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2021/9/13 世界を定義すると行動が変わる

以前は渋谷の東急ハンズから歩いて5分の場所に住んでいた。仙台の外れ、終バスが20時台の不便な場所に18まで住んでいた私にとって、それは夢のようなことだった。
家族が増えて引っ越しし、今はもう少し渋谷は遠のいたものの、自転車で移動するなら庭のような心持ち。この日は奥渋谷でランチした後、109目の前のエクセシオールで小1時間ばかり仕事。その後マークシティで眉カットしてから家に帰る、渋谷詣での日だった。

109のあたりにいると帰りのルートが色々あって、とにかく早く帰るなら道玄坂を少し上り、ユニクロの少し先、麗郷の脇を抜けてヤマダ電機らへんに抜ける。この日はそれよりは、クラブエイジアの前を通って帰ろうとしたけれど気が変わって道玄坂を上り切って、山手通り沿いを走ることに。途中で新しい飲食店を見つけては、今度行こうとスマホのカメラを向ける。渋谷のことは何でも把握しようと思ったら、途端にみるべきものが増えた。

渋谷を軸にモノを考えよう、というきっかけをくれたのは、奥渋谷のバー、Bar Bossaの林さん。アイディアをもらってから、ずいぶんと行動が変わったように思う。

ちょうどこの日読んでいたギリシャ哲学の解説書には、まず世界や自然を定義してから、その中で自分がどう生きるか、行動するかを考えるのが本来自然で、現代社会は世界が複雑化してしまったがために、どう行動するかが考えにくくなったということが書いてあった。

けれども、古代ギリシア人が本能的に感知し、洞察していたように、もともとほんとうは世界・自然のあり方と人間の生き方・行為のあり方とは切り離すことのできない一体的なものであるという、このこと自体は、時代がどう変ろうと変りようのない根源的な事実ではないかと思います。またにそのゆえに、この両者のー無理なー切り離しによって達成された自然科学の諸成果というものは、必然的・不可避的に人間の生き方と行為のあり方、その経験と意識構造の側にはね返ってこざるを得ない、響かざるを得ない。現代の状況のなかに看守されるのは、そういう事態ではないかと思われます。
藤沢令夫「ギリシア哲学と現代」

人間が環境としての世界の中に行動するという、われわれのいちばん端的な、原初的な事実のうちに身を置いていますと、世界のあり方、事物のあり方がどうであるかを知ることと、その中でわれわれ自身がいかに行動し、いかに生きるかを知ることとは、互いが互いを要求しつつ一体的で切り離すことができないというのが、「知る」ということの自然本来の在り方ではないでしょうか。
藤沢令夫「ギリシア哲学と現代」

私の書く軸が見つかったキッカケも、誰かが言及することでその書物の寿命は伸びる、という、世界のひとつの法則を「発見」したことに起因する。それは「渋谷」という世界をもっと知ろうと決めた時と同じように、私に大きな変化を与えてくれた。

読んだ本と観た映画について書く。

文字にするととてもあっけないけど、こんな書く指針を20数年探していた。

いったい自分は世界をどう定義するか、そう考えるだけで、ずいぶんと視点が切り替わる。そして世界を定義さえできれば行動は後からついてくる。


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