記事一覧
日本史授業脚本「37.内閣制度発足」
ついに内閣制度発足まで来ました。初代伊藤博文が組閣したメンバーはまさに適材適所の豪華布陣。薩長閥中心の構成ではありますが、あっと驚く「幕臣だった榎本武揚の入閣」など、話題性も豊富ですね。
内務大臣の山県有朋は、伊藤博文と同じ長州出身ですが、タイプも得意分野も伊藤とは違いますね。伊藤博文が総理大臣、山県有朋が内務大臣なんて何とも贅沢です。しかも、徴兵制を取り入れた山県が、ここでは地方制度(市制、町
沖縄返還から52年!沖縄は日本です!!
1972年の今日、沖縄の日本本土復帰が実現しました。
琉球王国時代には日清両属の形になったり、先の大戦では激しい地上戦が行われ多くの県民の方々が犠牲になったりしました。そして終戦を迎え、アメリカの統治下に入り30年近くを過ごすことになります。
そんな沖縄が日本に復帰したことは、沖縄県民だけでなくすべての日本人にとって喜ばしいことであり、それは今も続いています。「沖縄出身」と聞くと「いいなぁ」っ
犬養毅に思いを馳せる
今日は5月15日。
五・一五事件の日ですね。
犬養毅首相は国民から人気があり選挙では毎回当選。
演説の名手で、言葉の力で人を納得させることができる、いわば「メンタリスト」。
そんな彼が首相となり、テロ(軍のクーデター)の犠牲になってしまいました。
2度の「護憲運動(憲政擁護運動)」の中心となり、言論による政党政治を守ろうとした彼が、問答無用の暴力によって命を落としたことはなんとも皮肉なこと
日本史授業脚本「36.自由党員の激化事件」
「板垣死すとも自由は死せず!」という板垣が暴漢に襲われた時のセリフ(実際は新聞記者の創作らしい)。その後、自由だけでなく、板垣も死せず復活し、フランスへ視察旅行へ行っちゃいました。
フランス流の急進派である「自由党」ですから、ボスがいなくなってしまうと暴走してしまいますね。民衆を扇動する形で、地方で激化事件を起こしていきます。わかりやすく言うと「テロ行為」ですね。
その先頭を切ったのが「福島事
日本史授業脚本「35.憲法制定過程」
アジア初の憲法となる「大日本帝国憲法」が1889年に公布になります。「漸次立憲政体樹立の詔」で立憲国家になることを約束してから15年かけて作成されたんですね。
世界一長く続く国の伝統と、近代化で目指す新しいビジョンの両方を織り込み、「国民みんなが幸せになるような憲法(日本の国体)」を目標にした結果、作成にかなりの時間を要することになりました。
また、日本人のものづくり精神がここでも発揮されてい
チャイナの国恥記念日って…
今日5月9日は中国では「国恥記念日」という日らしい。
1915年袁世凱政府が日本から「二十一カ条要求」を強引に突きつけられたことを根に持つ日らしい。
いとあほらし😮💨
そもそも国際法を守らない「反社国家」に「14カ条の要求」でちゃんと守るよう促しただけのこと。
残りの条項で権益を要望する部分もあるけれど、そこは「非公式なお願い」という交渉上の約束事項。
しかも、自分の面子の為に「最
日本史授業脚本「34.伊藤博文による憲法調査」
「国会開設の勅諭」で10年後の民撰議会開設を約束した明治政府。板垣退助や大隈重信が政党を結成して、議会開設への準備を進める中、内務卿の伊藤博文は憲法制定に着手します。
アジア初の憲法制定ですから、十分審議してより良いものにしようと考えました。2000年以上の歴史がある日本ですから、その伝統を踏まえた憲法にしなければいけないですし、一方で近代化を目指すための新しい視点も取り入れていかなければいけな
日本史授業脚本「33.政党の結成」
板垣退助の自由党、大隈重信の立憲改進党の結成が今回のテーマです。政府の一員として活躍していた板垣退助と大隈重信ですが、彼らはともに薩長出身者に対する反発心があり下野しました。
板垣退助は土佐藩、大隈重信は肥前藩出身で、薩摩藩・長州藩とともに倒幕を成し遂げた雄藩出身。でも、やはり薩長と比べるとやや落ちますね。政府内の議論になると、大久保利通や伊藤博文などの薩長閥にかなわない。
でも、ついに「国会
「ゴールデンウイーク史」の授業
ゴールデンウイーク真っ只中ですが、5月4日の「みどりの日」を迎えて思うことがあるのでお話します。
5月3日の「憲法記念日」、5月5日の「こどもの日」は認知度の高い、安定感抜群の祝日です。
それに引き換え、間の5月4日の存在感が薄い感じがしますよね。
ちょっと前までは「国民の休日」とか言われてたし…。
「祝日と祝日に挟まれた平日は休日になる」という「祝日オセロルール」によって、辛うじて休日で
日本史授業脚本「32.国会開設の勅諭」
国会期成同盟による民選議会の即時開設要求&開拓使官有物払い下げ事件の政治スキャンダル。この場面で伊藤博文が打った手は?
一つ目は「議会の即時開設派である大隈重信を政府から追い出した」こと。大隈の主張は政府内では完全に少数派ですから、いい機会だったかもしれないですね。
二つ目が今回のテーマである「国会開設の勅諭」です。
明治時代には「勅諭」とか「詔」がよく出されますよね。受験生はあまり気にして