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何も無いけど何でもある/#026

ぼくは生まれも育ちも鳥取県。生粋の鳥取県民だということ。子供よりもお年寄りが多く、近所の公園はゲートボールを楽しむ声で賑わっている。ぼくが小学生の頃クラスは8人だった。全校でも55人と小じんまりとした場所で過ごしていた。

小学生の頃は川や山で遊び秘密基地作りに明け暮れた夏休み。「夏休みの友」という宿題冊子とは6年間お友達になれなかった。自由工作というもので花火を書いたが途中で飽きて結局は母が8割手伝って完成した。

時は流れ中学、高校、大学、就職、順調に階段を登りながら視野が広がっていった。良いものを知ると後には戻れないとよく耳にする。田舎育ちにはテレビや雑誌の世界にある大都会に目を輝かせていた。お金が貯まれは直ぐに都会へ足を運び羨む日々。その度にぼくの視界は手元から離れ遠くを眺めるようになっていた。

就職すると休日というものができた。ぼくのお仕事はソフト制で毎月お休みが変わる。それ以降友達とお休みが合いにくくなった。ひとりで過ごす時間ができて途方に暮れていた。そんなある日にふと思い立った。「カメラ買おう」あまりにも単純んな考えで気づいたらカメラが入った紙袋を下げていた。

写真を撮り続けるには鳥取県は楽しい。大自然に囲まれており四季の彩りを体感できる。鳥取砂丘、大山、水木しげるロードなど観光地も多い。しかし、都会にあるようなお店やレジャー施設は無い。そのため若者たちが遊ぶ時に「何も無い」と感じ都会を羨むという構図ができあがっていた。

何に価値をいただくのかは視点で変わる。人それぞれに価値観があり楽しみ方も違う。鳥取県は人口が少ないため商業が発展しにくい。そのため必要最低限のお店や施設に留まっている。交通機関も同じだ。けれど、写真を撮っていたことで新たな魅力に気づけたことも事実。風景、人、食、文化など目を向けていないだけで、まだまだ魅力だと感じるものが多くあったのだ。

「何も無い」というのは簡単。しかしその言葉を口にするともう先が見えないも同然のこと。それよりも「何でもある」という視点で目の周りを見て体験したい。そうすることで本当に何も無いようなところでも、気づきが生まれる。物の見方を少し変えるだけで世界はこんなにも広がるんだと知った。

鳥取県は何にも無いけど、何でもある素敵な県。

SUBARU(マカベ スバル)
鳥取県在住 / なにげない日常をテーマに写真を撮っている / 出張撮影 / 写真イベント企画  / 鳥取のPR活動も行なっている。
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