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中心はどうやって決まる?(調和・均衡がもたらす中心性)

引き続きジェイミー=デイヴィス(エジンバラ大学実験解剖学教授)による書籍『人体はこうしてつくられる ひとつの細胞から始まったわたしたち』を読み進めている。

「新しい人間はどうやってできるのか?」という問いに始まる生命の発生のプロセスはとても深淵で、いまだ全容が明らかになっているわけではない。0.1mmという極微の細胞、受精卵が細胞分裂を繰り返しながら、やがて思考し、さらに言葉を話す複雑な存在「ヒト」へと至る。

生物は工学的な完成形の設計図を最初から保持しているわけではなく、細胞が内側に有している情報、そして外部からの情報を柔軟に使いながら組織化し、発達してゆく。

細胞分裂では、分裂前の母細胞が46本(胚の母親からの23本と父親からの23本)の染色体を持ち、分裂後の娘細胞にもそれぞれ46本の染色体が必要となるので、細胞分裂の前に染色体を複製しなければならない。複製されたら次にそれらを移動して、娘細胞が母親からの染色体23本と父親からの染色体23本を受け取れるようにする。

ここで問題になるのは「分裂後にできる二つの娘細胞の中心点がどこになるのか?」ということ。中心点が決まり、中心点の中点に対して複製された染色体が並ばなければ、分裂後の各娘細胞に一揃いの染色体がきちんと入らないからだ。

そもそも空間内における位置関係を細胞がどのように把握するのか、という疑問も湧いてくる。この点について本書からいくつか言葉を引いてみたい。

第一ステップの課題は、分裂後にできる娘細胞の中心点(二点)を見極めることである。だがいきなり二点というのはハードルが高いので、その前に普通の成体の体細胞、それも細胞分裂中ではない細胞がどうやってその中心点(一点)を見極めるかを考えてみよう。(中略)端的にいえば、一つは中心体が押される<押しモデル>で、もう一つは中心体が引っぱられる<引きモデル>である。(中略)力のバランスがとれるのは、中心体が細胞膜のすべての面から等距離になったときだけ、つまり中心体が細胞の中心点に来たときだけである。

ヒトの胚が押す力を使っているのか引く力を使っているのか、あるいは療法を組み合わせて使っているのかはわからないが、いずれにしても結果は同じである。つまり、この作業に参加するどの要素も細胞の形を知らないし、細胞の中心点を示す座標軸さえ存在しないにもかかわらず、中心体は自動的に中心に移動する。つまりシステムそのものが自らを組織する。この自動システムは、初期条件がどうであろうとも、ほとんどの場合その条件に適応できる。それにかかるコストは、新しい微小管を作りつづけたり、微小管を引っぱりつづけたりするエネルギーということになるが、このようにエネルギーコストが高くつくのが適応型自己組織化の特徴である。

機構が複雑な仕事を - 染色体が細胞内のどこにいようとすべて見つけてきちんと分離するといった仕事を - 成し遂げられるのは、機構を支える要素そのものが複雑だからではなく、あくまでも単純な要素の相互作用に助けられてのことである。なかでも、直前の結果の情報 - 染色体がすべてきれいに並んだといった情報 - がフィードバックされ、それによって個々の要素の次の挙動が決まるというやり方に負うところが大きい。数多くの単純な要素をフィードバックで互いに関連づけることによって利用する。それこそが生命体の特徴である。

つまり、空間における「絶対的な」位置関係を把握した上で中心を決めるのではなく、細胞が押し合い・引き合う力が調和する(バランスする)位置を「中心点と定める」ということ。最初から中心が決まっているのではなく、ゆらぎの収束した先に中心が存在するということ。獲得された「中心性」は「絶対的ではなく相対的なものである」とも言えるのかもしれない。

ひるがえって、人間の思考も似ているかもしれない。「ああでもない、こうでもない」「こうかもしれない」と発散と収束を繰り返しながら、納得する位置を探っていく。「行き着いた先が正しいのか」はともかくとして、それはさらに思考を進めるための暫定的な足場となってゆく。

押し合い、引き合うプロセスはフィードバックを含む時間的な変化である。ふと、日常生活での挨拶もフィードバックプロセスかもしれないと思った。

もし自分が誰かに対して挨拶をしたとする。もしも挨拶が返ってこなければ挨拶は独り言になってしまう。「挨拶をする」そして「挨拶を返す」が対になった円環構造があって、初めて挨拶は文脈を獲得し、固有の意味を持つ。

「挨拶を返す」は「フィードバックを返す」ことに他ならない。文脈は何かと何かがつながるところに、連鎖するところに生まれる。円環構造は生命的なのである。

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