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はじめて人種差別を受けたときの話。

今からもう13年も前のことでした。2011年の3月頭頃、私はフランスのモンペリエという街にいました。

その時は大学四年生、卒業旅行でヨーロッパをバックパッカーで一周していたところです。3週間くらいですが1人で長期の旅に出る初のチャレンジでもありました。

ドイツのミュンヘン空港に降り立ち、そこからユーレイルパス(ユーロ圏の電車・特急乗り放題パス)を使ってチェコ、オーストリア、そしてイタリアへと色々ありつつも順調に旅をしていました。

が、イタリアでは噂通りのルーズな列車の運行という洗礼を浴びることになります。その時はイタリア中部のフィレンツェからフランス南部のニースまで移動することを目指していましたが、定刻になっても列車が発車する気配がありません。そして遅れに遅れ乗り継ぎ予定のミラノ駅に到着した時には、ニース行きの列車はもう過ぎ去った後でした。

そのため予定を変更し、イタリア北西部のジェノバという街で一泊し(ここで浮浪者に追いかけ回された)、翌日にフランスのモンペリエという街に行くことにしたのです。

・・・

そんなバタバタの疲れも感じながらモンペリエの宿にたどり着きます。当時はユースホステル(主に若者向けに世界的に展開されている相部屋の安宿)に泊まっていましたが、その時はガラガラで1人部屋だったような気がします。

そこで衣服の洗濯のためにコインランドリーへ向かう道すがら、ちょっとした事件が起こります。

モンペリエの白を基調とした建物と、石畳の路地。とても美しい街並みを歩いているとき、前からあんまりガラのよくなさそうな現地の若者グループがワイワイと歩いてくるのが見えました。なんとなーく嫌な予感がします。

そしてすれ違いざま、若者のうち1人が突然にこちら側へ身を乗り出し、

「ワッッッ!!」

と大声で驚かそうとしてきたんです。これ、いかにも「いじめっこ」が弱い者イジメをするときにする、ああいうヤツです。

私はなんとなく予感をしていたので、反応せずにサクッとその場を立ち去りました。後ろでは若者たちが大声でゲラゲラ笑っている声が聞こえてきます。

何一つ具体性のある言葉を介するまでもなく、人の悪意は伝えることができるんです。状況からこれが外国人、アジア人である私への差別の一種だと読み解くのは容易なことでした。

人種差別的な目に遭うのはこれがほとんどはじめてのことです。実害がないレベルのイタズラですが、たったそれでも「自分が悪意の対象にされた」という気持ちの悪い感情が身体を渦巻き、自分がここでは力のないマイノリティであるという認識を否応なしに突きつけられます。

そんな目に遭い、だいぶ気分的にも落ち込んでコインランドリーに辿り着き、洗濯物を回しながら座って完了するのを待っていました。

すると、コインランドリーの外に2人の男性が立っていることに気付きます。1人はおそらく現地のフランス人と思われる男性。もう1人は、中年のアジア人の男性です。(特に根拠はないけど中国人か韓国人のように見えました。)

2人はコインランドリーの外で何か会話をしていましたが、そのうちアジア人の男性がコインランドリーの中にいる私に気付きます。

そして少しお互い目を合わせ、彼は軽くうなづきながら、微笑んで、その場を去りました。

驚くべきことに、何一つ具体例のある言葉を介するまでもなく、人は連帯を示すことができるんです。異国のイレギュラーな環境でマイノリティとして周縁化されていた自分に、彼は私に気を取り直す勇気と暖かな風を吹き込んでくれました。

・・・

翌日、早朝にバルセロナ行きの特急に乗りモンペリエを去りました。(バルセロナではパエリアにあたり高熱に苦しみながらも気合いでサグラダファミリアを見物することになります。)

さらにその後に訪れたパリでは某ファーストフードチェーン店で私からの注文を無視しようとする店員の嫌がらせを受けたりしましたが、この時にはもう既に自分が1人でないと知っていた気がします。

さてそんな旅の最後にミュンヘンに戻った時に、街中のボロボロの新聞入れに「TSUNAMI」という見出しが書かれているのを目にしました。「いったいどれだけ古いものが放置されてるんだ…」とその時は思いました。

しかし、現地のテレビのニュースでNHKの映像がそのまま流れていたため、日本語で状況を知ることになります。そう、東日本大震災が起こっていたんですね。当時はSIMカードを入れ替えたわけでも、ポケットWi-Fiを持ち歩いていたわけでもなかったので、情報にはまだまだタイムラグがあったんです。

あの震災は南関東でも大きな揺れと帰宅難民など大騒ぎでしたが、私はそれを直接体験せずニュース越しに知ることになりました。Apple Storeの脇に立ってWi-Fiを拾って家族や友人と連絡を取ったり、3/14の帰国便までの時間を落ち着かない中で過ごすことになります。

この日々をなんとも言えない落ち着かない気持ちで過ごします。何をしてたらいいか分からず、チャペルに座って祈ったりもしていました。(街中のチャペルは基本出入り自由です。)

ちなみにこのとき、驚くべきことに、震災の翌日にはさっそくミュンヘンの広場で日本向けの募金活動が始まっていたのです。そして道すがら多くの人が箱に現金を投じていました。

この旅の中で出会った他の日本人バックパッカーたちも欧州の各地に散らばっていましたが、フランスをはじめとして、各地で様々な温かい支援がはじまっていると報告しあっていました。(なお当時のSNSはmixiが主流でした)

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日本でマジョリティとして過ごしていると、それゆえに盲目になってしまうこともあります。マイノリティであるということはどういうことなのか。この時は欧州で貴重な体験をすることができました。

また一方で、人の思いやりとつながりも、国や人種を越えて途切れることはできないということ。それを同時に知ることにもなりました。

やっぱり旅はいいものですね。もし日常が安定的に繰り返されているなら、意識してその外に顔を向けていきたいものです。大切なことを見失わないように。


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