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2019 セドナ体験記⑧

セドナ滞在最終日。

前回は小川のほとりで瞑想の時間を取ることになったところまでを書きました。

今日は、私がその場所で経験した、ある変わった出来事について書いていきます。

陰と陽のエネルギーが交錯する場を抜けて、静かな陰の気に惹かれ、導かれるようにある岩場に腰を下ろして、私は瞑想を始めました。

私にはこの3日間で、どうしても得たい答えがありました。

それは、「自分が何故セドナに来たのか」という問いに対する答えです。

最初は全く行く気などなかった。
仕事もあるし、長期の休みが取れないばかりか
家を長いこと空けるなんてできない。

そんな風に考えていました。

でも、ある時突然、「行けるかも知れない」と思い始めたのです。

休みはかき集めれば何とか工面できましたし、費用も大丈夫。

家族には協力を依頼することができました。

何故か、「セドナに行く準備」が着々と整ったのです。

何か意味があるから、こうなったのだろうと。

でもその意味がわからない。

そう思いながら、その答えを探しながら、セドナでの3日間を過ごしていたのです。

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そして私はこの瞑想で、探していた答えを見つけることになります。

私は今まで、自分の魂の声を無視し続けて生きてきました。

頭で考え、損得勘定を最優先に、合理的かどうかを常に考えて、動いてきたように思います。

頭で考えて選択してしまい、魂が「こうありたい」と発している声を、ずっと無視してきたのです。

セドナにいる間の私は、何の後ろめたさも、何のためらいも、何の後悔もなく、
子供のように無邪気に笑い、泣きたい時に涙を流し、魂の赴くまま時間を過ごしていることに気づいていました。

魂が本当に欲することを思いっきりしながら、ただここに在る。
そんな自分に気づいたのです。

今生を生きてきた今までの私は、ずっと自分の魂の声を封じ込めてきました。
魂の声を聴いてあげるどころか、その存在すら知らないフリをしてきました。

瞑想の中で、自分自身の魂に対して、申し訳ない思いがとめどなく湧いてきて、涙が溢れます。

ごめんなさい。ごめんなさい。
あなたをずっとないがしろにしてきて、本当にごめんなさい。

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そう心の中で謝り続けていました。

すると、過去生を生きた私が何人か、背中と両肩のあたりに集まってきて、セドナの小川のほとりで瞑想する現在の私に寄り添って、「もう大丈夫」と言ってくれているのを感じました。

あなたは自分の信じる道を行きなさい。

そう言ってくれているようでした。

私は、感謝の気持ちに満たされながらも、ただひたすら謝ることしかできませんでした。

ごめんなさい。これかかは
ちゃんとあなたたちの声を聴くから。

だから私に力を貸して。

そう願いました。

とても静かで、心強いひとときでした。

目を開けて、自分のいる場所を確認します。

今、私は、確かにここにいる。

魂の声を、ちゃんと聴いている。

そう確認して、再び目を閉じます。

「うまれかわる」

RE-Bornという私のキーワード

それを、再び目を閉じて念じました。

すると、瞼の裏で、赤い玉のようなものが現れて、ゆっくりと点滅するのが見えました。

サードアイのあたりから降りてきたそれは、点滅を繰り返しながら、大きくなったり小さくなったり、揺れて位置を変えたり、また戻ったりして、

まるで心臓の鼓動のように、でも不規則な動きで、
そのまま下降を続けます。

じっと見つめていると、それはやがてハートチャクラのあたりにすとんと落ちて、消えてなくなりました。

自分の中に入るような感覚を覚え、私は両手でその赤い玉を受け止めるようにして、しっかりとチャクラの中に受け入れました。

赤い玉が消えてから、今度は緑の光が左上の、太陽のある方から降ってきて、そこに白金の色が合わさって、煌いているのが見えました。

これは、私が新しい自分を受け入れたことに対する、太陽からの祝福なのか

応援されているような、そんな暖かい気を感じました。

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やがてその緑と白金に彩られた光は少しずつ消えていき、
私はそれを最後まで見届けたのです。

目を閉じたまま顔を上げると
瞼の裏には、もう赤い玉も、緑の光も見えません。

ただ太陽の光によって、一面が明るく感じられるだけでした。

そのまま下を向いてみると、一面が暗い世界。

陰の場を象徴するような、落ち着いた色に満たされています。

この時、私はあたりまえだけど、大切なことに気づきます。

下を向くと暗い世界しか見えない。

だから上を向いていよう。

そう思ったのです。

ハートチャクラで受け止めた赤い玉は、きっと生まれ変わった私の命そのもので、

過去生を生きた自分たちに祝福されて、それを受け入れることができたことが、とても嬉しく、静かな感動が溢れました。

それから何度目を閉じても、あの赤い玉が現れることはありません。

しっかりと自分の中に、根付いたからだろうと思います。

瞑想を終えた時は、とてもすっきりした気持ちでした。

私がセドナに来たのは、この経験をするためだったのだとわかったからでした。

私が、本当の意味で生まれ変わるためには、日常の中にいてはいけなかった。

日常から切り離され、魂から生を楽しむことができる環境でなければ、この気づきは得られなかったはずです。

時間が来て、先ほどまで足を水に浸していた、陽の気が満ちている場所に戻った時、私は本当に、明確に先ほどの自分とは違う自分になっているのを感じました。

仲間の一人が撮影した、エネルギーが満ちた動画を観て、ああやっぱりここに来てよかったと、心から思ったものです。


このあと、来た道を戻りながら公園を散策するのですが、その時の光景はまた次回、写真とともにお伝えします。

いよいよセドナ滞在記も残り少なくなってきました。

書きながら追体験しているので、終わってしまうのが少し寂しい気がします^^;

それではまた、明日お会いしましょう♪

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