新米記者が見た検察④黒川さんのこと
連載も最終回になった。
きょうは渦中の人物、黒川弘務(くろかわ・ひろむ)さんのことを書く。
有名人
はじめて見たのは、筆者がポップコーンを食べていたときだった。
2008年秋。法務省主催のイベント「赤れんがまつり」でのこと。すらっとした細身で、めがねの奥の眼光がするどい。「このひとが、黒川さんか」。しばし見入ったのをおぼえている。
とにかく有名だった。
「できる」「豪腕」「顔が広い」「政治力がある」。記者連中からこんな評判があがっていた。
うろおぼえだが、当時の役職は法務省の大臣官房(注:役所の司令塔にあたる部門)の枢要なポジションだったはずだ。
法務省と検察庁
ここで「法務省」と「検察庁」について説明したい。
東京・霞が関には、法務省と検察庁がならんでそびえ立っている。建屋は別だが、内部はつながっている。両者の関係もおなじだ。
検事(検察官)とは、難しい司法試験を突破したひとたちをさす。検事には法律上、独占的な役割があたえられている。
たとえば、刑事裁判をおこす起訴とよばれる行為は検事にしか認められていない。警察官にはない特権だ。首相であっても、罪を犯せば起訴されるわけだから、検事集団である検察庁は政治権力から独立した権威をもっているといえる。
一方、首相の部下として司法行政をになう官僚集団が法務省だ。民法の条文を改正したり、全国の刑務所を管理したりしている。
この2つの組織はおなじひとたちで構成されている。もちろん組織トップは別だが、検事や事務員といった職員は、一般的な人事異動で相互に行き来している。
ようするに、検事には、場所にあわせて色をかえる昆虫のように、融通無碍(ゆうづうむげ)なところがあるのだ。
これが、国論を二分している定年延長問題の根底にある。検事は政権との間合いが宿命的にむずかしい。
黒川さんとは
話を黒川さんにもどす。
検事としてキャリアをスタートさせた黒川さんも、双方を行き来してきた。ときに鬼の特捜検事、ときに政治家のご機嫌をうかがう官僚として。
リベラル嫌い
黒川さんをめぐり、筆者には2つのエピソードがおもいつく。
1つは、徹底して「朝日新聞」を嫌っていたことだ。
「あいつら」「許さない」「バカじゃないか」
死刑をめぐる認識の違いがあった。
あたりまえだが、法務・検察は死刑存続を主張している。検事は法廷で死刑を求刑するし、法務官僚は死刑執行の判断もおこなっている。
一方、リベラルな社風でしられる朝日新聞は、死刑制度がもつ非人道的な面に懸念をしめしてきた。
黒川さんはそこが気に食わないようだった。
安倍政権と黒川さん
ちなみに、朝日嫌いは安倍晋三首相の専売特許でもある。
国会で、記者会見で、安倍首相は公然と朝日新聞を非難してきた。憲法観、もっといえば国家観がまったくかみあわないからだ。
”アベトモ”ということばがある。
安部首相と気の合うひとたちのことだ。側近として重用される傾向が強い。
黒川さんが”アベトモ”の資格を有しているとみてなんら不思議はない。
風通しの悪い組織
もう1つ忘れられないのが、黒川さんがとある記者に対し、大阪地検特捜部がてがけていた事件に関する情報の提供をたびたび依頼していたことだ。
「情報をくれ」と露骨にいっていた。その記者は大阪から東京に転勤してきたばかりだった。
当時、黒川さんは法務省の幹部だった。そんなかれが身内の情報をよりによって部外者におねだりするのは奇妙だった。
これはあらゆる大組織に共通している問題だが、縦割り組織の風通しの悪さのせいだろう。
情報があがってこないのだ。
10年あまりたち、改善されているとおもいたいが、黒川さんの言動は法務・検察のいびつさを物語っていた。
見方をかえれば、黒川さんには卓越した情報収集能力があるといえるかもしれない。
以上、とりとめもないが、渦中の人物をとりまく小ばなしを並べてみた。
今後、黒川さんがどうなるか筆者は知らない。アベトモ色のつよい検事総長になるかもしれないし、騒動の責任をとって退職するかもしれない。
検察は秘密主義である。職業倫理上、やむをえないが、ほおっておくと、今回の騒動の全容もうやむやになるだろう。
内部でもメディアの人間でもだれでも構わない。もっと実態を伝えてもらいたいとおもう。
最後に
全4回にわたり、検察のことを書いてきた。
検察官定年延長問題の理解を助ける材料を提供するためにはじめた連載だったが、思い出話に終始した気もする。
筆力のなさをお詫びしたい。
From まこりん
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