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自分に制限をかけているだけ。

何かに夢中になって大丈夫、という安心感がほしい。

夢中になって大丈夫、というのをずっと求めているのだけど、それは、夢中になりすぎたらだめだと思っているからだと思う。

何かに集中しているとまぁまぁ碌なことがない、というか、夢中になるほどでなくちょっと一瞬何かに意識が入っただけでなにかしらやらかす。

子供の頃とかの、ほんとに何かに夢中になれていたときには、その世界に入っている間、まわりの音は聞こえてなかったしまわりを見たり状況把握したりできていなかった。
そういうのもあって、夢中になりすぎていると社会適合できない、って固定観念があると思う。

小学校2年生のとき、休み時間に本を読んでいたら授業はじまったのに気づかなくてそのまま読み続けてしまって、すごく怒られたことがある。
それで、その後学校で本を読むのはやめたのだった。
また読んで、またチャイム聞こえなくて、ミスって怒られるかもしれないから。
チャイムが絶対聞こえるようにする方法がわからないなら、読まないのが安全だった。

読むのを禁止したわけじゃないと、あとで先生に言われたけど、校内では読まないようにする、というのをやめれなかった。
(そのかわり学校出てすぐ読みはじめるからそれはそれで問題だとは思うけど。)

当時私にとっては、本読んでたらその中に入るのがあたりまえで、ほんとに聞こえてないとかはよくあって、言われて気づいたら本から出てくるってだけの話で、だから怒られたのとかわざとやってるように思われたのとかが衝撃的だったんだと思う。
いつもみたいにしていないで、ちゃんとみんながしてるようにできないと!みたいな感じだった。

その後、そんなに集中しすぎることはなくなったけど、それでも長編とかのめりこみそうなものは、帰ってからか休日に読むのが安全だった。
平日に長編読んでたらうっかり朝になってたりするから、長編は休前日に読むようにしたりした。

本読んでたらいつもの通勤のよく知ってる駅なのに乗り過ごしているとか、昼休みが知らないうちに終わっていて業無時間に入ってるとかがあったりして、電車移動中とか会社内とかで本読むのをやめるようにした。
読むとしても短編とか、オンラインまんがとか、短くていったん意識が戻るもの。

音楽聴いてたら降りる駅にまったく気づかずにとおりすぎることが多かったから、音楽聞きながら移動するのもやめるようにした。

好みのイラスト描いてたらうっかり朝になっていたりしたので、好きなように描くのは限定的にして、仕事で描くのだけ平日でも夜でもやっていいことにした。

そうやってある程度制限かけて対処してきたつもりなのに、それでも、これくらいならと思ってちょっとした何かをするだけでも、なんなら何か考えはじめるとか思い出すとかでもうっかりトリップしてて、ミスしたり忘れたりしまくる。

とか書いてて思ったんだけど、集中しすぎないようにしていても、どっちにしろちょいちょい意識それたりトリップしたりしてやらかすのだったらら、めちゃくちゃ夢中になっててもそうでなくても変わらないのかもしれない。

何かやらかす前提で環境つくっておくか、ミスをリカバリできるようにしておけばいいだけかもしれない。
まぁそれがなかなかできないから不安になるわけだけど。

なんだかんだ言っても、多分幼稚園とか小学生の頃よりは多少コントロールできるようになっているわけで、うっかり意識がどこかにいっても自分で戻ってきやすくはなっているわけで。

だから、昔の経験から、自分で制限かけて、制限守らないといけないと思って、安心でも安全でもない状況にしているだけなんだとも思う。

自分で、自由でないようにしている枠に入っておいて、苦手だけど出たらいけないと思ってて、出るには何か安心できる保証がほしい、みたいな。

でもそれは、人に保証してもらうとか、人から与えられるの待ってるのではなくて、自分で枠から出るんだし自分で確保しておくものなんだよな。
安心感をもらえる場があることに安心しないで、自分で安心でいられるようにしないとなぁと思う。

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