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さみしい?

カウンセラーをしながら思います。大きな、大切な決断をする前に人に相談してはいけない…と。自分で決めたかどうかってどんなすばらしい意見より一番大切なのですから。後々の人生に、その結果が露骨に出てきますから。

私がこんなことばかり書いて自分に自信たっぷりかと言えばそうではありません。

折りたたみ傘を持っている時にはたいがい雨は降らないし、張り切って大きい傘を持っていけば90%どこかに忘れるし、さっきプリン食べたばかりなのにまた食べたいし。

なぜ決められないのでしょう。


私がこんなことばかり書いて自分に自信たっぷりかと言えばそうではありません。

迷ってばかりです。

劣等感とプロレスです。

でも、私は人に何も相談しません。それは、例え間違えた答えを選んだとしても後悔が少ないからです。相談があると男性を食事に誘ってくる女性は、結婚してから面倒くさいので気を付けてください。(偏見です。)

独りで決めるのが怖い、孤独は怖いと思っている感情は、

誰かになんとかしてもらおう

という姿勢です。今の問題を人になんとかしてもらおうとしています。

人に意見を聞いてギャブルをする人は賭け事に向いていません。自分のお金で、自分の考えで賭けるから面白いのであって、自分で決められないならやらない方がいい…

依存はさみしさや孤独を埋めるために“はまる”ことが多いのです。でも、

依存は孤独を解消させるわけではない

のです。SNSで仲間との写真をたくさん載せて孤独を回避できるかというとそうではないのです。哲学者、三木清さんはこんなことを言っています。

「孤独は山にはなく、街にある。」


その通りですね。恋人や夫が一緒に食事をしているのに、携帯ばかり観ている状態です。
早く食べろ、です。冷めるから。

たくさんの人と行動を共にしても、孤独を感じなくなるわけではありません。

私は「孤独」の相談を受けたときには、孤独を2つにわけます。

一つは喪失感などからくる「孤独」。

これは、ぽっかり穴が空いている状態が多いのですが、自分にしか埋められない穴です。死別や失恋、離婚など、つらいこともありますが、急いで穴を埋めようとする必要はありません。他で埋めようとすると、そこに依存しがちになります。依存の対象物がなくなれば、どうしていいのかわからなくなります。ここは、時間をかけてでも向き合う必要があります。

もう一つは暇から孤独だと思いこんでしまう「暇孤独」。

時間があるから、余計なことばかり考えてしまい、孤独を感じてしまうのです。そして、暇だからSNSなんか観たりして、他人は楽しそうだな…なんて思ったり。退屈はあまり自分をいい方向に持っていきません。考えても無駄なことはたくさんあるのに、何をそんなに悩みを生み出すのでしょうか。

研究者になったらどうでしょうか。


“暇孤独”の人は、本当の孤独ではないから何か行動するのです。
動け、動け。一歩千金。

まずは、一歩。


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