見出し画像

母となった私が母から受け継ぐもの

それはすばり、「負けず嫌いの血」と、まぎれもない「愛」です。

3人兄弟の長女として育ちました。弟がふたりいます。長子にありがちな、何でも一番になりたがる勝気な女の子、負けず嫌いの塊でした。中学時代から始まった反抗期は、高校を卒業してからも長くゆるく続き、時に激しく、母親を困らせたものです。思い出すと、今でも心の奥がチクっと痛みますが、現在の関係は良好(むしろ私が依存気味)なので、両親には感謝しかありません。そして弟たちはもれなく、姉のようにはなるまいと、大した反抗期もなく、成人しました。私は、よい反面教師になれたようです。

息子の卒園に向けた制作物のヒントにならないかと、自身の幼稚園の「卒園アルバム」を、先日、実家で広げて見ていました。そこには息子と同い年の、6才の私がいて。母親や弟と写る写真も何枚かあり、懐かしく思い出しました(ちなみに父親はどこにも写っていない)。アドラー心理学では、10才までにライフスタイルが形成されると言います。ライフスタイルとは、世界像、自己概念、自己理想から成り立ちます。卒園アルバムを久しぶりに見たことで、幼心に、弟たちに親をとられたという感覚は鈍く残っているなと思いました。また、小学校高学年からは女子特有のいじめにも似た経験が、記憶にあります。私の世界像は「世間は敵ばかり」、自己概念は「自分は弟たちほどはかわいがられていない」、自己理想は「頑張らないと認められない、好かれない」といった具合に、形成されていたのかもしれません。でもこのライフスタイルは、いつからでも、いくらでも変えることができる、とアドラーさんは言います。

負けず嫌いの血

息子とサッカーやカードゲームをやった時、こちらが勝ってしまい悔しがる彼の姿を見て、あーこれは私の血だな、と思います。でも、よくよく話を聞いてみると、それは母の血であり、その母(祖母)、その祖先・・と受け継がれてきたようです。「覚えてないの?小学校6年生の時、リレーの選手になりたくて、運動会の前、家の周りをぐるぐる走って練習してたじゃないの。それで選手に選ばれたんだよね。」義妹の前で、母に言われました。全く覚えていないけど、なんか照れくさい。そんな自分もいたんだな。そうやって、若かりし頃の、誇らしい自分のことを思い出させてくれる。これも親の役目かな、と。がんばりやさんだったという過去の自分から、ちょっぴり自信をもらえました。私も、息子が覚えていないかもしれない、素敵な記憶を、成人して、結婚して、親になった時にでも語ってあげられたらいいな。そうやって血も、愛も、自信も、循環していくのだな、としみじみ思ったのでした。

今日もそのままのあなたで。また明日。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?