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体の痛みから見えた「当たり前のありがたみ」

GWの最終日、朝から少しソワソワして落ち着かなかった。苦手なMRI検査の予定があったから。


MRIを受けたことがある方はご存知の通り、閉塞感のあるドーム型機械の中に入って、まるで工事現場にいるような爆音と振動に、約20分動かず耐える修行のような検査。

数年前にも一度したことがあって、爆音と閉塞感のダブルパンチで不安に駆られた記憶が残っている。そんな苦い思い出のある検査をまたするに至った理由は、ここ最近、膝が痛み歩きづらくなったから。

実は、学生時代にアルペンスキーで怪我してしまい、それ以来、実年齢より20歳ほど年上の膝とともに生活している。ちょっとした時限爆弾を抱えているような感覚だ。とはいえ、普段はお酒を飲むと少し痛むな〜ぐらいで、特に気にすることなく過ごしていた。

けれど、今年の4月、前触れもなくその爆弾は作動した。出先で左膝に激痛が走ったのだ。大抵の痛みは和らぐ(と信じている)ロキソニンが効かず、触れるだけでズキっとする足を引きずりながら帰宅。運の悪いことに土曜日の夕方ですぐに通える病院は近くになく、病院で処置してもらうまでの2日間は、痛みと「今までのように歩けるようにならないんじゃないか」という不安や恐れとの葛藤だった。

その後、お医者さんのおかげで徐々に回復したのだけど、今月に入ってまた痛みが再来したので、精密検査をすべくMRIを受ける流れとなったのだ。

🦵🦵🦵

ここまでで察された方もいるかもしれないけれど、私は結構な怖がり。

今回も「あの苦手なMRI」と億劫だったけど、始まってみると不安にならず済んでいた。検査中の爆音が、「ドドド」「ラララ」と音程で聞こえてきて、どんな高さのどんな音なのかを当てる音当てクイズみたいな、くだらない遊びをしていたらあっという間に終わっていたのだ。

今思うと置かれた環境のなかで、今できる自分なりの楽しみを見出して紛らわしていたのかもしれない。未来を想像したり、「〇〇できない」「ない」に焦点を当てると不安が募ることが多いけど、今あるものに目を向け続けるだけですーと落ち着いていく。

検査を終えて一日経った今は、当たり前に出来ていることは、実は当たり前ではなくて奇跡の連続。当たり前が当たり前じゃなくなった時、本当の意味で、初めて当たり前のありがたみを感じられる。そしてそんなことを感情よりも真っ先に伝えてくれる体は尊い存在。こんなことをひしひしと感じている。

検査結果が分かるのはこれから。左膝との付き合いはきっと一生続くので、少しでも仲良くしたく「左助(さすけ)」と名付けてみた笑(左っぽい名前だからというだけで、特に深い理由はないのです)

「今日もよく頑張ったね。お疲れさま〜!」

そんなふうに左助に声かけながら、歩んでいこうと思う。

#今日の振り返り

P.S. 心配してくださった皆さん、本当にありがとうございます!
心は元気で大丈夫ですよってお伝えさせてください。

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