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開国とシュールな謎解き✨✨✨✨✨✨✨

流産の衝撃で、
一気に場面が変わり
果てしなく落ちて落ちて
どん底にいたけれど、


二つ目の病院で言われた、

「これでまた、子宮は次の
 妊娠の為の準備に入れます。
 楽しみですね。」


という言葉が、
ストッパーになって
意識が少しずつ、次の妊娠の為、
という方向に舵をきりはじめた。


そうだ、
少し体を休めたら
又、子作りに励もう。。。


そうだ、京都にいこう。。。


くらいの感じで
意識を切り替えたかった。


だけど、
どうやらそのような
シナリオではなかったようで
更なる衝撃が待っていた。


「部分胞状奇胎、でした。
 これは、美智子妃殿下も
 ご経験されたもので
 その細胞の一部が癌に進行する
 場合があります。
 今回、全て取り除きましたが
 再発を防ぐ為、又、しっかりと
 回避する為には、
 2年間は、避妊をして
 子作りを控えてください。。。」

え???
何???
部分胞状奇胎???
2年間???
癌???
美智子妃殿下がどうしたの???


情報量が多すぎて
ダウンロードできず
理解が全然追いつかなかった。


ようやく
次の妊娠の為に!
と、心をなだめて
それを足がかりに
前を向きかけた意識をよそに、
また、とんでもないカードを
引いてしまったようだった。


なるほど、、、
2年間、、、、、
子作りができない。。。
ここから、2年間。。。。。
子作りができないんだ。。。

その時、
頭に入ってきたのは
それだけだった。


次の妊娠の為、、、
というワードが救いとなって
立ち上がってきた意識が
何処に向いていいかわからなくなって、射る的のない弓矢の上に、
更に矢も折れてしまって
もうしっちゃかめっちゃかだった。


どん底のその下に、
更にまだ、
どん底があったのだ。


原因は何か、、、。
ネットの前に座り込み、
調べまくり、突き止めたかった。
だけど、どれもこれも
その人に起こった体験でしかなく
理由も原因も、真実を
特定する事は出来きなかった。


そして
御多分に洩れず
自分を責めながら、
昔、父に言われた事が
頭にちらついていた。


小学校6年生の時、
書道の宿題で
自分の好きな言葉を書く、
というのがあった。


「真実は一つ」


まるで、
自分が発見した事かのように、
11歳の無敵な私は
意気揚々と、そう書いていた。


父がそれを見てこう言った。


「真紀、それはそんな風に、
 書く事ではない。」

 
「え?どうして?」

「それは、そうではないからだ。」


「え?真実って、ひとつじゃない  
 の?」


「それは、誰かがそう言ったのを
何処かで、聞いたのかもしれない。
けれど、本当にそうなのか。
それが、そうだと言い切れる程、
まだ、あなたは、
何も知らないのではないか。。。」


確かに。。。。。


父はいつも、
なんだか大層に思えた。


けれど、
その後の人生の
まだまだ途中の体験からも、
真実、というものは
ひとつとは限らず、


見る視点によって変わる事。
意識には何層もグラデーションが
あり、何段階も階層がある為、
どの座標軸からみるかで
全く違うものとなる事。
言葉の裏に隠されている
想いや、設定があり、
全てはその言葉通りでない事。
国や、宗教や、歴史や、
勝者か敗者かによっても異なる事、
などを、発見していった。


確かに。。。。。


よって、
私のこの体験も、この段階で
ひとつの原因や、答えを
導き出す事は難しく、
この先を進んで行く時に
それが、そんなに必要な情報、でも
ないように思えてきた。


必要だと思えたのは
犯人探しをするような
意識の方向ではなく、
たった今の暗闇から
どうやって抜けでるか、
この場面を切り抜ける為の
アイデア、その方向を示す
意識の在り方、だった。


またすぐに、子作りに取り掛かろうとしていた私達にとって、
2年間というのは
とてつもなく長い道のりに思えて
思い出しては泣いて、
なかなか抜け出せなかったある日、
こんな声が内側から聞こえてきた。


「与えられたものをみて。
 そして、もし、この事が
  起こらなかったら、出来なかった      
 事に意識をむけて。。。」


はて、、、???


与えられたものとは何か。
もし、流産しなかったら
出来なかった事とは何か、、、
クイズなのか、ゲームなのか
傷ついた体と心には
なかなかシュールな謎解きだった。


妊娠した為にストップした事を
考えていくと、
その為にヘアメイクの仕事を
入れないようにして
鎖国したかのような状態の
私のスケジュールに行き着いた。


なるほど、、、。
2年間のその間、
大好きな仕事をしろと、、、。
そういう事でしょうか。。?


「妊娠したので、
 仕事、お休みします。

 流産したので、
 仕事、またやります。」


人はどう思うかな、、、
ちょっと
勇気がいった。


けれど、そんな事を
気にしている領域はすぐに超えて
内側の声に従って、
そうするしかなかった。

どう思われるかという
役に立たない外側の目を
即座に手放して、ハートに従い
スケジュールを又オープンにして
仕事ができるように
開国したのだ。


そうして
幾日かたった、ある日
メールが届いた。
その頃、よく一緒に仕事をしていた
アーティスト本人からだった。


「もし、もう体調も良くなっていて
 体が大丈夫だったら、次の曲の
 ジャケットと、PVの撮影で、
 ヘアメイクお願いしたいんだけど
 どうかな?
 メンフィスで撮るんだけど、
 一緒に行かない?」


メンフィスに
一緒にいかないか?という
仕事のお誘いだった。。。


メンフィスってなんだっけ?
アメリカだっけ?
飛行機にのるよね、、、、、
妊娠継続してたら
できないやつよね、、、、、


キタ。


なんかキタかも。。。


ここに、流産してまで
体験しないといけない事、
又は、体験したいと思っている事、
それらの何らかの答えが
あるんじゃないかと思った。 


まだ、それが何か、
全くわからないし
あるのかすらわからないけど
未知のわからないままに、
進んでみる事にした。


「ありがとう!
 メンフィス、いく!」


何日間行くのか、
どんな撮影なのか、
メンフィスって何処なのか、
殆どよくわからないまま、
背景を流れる大きなエネルギーにも
背中を押されて
Goサインをだしていた。


こうやって
もし流産していなかったら
見れなかった景色や
体験しなかった世界が
流れ込んできた。





















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