとニガテで、サポート側というかクリップボード片手に後ろから見ているタイプ。参加者が座っている中、立って全体を見ていたいタイプ。(?)
自分から誰かに向かって矢印が出ている状態ではなくって、全体を俯瞰しながらその場にうようよある矢印をコントロールしていたい。のかな。
そして、教育も好きだと思う。けど、まだ教育については納得できるほど言語化できない。勉学あるのみ。
”地域”とわたし
好きなんだよなあ。それだけなんだよなあ。
あたたかさ、ありきたりな言葉だけど。
札幌っていわれても明確な映像とか画像とかはあんまり頭に浮かばない気がする。浦幌っていわれたら駅前のまっすぐな通りとか、フクハラとか、神社とか、ベジタブルショップとか、あとは○○さんみたいな人の顔が、鮮明にパッと頭に浮かぶ。
この感じが好き。
たぶん、住んでいないから言えることではあるけども。
この感じが好きなのであって、地方創生とかがしたいわけじゃない。(地方創生という言葉は苦手。これもちゃんと言語化したい。)
好きだけど、こういう地に身を置くと、自分がとっても力のない無意味な存在に思える。こんなに、たくさんの優しさをいただいているのに、何もお返しが出来ないこと、誰の力にもなれないこと。
わたしには、何ができる?
わたしは、何がしたい?
たぶん、わかんないけど、きっとできることはあるんだろうし、やりたいこともあるんだと思う。ついつい、わかりやすくて目に見えやすい武器を求めてしまう。それはわたしにはない。少なくとも今は。
* * *
とある人に出会ってちょっと考え方が変わった。
武器はなくても、誰かと武器を貸し借りする。武器が小さくてもたくさん手持ちがある人もいる。
そして武器はなくてもいい。手に持つものではなく、そもそも備わっているもの、素材。素材でいいんだ。
素材、という言葉に出会った。わたしの素材はなんだろう。こっちのほうが考えられるかもしれない。
大学生活も折り返し
食と教育と地域。この三つでわたしのだいたいを網羅できると思う。食は趣味に近くて、教育は仕事に近い。そして地域は生活に。
そして教育の中でも、学校ではなくてもっと広く、社会教育。教育はもっと勉強をしていきたい。教育について自分の納得できるnoteを書けるようになりたいな。
コーディネーター的役割が好きなんだと思う。次のわたしはこれを軸に、動いてみてもいいかなと思っている。
あと、文章を書くことも好き。あ、これ四番目に入るかもしれない。誰かのことを誰かに伝えることが好き。文章ももっと磨いていきたい。
来年度は、大学生活も折り返し。ちらちらと就職の文字が頭によぎる。もう少し余白の時間もつくりながら、好きのキモチ、わくわくするキモチ、やりたいのキモチ、嫌だなのキモチ、自分の感情に素直に、心を健康に、生きていきたいです。
自分のご機嫌を取れない人は、誰のことも幸せにできない。
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