『先生』という存在がキライ
『先生』という存在や肩書きが昔から嫌い。
昔と書いたけれど、小中学生の頃は『先生』教師になることを疑うこともなく、先生になるもんだと思ってた。その頃からほとんどの先生が嫌いだったけど、稀に好きな先生がいてそんな人になるんだ!と意気込んでいた。
大学生の時、教育実習に行って職員室の雰囲気や学校というものを感じて“教師には絶対なれない”と悟った。当たり前になるもんだと思っていたものの、なりたいわけではなかったから、気にもならなかった。
社会人になって、『先生』という肩書がつくような医師や弁護士といった士業の類の人も苦手意識を持った。単に、接する相手の多くが合わなかっただけだろうに。
主婦になろうが、個人事業主になろうが、意外と『先生』と呼ばれる類の人たちは身近にいる。習い事でもオンラインサロンでも。
相変わらず苦手だなぁ、というか嫌いだなぁ。
どこかに属する時は、主催者・講師であっても『先生』と呼ばせないような人を選んでいく。
コスモスコープの創始者であるTEMARI先生は先生と呼んでいる。
人生をかけてきたことに敬意を表して。そして特段TEMARI先生自体は、自分を先生呼ばわりされたいとは思ってない方だろうし。
先生と呼びたくなる相手。
後は、幼稚園の先生‼‼手をあわせて拝みながら先生と言いそうだ。
なんで嫌いなんだろうなとかれこれ何十年もふわふわ思いつつ、答えがなくてもいいやとそのままに。
なんともオチのない流れ。
気になったから記録しておく。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?