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「嫌いな人」っている?

苦手な人、っていうのはいるけど、嫌いな人、って言われると困らない?

子供の頃とかは、この子嫌い!とかって、さくっと嫌いになって、対立したりとかもしてたと思う。
でもその頃ってちょっとしたことで簡単に仲悪くなったり仲直りしたり、「嫌い」って言っても軽かったよな?って思う。
むかつく!くらいの感じ。
気が合うか合わないかが、そのまま好き嫌いになるくらいの単純さと軽さ。

大人になると、子供の頃みたいな関係性と違って、感情だけでないつながりや利害関係とかも増えてきてややこしくなる気がする。
仲良し、みたいのも少なくなるし、合わなくても関わることもあるし、気が合うからって一緒にいられるわけでもないし。
関わりも薄かったりして濃い関係性になることが少ない分、なかなか、「嫌い」とまでいかないことが多くない?

嫌いでない、っていうのが、嫌われたくない、の裏返しなのかな?って思うこともあるけど。
でもそれとは違うかも。

ただ、ほんとに、めちゃくちゃ嫌いって人ってなかなかいないっていうだけの気がする。
なんとなく苦手とか、合わないとか、そういう人はいるけど。
こんな態度がいやとか、こんなこと言われていやとか、そんなのはいくらでもあるけど。

でもそもそも、苦手な人とはそんなに関わらないのでめちゃくちゃ嫌いって感情を感じるまでにいたらないし。
言動でいやなのとかは、その言動がいやなだけで、関わってないときには別にどうでもいい。
(そうは言っても、こんなこと言われてむかつく!とか言ってると、嫌いなんだなぁって見られてるかもしれないけど。)

多分、大人になっていろんな場でいろんな人を見るようになって、ほんといろんな人がいるなぁ、って思うからだけど。
全然違うってだけで、どっちがいい悪いとか言えないことも多いし、立場とか状況とか環境とかでそれぞれよさも変わるわけだし。
嫌いとかいう問題でないな、っていう。

それと、きれいなものを見たいから、っていうか、わざわざいやなところは見なくてよくない?って思ってしまうのも大きい。
苦手でも嫌でも、目にしなければ関わらなければ関係ない。

自分には「きれいなもの」でないものでも、ほかの人にとったら違うかもしれないしね。
いちいち目くじら立てなくていいかなって思う。
いやなものについて考える時間の方がもったいないから。

なので、子供のときみたいな、狭い世界で自分と近い価値観の中でだと、「嫌い!」「いや!」みたいになりやすいけど、いろんな世界でいろんな価値観あるなと思ったら、好き嫌いとかでなく、いろいろあるんだな、ってだけになるのだなって思う。

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