家族法制の見直しに関する中間試案についての意見書


はじめに

 わが国の家族法制は、欧米の先進国に比べると30年以上は遅れている。戦後、日本国憲法の規定に合わせて、民法の家族法制は大改正が行われた。この時点では、わが国の家族法制は欧米先進国とほぼ同等の水準にあったと考えられる。しかし、欧米では1980年ころに女性の社会進出が進んだことによる、現実の家族と家族法制の乖離を修正する形で法改正が行われてきたのに対して、わが国は必要な手当てをなさず、その後の民法改正でも弥縫的な部分修正にとどまり、抜本的な改正がなされなかった。その結果、わが国の家族法制、とりわけ、離婚後の単独親権制度は国際的にも異例なものとなり、また、実際に子どもの権利条約に抵触する疑いがあるとして、国連からもその是正が勧告されている。

 今次の家族法改正の機会は、この遅れを取り戻し、わが国家族法制を国際水準に合わせる良い機会である。また、それと同時に、子どもの権利条約に即した形で民法においてもできる限りの子どもの権利保護が図られるような規定を設ける良い機会でもある。

 私は、この良い機会に日本に正しい家族法制が形作られることを願って、本意見書を提出するものである。

第1     問題の所在

 わが国では、戦後に離婚後には父母の一方のみが親権者となれるという絶対的な単独親権制度が採り入れられて以来、ずっとこの制度が続けられてきている。このような離婚後の単独親権制度は、当時の欧米先進国の法制度と比べても、また、国民の法意識に照らしても、ある意味当然のものであったと言える。それは、当時は欧米先進国でも離婚後の共同親権を採り入れている国はほとんどなかったこと、また、『子は家の跡継ぎ』という家族観を受け継ぐものであったからである。このような法制度は、「男は仕事、女は家事育児」という、当時のジェンダー感覚にも沿うものであった。そのため、一部の例外的な場合を除いては、離婚後の絶対的単独親権の問題が顕在化することはなかった。

 ところが、国民の価値観が変容し、『男親も子育てに参加すべき』、『女性ももっと社会に進出すべき』という価値観が国民に共有されるようになってきた。また、『離婚は悪』という価値観も薄れ、わが国でも3組に1組の夫婦は離婚するようになっている。

 男親でも育児に関りを持てば、子どもに深い愛情を抱くようになることは理の当然である。また、離婚によって育児の負担は単独親権者(多くの場合は母親)に集中することになり、その負担は親権者の不公平感や子どもの貧困の土壌となっている。離婚件数の増加に伴い、これらの矛盾を多くの国民が共有するところとなっている。

 婚姻中には育児に同等の立場で責任を負い、権利を有していた者が、離婚という事由のみによってそれができなくなるというのは不合理である。これは、父母の平等という点からだけではなく、子どもの利益という点からも問題となる。子どもが父母からの愛情を受けて育つ権利は基本的人権として捉えるべきである(子どもの権利条約前文、第18条)。また、父母が子どもに愛情を注ぐことも同様に基本的人権として保障すべきである。

 さらに、家族法制を考えるにあたって、子どもの発達段階に考慮することが重要である。「子の最善の利益」という言葉では抽象化されてしまっているが、子どもは意思表示ができない乳児期、不完全な意思表示しかできない幼児期、ある程度の意思表示が可能な少年期、ほぼ完全な意思表示が可能な青年期を経て、成人となる。こうした発達段階に応じた子どもの権利保障と保護を考える必要がある。


第2     あるべき家族法制の姿

 前述の問題の所在を踏まえて、私の考えるあるべき家族法制の姿は以下のとおりである。

1.共同親権制度の導入

 まず、離婚後の絶対的単独親権制度(民法819条)は廃止されるべきである。離婚はあくまでも夫婦という関係の終焉であり、それが親子の関係に影響を及ぼす理由はないからである。離婚配偶者の一方が親権を行使させることが不適当である者である場合には、すでに民法は親権喪失(民法834条)や親権停止(民法834条の2)の規定を用意しているので、これが活用されるべきと考える。

 そして、『親権は親の子に対する責任』と捉える以上は、離婚後も原則として共同親権とすべきであり、親権者として不適格な者は民法834条や同条の2によって親権喪失または親権停止による措置をとるべきである。また、父母の協議による親権の放棄も認めるべきではない。子どもに対する責任を父母の協議のみによって放棄できるとすることは不当だからである。親権の行使に困難な事情があるなどの特別な場合に限り、家庭裁判所の許可のもとに親権の放棄を許可すべきである。

2.共同養育計画書の策定

 次に、未成年の子のある夫婦が離婚する場合には、「共同養育計画書」の策定を義務とすべきである。

 離婚に至る夫婦は、多くの場合、当事者間に何らかの葛藤があるのが普通である。この葛藤が、子の養育に影響を及ぼすのは好ましくない。そのため、子の養育に関してはできるだけ事前にルールをきちんと決めておく必要がある。

 共同養育計画書では、

・父母それぞれが子の養育に関わる時間や時期

・父母の子の養育費の分担

・その他、子の養育に関して必要な事項

が取り決められるべきである。また、必要に応じて、医療や教育などについて優先的に親権を行える親を取り決めることができるとするのが望ましい。

 子の共同養育計画書の策定には、家庭裁判所またはそれに準ずるような機関(弁護士会等)の関与をもたせ、債務名義としての効力を持たせるべきである。

3.未成年子のある夫婦の別居に法的ルールを作る

 現在、未成年の子のある夫婦の別居に関しては、特段の法的ルールがない。本来、夫婦には同居協力の義務を負い(民法752条)、また、未成年の子についてはその居所は父母(夫婦)の共同親権の行使によって変更が可能なはずである(民法821条)。しかし、この条文はほぼ死文化しており、現実には、先に子を連れて別居を開始した親がそのまま監護者に指定され、離婚に際しては単独親権者とされることが多いのが実情である。その結果、いわゆる『子の連れ去り』、『連れ去り勝ち』が離婚する夫婦の大きな問題となっている。

 こうした子の連れ去りが起こる背景には、離婚した後にはどちらか一方の親しか親権者になれず、親権を失った親は親権を持つ親に対してなんら有効な法的対抗手段を持たないということがある。しかし、離婚後の共同親権を導入したとしても、それだけでは子の連れ去り問題は解決しないと考える。別居後離婚前は父母の共同親権が原則であるにもかかわらず、それを無視した慣行が法的にも認容されているからである。

 したがって、未成年子のある夫婦の別居について、きちんとした法的なルールを定めることが必要である。具体的には、
・原則として、別居の前に別居後の子の監護養育について夫婦で話し合いを行い、その合意を明確にすること(家庭裁判所棟の関与があることが望ましい)
・例外的に、夫婦間のDVや子の虐待等があり、協議が行えないような特段の事情がある場合には、事前の協議なく子を連れて別居することを認めるが、その場合には、子を連れて出た親が速やかに家庭裁判所に申立てをおこなって、特段の事情の有無と相手方と子との親子交流の確保を図ること(ただし、子の虐待があった場合など、子の利益を害する場合を除く)
が、最低限必要である。

 この場合、未成年子の年齢に応じて、親子間の関係が良好に保たれるように十分に配慮すべきことはもちろん、前述の特段の事情が認められないにも関わらず、子を連れて別居が開始されているような場合には、子の意見も聞きながら、子を元の環境に戻す措置も認められるべきである。


 その他の細かな論点については、次項で述べる。


第3    中間試案の検討

 以下、「中間試案」の論述の順番に従って、順次論じる。

1.「親権」等の用語について

 「親権」とは、子の生活全般について配慮し現実に扶養をおこなう責務であるとともに、第三者に対しては子の代理人あるいはこの保護者としてその権利を擁護するために権利主張ができる権利でもある。

 したがって、「親権」という用語を「親責任」などの責任面だけを強調する用語に置き換えることには反対である。

 仮に、「親権」という用語が『親が子を支配従属させる権利』のような意味に誤解されることがあるというのであれば、『親格』(親としての資格・地位)のような用語に置き換えるのが妥当だと考える。

2.DVや児童虐待がある場合について

 DVについてはいわゆるDV防止法が、児童虐待については児童虐待防止法が、すでにそれぞれ存在するのであり、DVや児童虐待のような例外的事象について、それが原則であるかのように家族法制を構成することは誤りであると考える。DVや児童虐待への対応が不十分であるならば、特別法であるDV防止法や児童虐待防止法の改正や運用の改善によって対策を図るべきである。

3.「子の最善の利益の確保等」について

 家族の中で最も弱い立場にある子どもの利益が保護されなければならないのは当然である。また、子どももその発達男系に応じて、その意見や心情が尊重されるべきことも当然であり、そのような訓示的な規定を民法に設けることには賛成である。ただし、家庭の事情も子どもの性格も千差万別のものであるから、あくまでも訓示規定にとどめるとともに、子どもの人権を尊重した子育ての重要性を国民に周知浸透させるような政府の努力が必要であろう。

4.「子に対する父母の扶養義務」について

 未成年子に対する父母の扶養義務は生活保持義務であるとするのが、現在の家庭裁判所の運用であるが、これを明文で明らかにすることは反対ではないが、私が考えるような共同養育計画書の策定の中に養育費の取り決めを盛り込めば独自の条文をもうける必要はないと考える。

 成年に達した子に対する父母の扶養義務は、それぞれの家族の私的自治に委ねるべき問題であり、法的に画一的な規定を設ける必要はないと考える。

5.「父母の離婚後等の親権者に関する規律の見直し」について

 前述のとおり、原則として離婚後も父母双方が親権者であり続けるべきであり、「甲①案」に賛成である。ただし、父母間の協議のみによって父母の一方のみを親権者とすることができるとすることには反対である。

 また、注で示されている、法改正前に離婚が成立し、父母の一方のみが親権者となっているケースについては、共同親権に改めることが可能なような救済規定を設けるべきであり、離婚時において親権者としての不適格事由が認められない場合には、共同親権とすべきと考える。

 また、「監護者の定めの要否」に関しては、前述のとおり、「共同養育計画書の策定」によってなされるべきであり、法律によって監護者の定めや監護者の特別な権限について画一的に法定することは適当ではないと考える。けだし、父母の職業や住居地など、離婚後の父母と子どもの置かれる状況は千差万別であり、画一的な処理には適さないからである。A案、B案のいずれにも賛成することはできない。

 なお、私の考える「共同養育計画書」に定めた事項については、事情の変更等により、その変更が必要となった場合には、父母の協議により、父母の協議が整わないときは家庭裁判所の定めるところにより、子の最善の利益のために変更ができるものとする。

 婚外子を認知した場合にも原則として共同親権とすべきである。この場合も、父母の一方が親権を放棄する場合には父母間の協議によるのではなく、家庭裁判所棟の関与のもとに認めるべきである。

6.「父母の協議離婚の際の定め」について

 私は、未成年子のある夫婦が離婚する際には、夫婦の協議だけで離婚できるとする、現行の協議離婚制度については抜本的な改正が必要であると考えている。それは、第2で述べたとおりであるが、現在の協議離婚は手続きとして簡便すぎるだけでなく、子の利益が守られているのかどうかをチェックするという重大な問題が存する。ここにメスを入れなければ、「子の最善の利益」という重要命題が、ただのお題目になってしまうことを意味する。

 その意味で、中間試案にしめされた甲案、乙案ともに反対である。特に、乙案はその内容がきわめて不十分であると言わねばならない。

7.親以外の第三者による監護・交流の規律について

 親以外の第三者で特に問題となるのは、祖父母や叔父・叔母などのしんぞくであると思われる。もちろん、血縁関係がないが一定期間、生活を共にしたような第三者ということも考えられるが、親族の場合と同様にかんがえるべきかはさらに考慮が必要と思われる。

 私は、祖父母や叔父・叔母などの一定範囲の親族については子の監護者となれる規律や子との面会交流をする権利を認めるべきと考える。子どもを虐待から守るためには、その庇護者は多いに越したことはないからである。

8.「親子交流に関する裁判手続の見直し」について

 この点についての私見は、第2の3項で述べたとおりである。

 現行民法でも許されないはずの「子の連れ去り」が罷り通っている現状に鑑み、この点に関する法改正も共同親権の導入とともに喫緊の課題である。

9.「養子制度に関する規律の見直し」について

 原則として、全ての養子縁組について家庭裁判所の許可が必要とすべきと考えるが、いわゆる連れ子再婚の場合の代諾養子縁組については家庭裁判所の許可を必須とすべきである。

 

終わりに

 親と子の関係は千差万別であり、これを法規範によって一定の型にはめ込むことは困難であるだけでなく、不適当でもある。しかし、法があるべき親子像を想定して、その方向に向かうべく、誘導することは非難されることではなく、むしろ日本国憲法24条の要請するところと考える。

 これを、民法の現行規定に照らせば、何の問題もない親でも離婚という事情(しかも、離婚について帰責事由がない場合でも)だけで、必ずその一方は親権を喪失することになっている。この不合理は明々白々だろう。

 離婚後の絶対的単独親権制度を採用し続ける先進国が存在しないことは、偶然ではない。社会の進歩がもたらした必然である。

 もちろん、共同親権制度を採用するにあたって考慮すべき事項は多岐にわたるが、考慮すべき事項が多いからとこの機会を逃せば、わが国は国際的にも「家族法後進国」の誹りは免れないことになる。

 諸外国の共同親権の法制度を参考に、わが国にも優れた共同親権の制度が作られることを願って已まない。

以上


※ この記事は、中間試案に対して送ったパブコメをそのまま転載したものです。

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