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2021/9/17 フジロックに行くかも知れなかった夏とキリシタンの踏み絵の話

多くの人を感動もさせ、モヤモヤもさせたオリンピックが終わった後、オリンピック以上の不謹慎イベントとして炎上したのがフジロックだった。実は私は久しぶりに開催されるフェスにワクワクしていて、OKAMOTO’Sと上原ひろみが同日に出るなら行きたいな、と思っていた。

取りやめたのはコロナ禍だからではなく、ふたりは同日じゃなかったし、同じ開催日の世界バレエフェスティバルに行くことにしたからだった。
だからその時SNSで多くの人が呟いていた内容、それは私に向けられているようなもので、まあそうだよな、と思いながら、黙っていた。そして久しぶりに踏み絵のことを思い出した。

踏み絵
江戸幕府が行ったキリシタン検索制度の一つ。正しくは,キリシタンが崇拝する聖画像を踏ませる行事を絵踏(えふみ)といい,それに用いられる絵板(舶載の聖画像をはめこんだ板踏絵と,長崎の祐佐が造った真鍮踏絵とがある)を踏絵といった。1629年ごろに始められ,背教させる目的で行われたが,1641年ごろからはキリシタンでないことの証明として用いられ幕末に至る。1858年廃止。
精選版 日本国語大辞典

遠藤周作の、2016年にマーティン・スコセッシ監督によって映画化もされた「沈黙」は、そんな踏み絵を扱った小説だ。キリスト教信徒であるとバレると殺される時代に、隠れキリシタン達を励ますのと、彼の師匠が日本で踏み絵を踏んだ、その噂を確かめるために日本に潜入したロドリゴ。

やがて彼は幕府に捕まり、踏み絵を踏むか踏まぬかの選択を迫られる。踏まなければ、自分が拷問で殺されるばかりか、既に踏み絵を踏んだ信者も道連れで殺される。踏みさえすれば全員が助かるし、安穏とした生活を送ることができる。

10代の頃に初めてこの小説を読んだ時、さっさと踏めばいいのにとロドリゴの逡巡に疑問を持った。そもそもキリスト教では偶像崇拝を禁止している。踏み絵を素知らぬ顔で踏んで、棄教した振りをすればいいのに、そんな風に思っていた。

ところが今の私は、ロドリゴの迷いがずいぶん分かる。フジロックなんてけしからん、という言葉に対し、素知らぬ顔をするのはとても苦痛なことだった。

私にとって、With コロナはフェスが開ける世の中であってほしい。

感染が広がるから中止ではなく、感染が広がらないように対策をして開催、が認められる世の中に。

出演するアーティストが辞退してほしい、なんて言われない世の中に。

参加したファンたちが、ああ楽しかった、そう心おきなく言えて、参加できなかったファンがああ行きたかった、と名残惜しそうに言える世の中に。

それをずっと口にしたかった。

先週の土日、SUPER SONICというフェスに参加した。Twitterで投稿もした。フジロックという踏み絵は踏んだけれど、SUPER SONICという踏み絵は踏みたくなくて、それでこの文章を書いている。


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