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イメコンで解けた呪い生まれた呪いそして自問自答の旅へ

イメコンを初めて受けたのはコロナ禍の時だった。
それまでも本やネットでパーソナルカラーや骨格について調べてはいたけれど、そこに顔タイプも加わって、それは特に見極めが難しく感じたので、いつかはプロに客観的な視点で見てもらいたいなと思っていた。
ちょうど着物にハマり始めた時でもあって、着物の柄そのものはすごく可愛いのに、自分が着た瞬間になんか違う…となることがよくあった。着物は形が基本的にほとんど同じなので、似合う柄は何かと悩んだ。洋服は無地やボーダーなどのシンプルな柄を選ぶ事が多かったので、余計に悩んだのかもしれない。
そこにちょうどコロナ禍が被ってしまい、出かけたくても出かけにくい中でも何かをやりたいと思っていた時、地元でもイメコンを始められた方がいて、パーソナルカラー・骨格・顔タイプを診断してもらうことができたのだった。

結果は、
パーソナルカラー→1st夏、2nd冬
骨格→ナチュラル
顔タイプ→クールカジュアル
だった。

パーソナルカラーと骨格は自己診断とほぼ同じで、さほど驚きはしなかったのだが、顔タイプは意外だった。
自己診断ではソフトエレガントあたりだと思っていたのだ。お手本にしていた好きな女優さんがソフトエレガントだったので、がっかりもした。クールカジュアルは苦手に感じていた。正直一番なりたくない所だった。ロールモデルとして挙げられている方々もちょっと苦手に感じていたし、トガった感じでウケがよくなさそうと思っていた。
けれど、クールカジュアルに似合うと教えて貰った傾向の洋服やメイクは、私によく似合った。特にメイクは何をしても変わらないと思っていたのが、似合う色や質感、付け方ですごく変わった。今までは安いものも高いものも、何を身に着けても結局自分はこんなものなのだ、他の人に比べたら魅力が無いのだと思っていたのが、似合うものを身に着けるとこんなに素敵に(自分の場合はかっこよく)なるものなのだと驚いた。

そこで気が付いたのは、好きだと思っていたソフトエレガントは、本当に私が好きだったのか?ということ。
そういえば20代半ばの頃はショートヘアにカジュアルな格好(フレッシュに近かったかも?)をしていたのだけれど、30代が近くなるにつれて、当時同居していた母親から、よく『そろそろいい歳なんだから、もう少し女性らしい格好をしたら?大人っぽい格好をしたら?』と言われていたのだ。『たしかにそれも一理ある』と思って、より女性らしい、大人っぽい、そういった女優さんやモデルさんを参考にして洋服を買ったりメイクをしたりしていた。
顔タイプのグラフを見たときに、クールカジュアルに女性らしい丸みと大人っぽさを足すとソフトエレガントに近くなることに気付いた。
もしかしたら、最初にクールカジュアルに対して抵抗感があったのは、女性らしくならねば、大人っぽくならねばという、これまでの思い込みからの努力が否定されると感じたからかもしれない。

その後1年くらいは『似合うもの』に対して試行錯誤していたが、個人での限界を感じて、再びイメコンのレッスンを受けることにした。初めにイメコンを受けた所で、オンラインで数ヶ月に渡ってパーソナルレッスンを行っていた。コロナ禍がまだ続いていて、田舎住みではまだ出歩くのに抵抗があった頃だ。
個人で限界を感じていた部分はやはり顔タイプで、数年に渡ってソフトエレガント〜フレッシュに寄せがちだったため、どうしてもそちらを選んでは、パッとしない、ダサく見える、モサく見える…と悩むことが多かった。
メイク方法から始まり、洋服やバッグ、アクセサリーなど細かい所までマンツーマンでじっくりと相談することができた。
そこでよく言われたのは『もっと強さがあってもいい(クールカジュアル)』『もっとゴツくてもいい(骨格ナチュラル)』ということ。その度に『こんなにかっこいいものを身に着けてもいいんだ!』『こんなにトガってるのにしっくり来る!』と感動して嬉しくなった。
また、レッスン中のお喋りの中で、顔に曲線が多い人は直線要素に憧れたり、大人っぽい人は子供っぽくなりたいという要望も多いと聞いて、皆ないものねだりなんだな〜と感じて、今までコンプレックスだった直線の多いスッキリした顔や、かっちりフォーマルやふんわりが似合いにくいゴツっとした骨格が好きになってきた。あと、パーソナルカラーは夏冬だけれど、顔タイプにも引っ張られるので、秋系の色も意外と行けること(黄み青み具合にもよるが、夏さんによく勧められるラベンダーより、カーキやマスタードが得意になった)なども。

前回のnoteに書いたように、(その頃は自覚していなかったけれど)かっこいいに憧れていた(らしい)私は、『いい歳なんだから』『大人っぽく』『女性らしく』という呪いから少しずつ開放されたのだった。
ロングヘアから普通のショートヘアに、そこからベリーショートに、それが伸びてきたらツーブロックにしたり、メンズのデニムを履いてみたり(逆に女性らしさが出て面白かった)。

けれど、レッスンからしばらく経った頃、おすすめされたアイテムやブランドのものを身に着けていて、違和感を感じるようになってきた。初めは『似合うね!』と褒められて嬉しかったのが、あまり嬉しくなくなってきたのだ。確かに似合っている。けれども何か物足りない。確かにあか抜けた。けれどもどこか自分らしくない。
また、自分だけでなく他人を見たときに、似合う似合わないで評価をしてしまいがちなこと(直接伝えるわけではないけれど、心の中で判断しがちだった)に気付いた。これは本当に私に似合っているのかな?ダサくないかな?とか、もっと似合うものを着ればいいのに、とか。
せっかく『いい歳した大人』や『女性らしい』という呪いを解けるようになってきたのに(まだ時々かかる気もするのでこの言い方で)、今度は『似合うか似合わないか』『ダサいかダサくないか』という呪いが生まれてしまったのだった。

そんな時に、長年愛用している手帳の『ムーンプランナー』さんが『自問自答ファッション』さんと行ったコラボ講演会を観た。

自問自答って何?と興味が湧いた。その後もnote、ブログ、本と読んでいくと、その度に沢山のショックを受けた。

まず、やりたいことや好きなことは?と聞かれたときに何も出てこなかった。やりたいことも好きなものも選べないくらい沢山あって時間が足りないと思って日々を過ごしていたのに、ぽんと出てこなかった。アクセサリーはアイデンティティだと言われて、手持ちのものにはそれが無いことに気付いた。そこにあったのは流行りや他人からのおすすめ、似合うかどうかという周りからの評価だけだった。
そういったショックは受けたけれども楽しかった。学生時代に心理学を学んでいたことがあって、悩みがあってもそこまで無くともカウンセリング等を受けて自分の考えを言葉にする、という作業が好きだったからかもしれない(逆にカウンセリング等何も受けずに対面していたらキツかったかもしれないという気づきもけっこうあった)。
自分の中にファッションという視点を通してみる感情や言いたいことが、いやいやこんなにもあったのか?!と驚くくらい、短期間で沢山の言葉をノートに書き出した。書かずにはいられなかった。それこそ寝食を忘れてガリガリ書いた。

そして今現在に至る。
最初の怒涛の自問自答期が過ぎてからは、無事にコンセプトも決まって、そちらを優先するようになったのもあって、ゆるゆると自問自答している。心の底からのお気に入りに少しずつ囲まれていくのがとても幸せ。

年相応に、女性らしい、似合う、あか抜けている…それを呪いと書いたけれど、考えてみれば、どれも本来は悪い視点ではないと思う。それに固執したり、他人に強要しなければいいわけで。

イメコンも受けて良かった。自問自答の「好き、似合う、なりたい」の「似合う」を考えるのにすごく助かったし、

他人からの客観的な視点というのはなかなか得られないので、一定のスケールによる判断は貴重だと思う。これからまた客観的な視点や新しい刺激が欲しくなった時は別の視点のイメコンを受けても面白いかもしれない。

ただ、ひとつ気をつけようかなと思っているのは、『悲しみ温泉』に浸かりすぎないことだ。

(↑悲しみ温泉…学生時代の恩師の恩師の話)
イメコンを受けたり自問自答をしているうちに、自分の中のコンプレックスや傷に気付き、こうしてSNS等を通してそれらを共有することで癒すこともできる。ただ、それだけを目的に生きるのは私の目標ではないかなと。のぼせてしまう前にいつかは温泉から出ていかなくてはいけない。また疲れたら入りに来よう、と。

自分の場合、ファッションに関することをライフワークにする予定は無いので、極端な話『何を着るか』に執着しないのがゴールなのかもしれない。勿論、お気に入りの服にアイデンティティたっぷりのアクセサリーやバッグを身につけることは最高だし、できる限りそうして生きたい。けれども、それよりも大事なこと・やりたいことが出来たとき、それで忙しくなってお気に入りを身に着けるのを忘れたり、何か事情ができて身につけることができなくても、今日も私は私で最高!と思えるようになることが、自分にとっての自問自答の「ひとつの」終着点なのかもしれない。