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日本史授業脚本「37.内閣制度発足」

ついに内閣制度発足まで来ました。初代伊藤博文が組閣したメンバーはまさに適材適所の豪華布陣。薩長閥中心の構成ではありますが、あっと驚く「幕臣だった榎本武揚の入閣」など、話題性も豊富ですね。

内務大臣の山県有朋は、伊藤博文と同じ長州出身ですが、タイプも得意分野も伊藤とは違いますね。伊藤博文が総理大臣、山県有朋が内務大臣なんて何とも贅沢です。しかも、徴兵制を取り入れた山県が、ここでは地方制度(市制、町村制、郡制、府県制)を整えるという渋い働きをします。

他にも、文部大臣の森有礼が日本式の教育を広める「学校令」を出したり、条約改正に向けて外務大臣の井上馨が「鹿鳴館外交」を行なったり(これは失敗しますが)。財政は松方正義に任せておけば大丈夫だし。

そしてサプライズの榎本武揚は、前年に「樺太・千島交換条約」をまとめあげた実績を引っ提げての逓信大臣就任です。オランダ語を使いこなし、国際法や海洋法の知識もある彼は、軍艦を自在に操るすごい人。五稜郭に立てこもったのも蝦夷共和国を作るためというスケールの大きさ。そりゃ、ヘッドハンティングされますよね。

郵便マークの「〒」は、逓信大臣として榎本武揚が決めたもの。「ていしん」の「テ」がモチーフになっています。

総理大臣の伊藤博文ですが、1888年に総理大臣をやめます。その理由は、枢密院の議長になるためです。大日本帝国憲法完成に向けて、明治天皇臨席のもと秘密裏に審議する枢密院。ついに伊藤博文の出番ですね。

とにかく、日本最初の内閣は、やはりすごい内閣だったと思います。

今は派閥に忖度し、利権優先で適材適所とは思えない人選の内閣。国土交通省なんて、完全に公明党の利権ポストですからね。

国益を考えた閣僚人事の大切さを、今回の授業では知って欲しいと思います。

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