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次男が通った心が豊かになる幼稚園。



長男も次男もユニークな幼稚園に通いました。
今から30年近く前の話になるけど。


子どもたちだけでなく、私の心も満たされて
もうすぐ、こどもの日だから、今日はそんなお話を書いてみます。


長男はモンテッソーリ教育の幼稚園でした。
お兄ちゃんが通った幼稚園は、送り迎えだけで2時間もかかる。
さすがに体力のない私は、だんだんきつくなって。


次男は、家の近くで理想的な幼稚園を見つけて通いました。
その幼稚園の名前は「ずくぼんじょ」つくしという意味。
小さな小さな幼稚園でした。(残念ながら閉園しましたが)


2歳児から6歳児まで
ひと学年10人から15人ほど。
学年ごとのクラス名もとっても可愛くて。

こごみ組。はこべ組。なずな組。わらべ組。
そう!すべて山菜の名前。


先生方の年齢は40代〜60代。
子育てが一段落したベテラン先生ばかりで、子育てに不安がある
ママたちにとって、気軽にいつでも相談できて、安心させてくれる。
子どもたちだけでなく、母親たちにとっても大好きな先生ばかりでした。


園長先生は、羽仁もと子さんの自由学園で学ばれて、その後
ハンガリーの幼稚園をモデルにして作られた幼稚園。


幼稚園の場所は園庭もないマンションの1階部分だけでしたが
まわりは山や川がある自然が豊かな環境だったから、たくさんお散歩して
木の実をとったり、川で小さなお魚を見つけたり、今日はカレーを
作りましょう〜。そんな日はみんなで八百屋さんに歩いて行って、
カレーに入れるお野菜は子どもたちで考えて、先生と一緒に作る。


毎月のお誕生日会は、家で先生がケーキを焼いてきてくださったり
手作り感満載の幼稚園でした。

わらべ歌はいつも先生がピアノで弾いてくださるのですが、
歌いにくる子もいれば、自分の遊びに集中している子もいる。
先生は言われるのです。「歌いたい思ったら歌えばいいし、
いま遊んでいることがしたいと思えばそれをすればいいのよ。
楽しいと思う気持ちが大事なの」と


その子その子の気持ちをいつも大切にしてくださいました。
だから子どもたちの目は、いつもキラキラしていて。


運動会ってね、日本の軍隊の名残なのですよ。と園長先生。
走って順位を決めなくていいの。決められた行進をしなくてもいいの。
運動会をするのなら秋のお楽しみ会にしましょう〜と

近所の大きな公園で、みんなでお弁当を持って、秋のお楽しみ運動会。
先生がたくさんお野菜を買ってきてくれて、かけっこのときは、
ゴールに、かぼちゃや大根、ごぼうにニンジン、玉ねぎなどが並んでいて、
子どももお母さんも、欲しい野菜をめがけて走る。それが本当に楽しくて。
順位を決めるのではなくて、欲しいお野菜が取れるかの真剣勝負。笑


まだまだ楽しい思い出がたくさんあります。
卒園式のとき、A・Aミルンの詩をみんなで朗読して
ほんとうに可愛かったな〜


「ぼくは六つになった」

一つのときは ぼくは なにもかも はじめてだった
二つのときは ぼくは まるっきり しんまいだった
三つのとき ぼくは やっと ぼくになった
四つのとき ぼくは おおきくなりたかった
五つのときは ぼくは なにからなにまで おもしろかった
今は六つで ぼくは ありったけ おりこうです

だから いつまでも六つでいたいとぼくはおもいます


♡〜〜〜〜〜〜〜〜〜♡


29歳になる次男、たのしい幼稚園に通えてよかった。
思い出すと、ほっこりするようです。


当時はまだフリースクールなどもない時代。
ほとんどのお母さんは大きな幼稚園を選ぶ時代だったから、
こんな幼稚園を選ぶママは思いっきり少数派?のママたちばかり。笑。
私にとって気が合う人が多い、居心地のいい環境でもありました。


みんな人と比べることなく、この小さな幼稚園で育った子たち
自分らしい選択をしながら、心豊かな大人に成長していきましたよ。


私は楽しかった幼稚園の反動で、小学校の子育てが一番しんどかったな。
いろんなお母さんがいるし、それこそ大多数派が多い環境はアウェイ。笑。
子どももママも自分らしく成長できる居場所が選べる選択肢が増えると
いいなって思う。とくにこの日本で思うことかな。



maman♡

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