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変わるもの、変わらないもの 第3話

公園の水飲み場は今日も無料である、
安全な水を無料で飲める日本に感謝する。



女3人、暮らしたあの部屋にも
平和だった時代はきっとあったのだろうけれど
おばあちゃんっ子だったはずのわたしは
気付けば祖母にも悪態をつくようになり
それは家族に、というより
この生活を強いる運命へのアンチテーゼのような思春期を過ごしていました。


母は、美しいひとです。
夜になると、いちだんと輝きを増すひとです。
そんな働く母の姿が好きだったし
母が不在のあいだ、寂しい思いをさせず
可愛がってくれる祖母を大好きだったはずでした。


早熟な女の子の身体が
大人への階段を登り始める多感な時期に
それは突然、我が家に降りかかりました。

働くことを選べなくなった母、
歩くことが億劫になってきた祖母、
毎月届くライフラインの督促状、
飛び交う怒号、ため息たち、
わたしのこの混沌とした心情は
吐露する場所を失って

選択肢があったことを理由に
スラックスを履く女子高生であることで
こころの孤独をも体現していくのでした。 

貧しさというのは
こころの富をも奪っていきます。
生きていくチカラの弱まりを意味し、
明日を迎えることへの絶望や
いまを生きていることへのやるせなさ
いつか迎える死への恐れ
こころはいつも張り詰めた糸の如く
わたしという存在を曖昧にしていきました。


その日々は突然に訪れました。


体調を崩した祖母に、
末期がんが見つかりました。
もとより身体の弱っていた祖母は
こころも失っていき
痛みから、錯乱することが増えていきました。

母は、
実母である祖母の命に向き合うことから逃避し
その皺寄せは女子高生であるわたしに降りかかってくるのでした。
睡眠時間を削って背負うには荷が重く
疲弊感だけが募っていきました。


人間、ひとりで生まれひとりで死んでいく。


もし、
ほんのわずかでもいいから
我が家がゆとりのある生活だったら
果たして祖母を守れたのでしょうか。
少なくとも、祖母を邪険に扱うことはなく
思い出もつくれたのやもしれません。



負の連鎖を生きていたある夜、
東京の空にも色とりどりの花火が上がるのを
まもなく終焉を迎える祖母が生きた証のように
部屋の窓から祖母とともに見上げていました。
祖母がみる、最期の花火大会でした。




8月25日、


確かに「ごめんね、」と、
祖母はわたしに言い遺し、
帰らぬひととなりました。



わたしが18歳を迎える少し前、
高校生活最後の夏休みの終わりのことでした。


10代のこの経験は、
財をなすこと、こころの富を得ること、
大切なひとを守るためには豊かさが必要なこと、
いまのわたしのもつ価値観を形成しています。


好きなひとには後悔せず、
愛情を一心に注ぐためにも、
たらればを並べることしかできなかった想い出も
この自叙伝に残すことにしたのです。


BGM
プラネタリウム/大塚愛


つづく

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