アダルトチルドレンという言葉を知って〜自分の役割〜

いつだったのか記憶は定かではありませんが、妹と二人で話していた時に「私達はアダルトチルドレンじゃないのかな?」と気がついた瞬間がありました。

私はそれから暫く、アダルトチルドレンやそう呼ばれる人を作る家庭環境を調べ続けました。

機能不全家族、AC、アダルトチルドレン、親子の役割逆転、役割りを生きる子供…
調べれば調べるほど、自分がまともな人間じゃないように感じてきました。

ですが、自分の人生を生きていく上でこれが生きづらさに繋がっているとは、今のように真剣に捉えてもいませんでした。
妹とは面白半分で、自分達がどの役割で何を演じてきたのかをネット診断などを使って探っていたりしました。

その頃から私は自分の役割がスケープゴートであることに薄々気がついてきていました。
表面上では仲良くしている妹も含めて、家族全員が私の事を見下し馬鹿にし蔑んでいる様に感じていたからです。
私を馬鹿にする言葉を次男の兄からは幼少期から言われ続けていました。
“馬鹿、ブス、臭い、ブタ”などと言われていたのは小学生になる前からずっとでした。次男が小学生の頃に私は体を触られた事もありました。

虐められている私を見て見ぬふりをする他の兄弟。兄がしている事を母に訴えても母も見て見ぬふりでした。傍観やチクリ、虐めの加担、そのような汚くてずるい行いが当たり前の家庭内でした。

スケープゴートとして生きていた私ですが、家族からはいつも「お前のせい」「お前が悪い」と責められ罪を着せられていた事で、とにかくいつも腹が立っていました。
妹が泣き出して母が駆けつけると、そこに私がいれば問答無用で私が泣かせたのが悪いという事になりました。本当は妹が私に嫌がらせをしてそれを怒った事で妹が泣く…というのが殆どでした。
何があったのかそれぞれの言い分を聞こうとせずに頭ごなしに怒り、いつも私のせいにして終わらせる母が本当に嫌でした。

上記のような事で大体の家庭での良くない出来事は私のせいになりました。

私はいつも「違う!私のせいじゃない!私の話も聞いてよ!」と家族の知らないところで泣いていました。寝る前には毎日泣きながら眠っていました。

家族の中には私の味方は誰もいませんでした。全員が母に嫌われない為に見ぬふりか、アイツのせいにしておけばいい、という態度で私の気持ちに無関心でした。

言葉で言っても私の言葉だけは何故か伝わらず、無かったことにされ、どれだけ悔しくて辛くてしんどくて悲しい思いをしたかわかりません。

私には家族の中には“ダメで悪いやつでいる”事でしか居場所はありませんでした。

私が一番愛していて安心したいはずの家庭は、そこにいるだけで自然とクズ扱いされる、私にとってはただの地獄でしかありませんでした。

アダルトチルドレンという言葉を知って、スケープゴートという役割がある事を知った時、私の異常さよりも、家族としての在り方が異常だったのだと知り、ものすごく安堵しました。
ですが、冒頭にも書いたように、その異常な家族で培われた自分の認知の歪みを知る事はとてつもない痛みを伴うので、自分が異常者なのだと突きつけられるような気持ちにもなりました。

あのような機能不全の家族の在り方自体が異常なのであり、各々は自分の居場所を得るためにその役割にいるしかなかった、だから、それに気がついたらその役割を降りればいい。という見方は絶望的な気持ちから私を前向きにしてくれるものでした。


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