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勝ち負けとかレールとかって誰の基準?

キャリア相談とか、キャリア系の話をする場とかで、ときどき出てくる話で、気になることがある。

自分が何をやりたいか、とか、自分が何を求めているか、という話をしているはずなのに、何をする方が有利なのか、何をする方が評価されるか、どうすれば上にあがるようなレールに乗れるのか、みたいな話になるとき。
しかも、自分はそれが有利だと思う、評価されると思う、というのではなくて、それはなんだろうか?と相談しにきたりまわりに聞いたりしているようなとき。

男女で区別するのはよくないとは思うのだけど、男性の方に多いように思う。

同僚とかと比べて、どっちが昇進しているか、成果を出せているか、勝手に勝負しているような方もいた。
同じ会社にいても、やっていることがまったく同じではないだろうし、似たようなことをしていたって、やりたいことや目指すところが同じではないだろう。

そんな中で、人と比べて勝ち負け考える意味ある?
評価とか昇進とか、比較してよい方が勝ちっぽいのもわかるし、勝負みたいになると負けたくないのもわかるけど。
自分の指標が人との比較で問題ないのか。
その、比較している人に対して勝ったと思えれば満足なのか。

たとえば戦後の経済成長期みたいに、みんなが同じ方向に向かっていて、選択肢も少ないようなときなら、ひかれたレールに乗れるかどうかとか、はやく乗れるかとか、どこまでいけるかとか、大事だったかもしれない。
終身雇用前提で、その中での王道の道がひとつだけあるような時代なら、レールに乗らないと進めなかったかもしれない。

でも、選択肢も増えて、それぞれが目指したいこともばらばらになってきて、ひとりひとりが自分のキャリアを考えて進んでいくものだというようになってきた。

そんな中で、誰かがひいたレールっぽいものに乗っかっていく意味ある?
人の基準で決められたレールでなくて、自分で自分が進みたい道を決めたらよくない?

人との勝ち負けで考えるようなのも、誰かのしいたレールに乗れるかを考えるのも、結局、自分以外の人を基準で、自分のキャリアを考えるはずなのに、自分の価値観や想いなどを考えていない。

いろんな価値観があって、いろんな選択肢があって、その中で、自分がやりたいこととか、自分が決めたこととかが、自分の目指す道になる。
それを進んでて、どれだけ自分に納得できるか、満足できるかっていうのが大事だと思う。

別に人との比較とか人からの評価が、自分の基準やモチベーションであってもいいけど、誰かが決めた基準なんて、状況によって変わったりもするじゃん?

誰かと比べたり誰かの基準で決めたりでなく、勝ち負けとかレールとかどうでもいいから、自分の基準でどうできたか自分がどう思うかで決められたらいいよね。

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