見出し画像

障がい者にとって「家族」とは何か

 どれだけの期間をともに生活してきたかということや接し方によって変わるとは思いますが、支援をしていると「家族に対するこだわり」を感じることがあります。

 グループホーム、入所施設で生活している場合では、家族で会うことはほとんどない。「会えない」とも言える。
 家族に会えない理由で、思いつくことは4つ。①高齢になり、自分たちだけでは、支援・世話することができない。②家族間での関係悪化。③何かあったりした時には助けたいが、家族・親族が遠方に住んでおり、すぐに対応ができないので、支援者がいるところで生活してもらいたい。④産まれてから家族に会ったことがない。
 また、施設等では、ほかの利用者の視線も気になるから、施設内での家族の面会を制限しているところもあるのかな。
 「会いたい」けれど「会えない」というモヤモヤと、普通の「家族」が分からないことで、こうあってほしい「想像」で、悩んでいると思う。

 また、ひとり暮らしをしている方であっても、その人なりの家族のカタチを追い求めている。親と暮らしていると「何か守られている」と感じ、親も自分も「普通の家族」になるために別で暮らす選択をしようと思っているかもしれない。

 相談をしていて、つい思ったけれど、本人の口から家族の話題が出てくることもほとんどないと感じました。面談や計画作成の時には、家族についての聞き取りもあるが、なんだか言いにくそうにしている。言いたくないというか、関わって欲しくないようにも思えます。

 自分はもう大人だと思っているから、頼りたくても頼れない。自立のためには、家族にあまり心配をかけたくない。家族に頼ることは悪い事ではないはずだけど、どこかに「自分で考える事が一番」と自分に責任を課しているのか。

 家族には感謝しているのは、間違いないと思います。だからこそ、どうやって、その思いを伝えようか考えているし、もしくは、分からなくなっているような気がします。言葉で伝えようとしても、プレゼントを渡そうとしても、周りの利用者には聞きにくい。支援員に聞くのは恥ずかしいし、プライドが許さないかもしれない。

それって「多問題」?

 「多問題家族」といわれる社会問題もあるけれど、「障害者がいる家族」の問題ではない。
 僕が思うに「最初の一つの問題がうまく対応できなかったために、他のちょっとした問題が引き寄せられるように大きくなって、絡まってしまった」問題なのかなと思っています。そして、解決しようとしているうちに、横やりが入ってきて、身動きが取れなくなる。そこに、障害者が関わっているとしても、何とか自分でできる方法を考えて、解決しようとしている。
 問題を解決しようと、もがいて相談できるところが決まっていくと、一人で悩むことがないので、家族としては安心。
 ただ、問題の原因によっては、「家族であること」に振り回されることもある。

 因みに「相談員として」は、どうしても言ってしまう言葉がある。

「家族ができることは家族でしてくださいね」と。

 この言葉は、「家族でしかできないことがあるので、そこはお願いしたい」と言っているつもりなんだけど、「家族で話し合ってほしい」とも言える。話し合うことで、家族でまた悩まされる。
 だからと言って、相談員や支援員にすべて任せろ、ではない。

 家族は「羨ましい」ものにもなるし、「恨めしい」ものにもなりうる。そして、「有り難い」と思える時が来ると思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?