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「自発的にしなさい」っていう矛盾。

自律的に、という話を聞いていていつもつっこみたくなることがある。
自発的に、というときも。

「自律的に動ける人材になりなさい」
「自発的に意見を言ってください」
というように言われることがよくあるのだけど。

「自律的に」「自発的に」って、自分で決めてやっていったり、自分から考えたり動いたり、自ら何かをすることなのに、それを指示されるって状況が矛盾している。

指示されて、自ら何かをやったようにしていても、それは自発的にやったことでもなく、自律的でもない。
なので、余計に、自律的に、自発的に、と言われたときに、どういうことを指しているのかな?って思うんだけど。

(「自粛してください」っていうのも同じだよね。全然自らでないのに、自らということにするなんかずるい感じ。)

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自律的に、自発的に、と言っておいて、必ずしも自分で何か考えたり意見を言ったりするのが歓迎されるわけでもないところも矛盾していると思う。

自発的に意見を、と言っていたのに、それを受けての発言を、
「そうじゃなくて」
「それもありだけど、ほかにもないかな?」
とやんわり否定するのとか。

こうしたいです、という意見を「やらなくていい」って却下するとか。
(提案については、意義やメリットないと受け入れられないところはあるけど。)

自律的に動いたこと自体、自発的に発言したり行動したりしていること自体を、受け入れてもらえないと、なかなかやろうとできなくなる。
あからさまな拒否ではなくても、いい顔されないとか、めんどうそうに見られるとか、めちゃくちゃ説得が大変とかでも。
そこを超えて何度もチャレンジできるかどうかって、やる気次第みたいになってしまう。

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自ら何かを、と望むのならば、そうしなさいと指示するより、そうしたいと思えるように、やってみてよかったと思えるように。
月並みな言葉だけど、受け入れたり認めたりというのが必要。
受け入れるという形(言葉をかけるとか何かするっていう、やる側のこと)でなくて、やってみる側が、受け入れられた、受け入れてもらえそう、って感じられるのが大事だよね。

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