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決めることの楽しさ。

決めてしまう楽さってあると思うし、決めるからできることって多いし、そういうの含めて決めることっていいことだと思っている。

それだけでなくて、決めるのって楽しくもあるよね?
決めるめんどうさもしんどさもあるけど、決められてしまうよりも、決められたとおりにやるだけよりも、自分で決められるって楽しいと思う。

決めたら楽だしいいことも多いってわかってても、なかなか決められないこともある。

特に、自分だけのこととかで、決めなくてもなんとかなってしまうことだと、決めるためのめんどうさとか、決めてしまったあとのめんどうさとかで動きづらくなったりするし。
大事なことだとか、うまくやりたいとか、そういう気持ちが強かったりすると、リスクとか不安とかが大きく感じて決めてしまうのが怖くなったりもする。

決めるっていうのは、決めなかったほかの可能性を捨ててしまうこときもなるから、それが怖くなるし心配になる。
自分が選んだのが間違っていないか、ほんとに大丈夫なのか、って。

でも、怖くなったり不安になったりって、わからないから起こるのだ。
正解がわからないから。正解なんてないから。



でも、たいていのことには誰にとっても正解なものなんてないはずだ。
そんな中、自分が選べる選択肢の中で、自分がいいと思うのを正解にしていくしかないのだから、決めるしかないじゃん?

どうせ自分が決めるなら、自分がいいと思う方がよくて、自分がやりやすい方がいいじゃん?
自分が決めるのに関われるなら、少しでも自分がいいと思うようにしたいじゃん?

というか、自分が何かやらないといけないなら、自分がいいと思えないことをやるこもになったら、自分が困るだけだと思う。
人に決められたままやるしかなくなったら、自分のいいと思える方向になるかわからない。
そんな、人に委ねて自分がいいと思えなくて困るリスクを負うよりも、自分が決めるところに関われる方がよくない?

正解がないから、前例がないから、って、どうしたらいいかわからないから、失敗したら困るからと、決めることを避ける人も多いと思う。
それはそれで気持ちもわかるけど。
もっと、決めることの楽しさおもしろさを見たっていいのになぁと思う。

決めるからこそできることっていうのがすごく多いはずなのに。

自分が決めるってことは、自分が好きなように、答えをつくっていいってことだと思う。
どうやって、自分がいいと思うところを答えとしていくかって、楽しくない?
どうせ誰も答えなんてわからないのだから、自分が答えだと決めたら自分の答えになるし、みんなに答えらしきものを答えだと認めさせたらみんなの答えになる。

自分がいいと思うことが、かんたんに認められたりはしないことも多いけど、自分がいいように決めるのに工夫するのも楽しいじゃん?
真っ向で意見をぶつけたり試したりとしてみて、勝負をかけるのもいいし、じわじわと自分の思う方向に寄せていくのもいいし、どんなやり方で攻略するのか考えるのもおもしろい。

自分が決めるって、自分が主導権にぎれるってことだし、自由にできることが増えるってことだと思う。

だから、失敗だとかリスクだとか考えすぎないで、とりあえず決めてみるってやったらいいのになと思う。
決める楽しさおもしろさとかがわかると、ますます決めやすくなると思うんだけどな。

そんなこと言いつつも決めるのめっちゃ苦手だけども、それでもやっぱり自分で決められる範囲が大きい方が楽しいと思っている。

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