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英語を仕事で使うことと自分の英語に自信を持つことは全く別だという話

何度か話していますが、私は副業としてライターとして活動する傍らで外資系IT企業で働いています。


来年の3月で今の会社に入社してから5年になりますが、最初は流石に外資に対する怖いイメージが非常に強かったように思います。


40を前にした転職ということのあり、外資云々は置いておいても失敗は出来ないという怖さがありましたし、何かあればレイオフの可能性は日系企業よりも高いイメージがありましたし、あとはやっぱり「外資」という言葉がそもそも圧迫感ありました。


皆さんの中に「外資」っていうだけでなんか怖い部分って無いですか?じゃあ何が怖いか?ってなるとあれもこれもって出ては来ないと思うんです。


ただまぁ理由を付ければ、外資ってどこまで行っても立場が安泰っていうことは無いし、逆に立場が出来れば給料も上がるからリストラの対象になる可能性も上がるとか、そういう部分もあるかなぁと。


「外資」っていう言葉の持つ怖さって誰がどう刷り込んだのかは分かりませんけど、あれなんでなんすかね?「マザコン」の始まりが佐野史郎さん、「ストーカー」の始まりが雛形あきこさんのドラマみたいな感じで、怖いイメージってドラマで植え付けられることが多い気がしますが、これっていう何かは無いんだよなぁ。わからん。


さて。


外資が怖いっていうのは未だに色々あって、5年経とうとしている今もまだどこかで喉元に刃が突きつけられているような感覚は残り続けているんですけど、外資に来たというのに一向に自信が持てないことっていうのもありまして。


それは、英語です。


ここまでのキャリアで英語って私を支える大事な要素で、ある程度喋れる、書ける、テストでまあまあスコアが出せる、そういうことが評価されてきたというのはあったんですけど、どうにも苦手意識が抜けなかったんですよ。


英語がキャリアを支えているとはいっても、日系企業に在籍しているとそんなにいつも使う訳ではないんですよ。たまーにサバイバル的に使う程度でしかないので、本当にお茶を濁すような感じになるんです。


だから当時不安があったというのは自分でも理解ができる部分があって、大して使っていない以上は仕方がないと。


外資で働くこと自体は入社前から不安ではあったんですけど、英語に関しては使う頻度が上がるから少しはマシになるかなという期待もあったんです。強制的に使うことになるので結果的にいい機会だという想いもありました。


で、どうなったかと言えば、全然自信なんて持てていません。


まぁ確かに考えてみると会話をする機会っていうのはさほどなくて、大半が英語でのチャットかメールで済んでしまうんですけど、相手が殆どノンネイティブなんですよね。


だから、良くも悪くも通じてしまう。


「通じるんだから自信になるんじゃないの?」って思う方も居るんじゃないかと予想しますが、これは今の環境に身を置いて気づきましたがまるで自信にならないです。


なんだろう。
適当なのに通じるっていうのは、成功体験として自分の中に刻まれないんですかね?話を伝えることはこの5年で格段に早くなったのは間違いないし、別に自信を喪失するような失態を犯したことも無い。


なのに、なんかこう、自分の英語に対してまだフワフワした感覚が抜けないんですよね。


過大評価って訳ではないですけど、多分英語が全く話せない人から見たら私の英語でのコミュニケーションって出来ているように感じると思います。そういうレベルだとは客観的には思うんです。


出来ているけど、出来ている自覚がまるで無くて、出来ないことばかりが気になってしまう。語学っていうのは終わりがないものだということが分かりました。


英語をある程度使っている方に聞きたいんですけど、皆さんどうなんですかね?5年この環境に居てこれだから、多分私は一生このままですよ。


そういう意味で考えると日本に来ている日本語喋れない外国人って凄いなと思います。


あの人たち、駅なんかでも平気で英語でこっちに聞いてくるじゃないですか。で、こっちがうろたえる。いや、よく考えてくださいよ。英語がこんなに通じない国で、自分の言葉が全然通じないのに堂々と英語喋ってくるんです。私だったら通じないことに慌てますね。


通じないのにあれくらい堂々としていたいなと本当に思います。いやこれ、別にあの外国人の方に対する皮肉とか嫌味では全くなくって、通じなくても動じないスキルってどうやったら身に付けられるんですかね?


あれだけ堂々とされると、英語が喋れないこっちが悪いみたいじゃないですか。いや、お前も日本語喋りなさいよ。ガイドブック取り出して「この日本語喋りたいんですけど」みたいな感じで指したりとかしてくださいよ、って思いますけど。


日本に居ながら英語を貫けるメンタリティの人も居れば、外資でそれなりに英語を喋っているのに不安が抜けないというメンタリティの人も居る。前者だったらさぞや楽だったと思うんですけど、なかなか上手く行かないもんだなぁと思います。


で。
すこし考えたんですけど、これ英語云々の話じゃないんです。
そもそも私、日本語ですら自信ないんですよ。


人前に出ると緊張していたし、電話なんて全く駄目で、それが社会人になって「習うより慣れよ」を繰り返すことでどうにかパニックにならない範囲で、平常心で日本語を喋れるようにはなりました。配信も出来るようになりました。


ただ、基本的にはコミュニケーションというものが怖いのは間違いなくて。


そういう自分が外国語でコミュニケーションするんですから、そりゃ更にハードル上がるし、どこまで行っても自信なんて持てないだろうなぁって思うんですよね。


だから、どうしてこんなにコミュニケーション下手な奴が英語なんて始めちゃったんだろうって思いますけど、たぶん私みたいな気質の人って語学に対してゴールが無い状態が続くんだろうなぁと思います。


でも、いいんですよ。
結局通じているんですから。


自信なんていつまで経っても持てないけど、日々改善して、何とか通じるという経験を重ねていく。日本でも英語で堂々としゃべる外国人のようなメンタリティは一生持てないけど、これに関しては損ばかりしているけど、まぁそれでいいんじゃないかと。


最後に、私が生まれて初めて英語を話しかけられたときのことを紹介します。この頃から変わっていない部分、物凄くあるんですよ。


あれは中学生の頃だったと思うのですが、小田急線で新宿から登戸に帰る時のことです。新宿が始発ですから、停車時間が少し長いんです。


そしたら今と比べるとかなりレアだったんですけど、車内に外国人が入ってきまして。


何を思ったか私に話しかけてきたんですよ。
英語で。


いやいやいや。
お前絶対話しかける相手違うだろ?


もっとさ、横分けのビジネスマンとかさ、語学出来そうなやつなんていっぱいいるじゃん。なんで中学生捕まえて英語喋るのよ?可能性としては彫りが深いのでハーフの可能性を考えたんですかね?


にしてもそりゃねえよ。
30年越しに考えてもやっぱりねえよ。
これは。


一応分かりやすい英語で聞いてくれました。

“Is this train express?”


ただ、当時の自分は見知らぬ人に話しかけられて日本語でも対応できないのに、分からんわけです。心臓バクバクしながら「この場合Expressってどういうことだろう?」って必死に考えるんです。


そしたらその外国人、私が四苦八苦しているのに気付いたのか、車内の小田急線の路線図を指しながらこう言うんです。


“Is this red line ?”


あ。
なるほど。


小田急線は急行を赤、準急を緑、各駅停車を青で表示しています。
急行かどうかを聞きたかったのです。


そして私は新宿から登戸に行くので当然急行に乗っている訳です。


よし。
これなら答えられる。


ただ、答えは分かっているけど緊張しているんです。
心臓をおえって吐き出しそうになっているんですよ。


今にして思うと急行かどうかなんてマジでその辺のおっさんに聞けよって思います。どういうセンスしているのか本当にわからない。分からないことだらけなんですけど少なくともこの外国人男性は私を窮地に追い込んでいるんです。英語の兵糧攻めみたいなもんです。


どうにか答えよう。
この会話を終わらせよう。


そう思ったときに口を突いて出てきたのが…





「はい、Yes、です」


・・・

この時私は、大学生になったら絶対英語を勉強しようと思ったのでした。

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