平和への祈りをやめた昨夏、平和への光を見出した今夏
夏は「平和」を意識する季節。
8月6日に広島平和記念日、8月15日は終戦記念日。夏休みの登校日であり、黙祷のサイレンのなる日があり、平和を意識する機会があったからかもしれない。
10歳の頃。
「戦争は良くない。なぜ人間は愚かなことを繰り返すのか。」と何かの作文に書いた。
担任教師が赤ペンで「戦争が技術を発展させたという事実もあります。」と記し返答をもらった。
事実を知らせるためかもしれない。戦争が必要な人間もいることを教えるためだったかもしれない。正義を振りかざしていた私への警告だったかもしれない。
物事を多面的に見られず、一面だけで正義を振りかざしていた自分へ、戒めとなった思い出。
それから30年近くの間。
戦争、政治、宗教といったタブー視されやすい話題は避けてきた。大人になってもなお、何もせずに「平和」を願っていただけだから。それでも10歳の時、正義感に満ち溢れて作文を書いた頃と変わらず、平和への願いは変わらなかった。
昨夏、初めて「平和を願う自分」をさらけ出し、同時に平和への祈りをやめた。
アインシュタインの言葉。平和を願う時、どうしても平和と戦争、正義と悪、対になって思い起こされる。
対の想起は、同じ次元。
同じ次元では解決できない。
平和と戦争。正義と悪。
この対で解決しようとする限り、平和は永遠におとずれない。
たった今、世界を見渡してみてどうだろう。
自分の正義を全うするために戦争や紛争は起きる。何が原因で、何が正義かも分からなくなってしまっている戦争や紛争。
多くの人が幸せと同じくらい平和を願っているはずなのに、一向に平和がおとずれる様子はない。
なぜか。
どうしたら平和になるか分からないから。
ただ、平和を祈っても平和はおとずれない。
だから平和への祈りをやめた。
代わりに「調和」した世界を目指すことにした。平和と同様抽象度が高く、具体的にどう動いていいか分かりづらい。
それでも平和ではなく調和を意識することにした。平和は人にフォーカスされがちだけれど、調和は動物や植物、自然、地球、宇宙とすべてを含む。人にだけフォーカスしている場合ではない。
調和した世界を目指して、まずは夫婦から家族から調和する。
小さな小さな一歩。
昨年はここで終わり。何か一歩を踏み出すことが大事だと思い一歩を踏み出したものの、日々の生活に大きな変化をもたらすものではなかった。
◆
そもそも、どうして世界の平和を願うのか。
何ら行動してこなかった人間が今さら。
理由は簡単。理想の世界を創るために「平和」が大前提だから。完全に自分ごとだよ。誰のためでもないの。
学生時代からの理想の世界が、笑って一緒に過ごす家族をつくることだった。ほんの小さな理想のはずなのに、新たな一人目の家族を見つけるのに超苦戦。35歳直前でヘッドスライディングを決めてゲットしたのが夫。その後はありがたいことに娘も授かった。
求めていた理想の世界を手に入れて、ぽっかり穴のあいた時間。
少し経った2021年、改めて理想の世界をイメージした。その時に出てきたイメージは、ラファエロ作の「アテナイの学堂」という絵画。
どっから出てきたんだというどデカいスケールの世界。理想の世界にぴったりだけど、小さな理想の世界がどデカくなりすぎて現実味が湧かなくなった。
個の才能がいかんなく発揮され自由な世界。
気ままに暮らして談笑している世界。
ここは明らかに平和。
平和でないと創りだせない世界。
自分の理想世界のために平和が必要だから。
しつこつ平和を連呼しているわけ。
◆
今年の季夏。突然の変化。
平和へ一縷の光が射し込んだ。
初めての光に泣いた。
平和への活路になると確信したから。
それは何かというと・・
本来の自分を生きることこそが、平和な世への道だと。
本当の自分、自分らしい自分、魂の自分、言い方はなんだっていい。私は『ど真ん中の自分』を生きる、という言葉が気に入ってる。
そんなことで平和になるわけないだろうと思ったあなた。やってみなきゃ分からない。だって、ほとんどの人が本来の自分を生きていないのだから。
本来の自分、ど真ん中の自分を生きる。
今までも、似たような言い方で色んな場所で色んな人から聞いてきたこと。大事だとは分かっていたけれど、心の奥底にまで響くものではなかった。
でも今は違う。
平和への一縷の光だから。
一人でも多くの人が、ど真ん中を生きられるなら方法は何でもいい。
私の場合はWURIA(ウリア)。その中に隠されている、まだ公にされていない原理と法則のコスモスコープ。私が使わせてもらうものは、WURIAとコスモスコープだ。すでに沼どっぷり。
誰もが自分のど真ん中の道を生きると、世の中が最も効率的かつ生産的になる。それは調和した状態であり、世界を平和に導くもの。
やってみなくちゃ分からない。
近づいてみないと見えてこない。
やるだけの価値はあるよね。
やるのは私たち、ひとりひとり。
私たちは平和を願いながらも、平和であるための方法を知らなかっただけだから。
ずっと自分だけで満足してきた人生実験。
もっと多くの人を巻き込んで実験したい。
きっと間に合うし、きっと平和な世になる。
不惑を迎えた夏。10歳の自分は40歳。
遅くなったけれど、やっと見つけたど真ん中の道。
もっと軽く平和への想いをのせたかったけれど、清き一票を!みたいな暑苦しいトーンになってしまった。
だって、現実味のない絵画がリアルになった夏だもの。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?